3・8全国争議団交流会
     3・9全国結集行動の成功をかち取る!

 3月8日、第28回全国争議団交流会が東京の池袋で開催された。
 午前中は協賛団体会議が豊島区立生活産業プラザで開催され、2日間の日程、催しの内容などにつき確認がされた。午後からは、3つのテーマにわかれて分科会が開催され、第一分科会「争議経験交流」、第二分科会「争議非合法化に抗して」、第三分科会「争議を闘う合同労組運動」のそれぞれで活発な交流・討論が行われた。
 
            3・8全国交流集会(池袋芸術劇場)

夕方からは場所を、池袋駅を隔てて東京芸術劇場に移して参加者98名が一堂に会して全体の交流集会。司会を東京から中部労組論創社、関西からあばけん神戸がつとめた。
 冒頭、各分科会の報告を東京から行った。比較的時間が取れてじっくり報告や討論が出来たところ、課題が多すぎて議論が深められないなどの、組織運営上の問題点はあったが、現状況に対応し、これを取り込んで共同の身構えを見出してゆこうとする手がかりを予感させる報告であった。
 その後、組対法共同行動、日の丸君が代不起立を闘う教育労働者、心神喪失者等医療観察法(予防拘禁法)を許すな!ネットワーク、対都行動を闘う全都野宿労働者実行委員会、沖縄一坪反戦地主会関東ブロックなど、争団連および各争議団闘争が共闘を結んで闘っている諸領域からの連帯挨拶があった。
 ついで、柴法争議団より争議解決の報告があり、解雇撤回・謝罪を勝ち取るに至った経緯、解決の中身・意義についての提起がされた。基調報告は東京・三河島そうじ団。戦争・治安管理国家化の急激な展開にあって、争議を闘うことの現在的意義を手放さず、全国の力で闘争勝利を勝ち取り、闘う労働運動を構築しようとの提起が、明快かつコンパクトになされ、拍手で確認された。
 その後、全国の争議団が次々と登壇して熱っぽく勝利への決意を語って圧巻。最後に、翌日結集行動の、ライフエイド、明大生協、ダイエー、労働法連絡会(中労委闘争)が熱く決意表明。シュプレヒコールでしめた。
 その後近くの某所で、懇親会。44名という大結集で、きめ細かな親睦が図られた。

 翌3月9日、東京北部は練馬区大泉。お天気も何とか晴れ、横断幕や組合旗を目印に、降り来る仲間たちも揃い、92名の結集で、全国結集行動第一弾のライフエイド社前抗議行動が始まった。
 まずは、マンションをぐるりと取り囲む形で四階ライフエイドへ全国の仲間と怒りの声をぶつけた。その後マンション裏手の広い歩道にて集会を始める。司会は連帯杉並。まず、当該の経過報告から。「地裁判決では、会社側のひどい言い分を全面的に採用する判決だったが、不当判決に屈せず現場実力で闘っていく」など発言。
 連帯発言は@この地で30年ほど前に争議を闘い職場復帰した陽和病院労組A医療観察法を許すな!ネットワークB関単労黒川乳業C中部労組論創社D仙台の全金本山労組。決意表明は@北部共闘・連帯・成増厚生病院Aライフエイド対策会議Tさんより受けた。

              3・9ライフイド前抗議行動

それぞれ暖かい力のこもった発言を受けたのち、明大生協の仲間から次の現場の案内を受け、再びマンションを囲む陣形で争議解決まで闘う決意をライフエイドに叩きつける事ができた。
 第二弾は東京中部は神田御茶ノ水。明大生協本部前闘争。明治大学に争議(生協解散・職場破壊)の解決を行わせるべく全国結集・争団連統一・中部集中行動として団体交渉要求行動を行った。
 初めにシュプレを発し、当該を先頭に94名の仲間は 「申し入れ書を持ってきたので取り次ぎなさい」 と大学会館入口で要求した。しかし大学はガードマン二名を立て行動を妨害、申し入れを無視した。
 この後、大学会館前で抗議集会を行った。集会では当該より、昨年、10月中労委で大学当局は 「あなた方は金銭解決はだめ、職場保障ですよね」と和解を申し入れてきたが、12月には、争議解決の提案は行わず、和解を決裂させた。一一月には大学理事長宅抗議デモをつぶすべく情宣活動禁止等仮処分、さらに通常の理事長宅行動には間接強制をつけ、2月入試情宣に情宣活動等禁止仮処分(間接強制つき)をかけてきた。これら明治大学当局の「悪あがき」に抗議し、大学の責任で職場保証すべきと決意表明がされた。
 連帯発言は、福岡地区合同労組・ダイエー、虹ヶ丘学園労組、山谷争議団がおこなった。決意表明は、争団連(ス労自主)、中部交流会(柴田法律事務所労働争議団)、そして明大生協闘争支援共闘会議の仲間が行った。集会の最後にシュプレヒコールで、中労委・現場を貫いて闘う意思を示し、明治大学に争議解決を迫った。

        3・9明大生協闘争(大学会館前)                       3・9ダイエー本社前闘争

 三番目にダイエー本社前行動が取り組まれた。少し東へのびて東陽町。74名の参加を得た。社前集会は、福岡第三現場 ダイエー本社前合同労組によるダイエー闘争の経過報
告から始まり、その後、当該の谷さんが「生き続けていくためにも食事代補助の要求を貫徹するぞ」という内容の決意表明をした。
 その後、当該と福岡合同労組、争団連、関西からの代表者あわせて4名の交渉団、そして記録担当等を入れて7名で本社建物内での申し入れ行動をおこなった。上から降りてきた本社の担当者と3回目の団交の日程調整に入り、会社側と組合側とでの日程調整を続けていこうということで合意した。建物の中で応対に出てきた本社の担当者は、団交の時と違って、建物の外の仲間の勢いに押されたのか、表情がこわばって見えたのが印象的だった。本社行動は大変意味あることだったと思われる。

              3・9中労委交渉                最後に中労委会館前で抗議のシュプレヒコール

 第四弾は大幅に南下して、港区芝の「中労委闘争」に71名が結集。私たちは一九八九年以来、毎年3月に開催される全国争議団交流集会参加者一同の名において中労委に申入れ書を提出し、交渉を行い、再交渉や緊急の申入れなどを含め 「中労委闘争」は19年間に及び他に類をみない闘争の継続だ。
 2005年から 「改正」労組法が施行され、5年目に入っている。この間私たちは中労委や東京、大阪の労働委員会の審査指揮にみる「労組法第一条一項が規定する労使対等の保障」の放棄や、中労委の設置目的「中央労働委員会は、労働者が団結することを擁護し、及び労働関係の公正な調整を図ることを任務とする」(労組法第19条の22項)の放棄、強権的審査指揮と苦闘してきた。今回の冒頭、当該から本年一月交付の論創社事件逆転棄却命令を怒りをもって弾劾した。宣誓強制、腕章禁止、旅費拒否、06〜08年の命令の内容、審問速記録無料交付、書類提出部数、物件提出命令、証人出頭命令など一通りの「回答」は相変わらず無内容で、腹の立つ事ばかりだったが、今回はとりわけ審査課業務係長定政紀彦の居直りに怒りが集中した。
 事前の「交渉人数20名という制限」をあっさりと突破し、71名で貫徹し、再交渉を約束させる成果を勝ち取り、最後は会館前のシュプレヒコールで3・9全国結集行動を締めくくった。