勝利報告集会&祝賀パーティーに200名を超える仲間が
[2007.4.29品川プリンスホテル]
4・28不当処分撤回を勝ち取り、
原局・原職に就労を果たしました
被免職者はすでに職場に戻り、郵便・書留を持って配達しています。28年前の職場とはすっかり様変わりしている中で、職場労働者としていったい何ができるのか未知の世界に入りますが、労働者が団結していくことの意義を見失うことなく、皆さんと共に頑張っていこうと思います。
長い間、本当にありがとうございました。
* * * * * *
[神矢3月15日][徳差3月16日]
地域・全都の仲間に祝福され、
原職に就労しました
「4・28通信」前号では、神矢・徳差の復帰日が確定したところまで報告しました。そして、その後…。
予定通り、神矢は3月15日に、徳差は3月16日に、それぞれ原局・原職である大崎局第一集配課、向島局第一集配課に復職・就労しました。
●3月15日朝、大崎局前に33名の仲間が結集。当局は相変わらず総動員で立入禁止のバリケードを設置。シュプレの後、当該・神矢が「28年ぶりに処分を撤回させて職場に戻る。当局は未だに謝罪すらしていない。今日以降、不当な対応があれば、連絡会・地域一丸で反撃していく」と決意表明。南部地区労働者交流会の仲間からも「復帰した仲間を最後まで地域から支え抜く」決意が語られた。居並ぶ当局にシュプレを叩きつけ、職員通用口前で記念撮影の後、入局する神矢を拍手で激励した。
●徳差は、3月16日に就労。家族や友人に祝福され、クラッカーが鳴らされる中、就労。翌17日には大崎局・神矢や地域・争議団の仲間11名が集まり、当該・徳差と南部交流会が決意を表明し、拍手で送った。
●大崎局就労初日は、局長室で全課長出席の下、「免職処分は取り消された」なる処分責任もあいまいにした「取り消し辞令」「主任制度発足時にさかのぼっての主任発令」「仮りの号俸・俸給辞令」の交付式。「不当な免職を行ない28年間生活を破壊しておいて謝罪もないのか」と追及すると、「そういう場ではありません」と局長。なおも追及するが、総務課長が強引に式を終了。謝罪問題は向島局でも同様の対応。向島局集配課長が「集配職場に紹介する」と言うので「あいさつさせろ」と要求。課長は「それなら紹介しない」という対応だったが、結局職場に。「処分を撤回させて28年ぶりに職場に戻りました」と徳差。職場から拍手が起こった。
神矢「大変だが、嬉しい」
●大崎局での二日間の研修(研修線表で8時半出勤)は、制服・靴などのサイズチェックから始まって、「共済組合員証」の交付や、定期代などの必要書類の作成。そして、コンプライアンスや犯罪セキュリティ、接遇マナー、個人情報、アクションプランだの真っ向サービスだの…。頭痛がしてきたところで「民営化後の帰属会社」について「郵便事業会社大崎支店」と内示を受けた。その合間に、続々と集配課長から祝電やレタックスが届く。「被免職者を守る大森の会」「福岡合同労組」「グリーンコープ労組」「伝送便」「蒲田4・28を支える会」。最後に計画年休の請求。
●二日間の研修後は、約半月、06年度分の有給休暇を消化して、本格勤務を4月2日からとした。最初の3日間は集配課による研修(研修線表)。初日も祝電が「北九州自立連帯労組」「三栄工業闘争」「たがわ生協労組」から届いた。この日、総務課長も集配課長も交替。風呂場の浴槽も経費節減でこの日から使用中止。ガックリ。研修は課長や計画の課長代理。郵便事業研修を中心に、書留の携帯端末の練習やバイクの試し乗り。そして、4月5日から集配職場に降りた。この日から8時出勤だ。午後、班員に紹介される。「28年前に郵政省に免職とされたが、裁判に勝って元の職場に戻りました。また一からのスタートですがよろしくお願いします」と神矢。早速、通区訓練。バイクに乗って配達地域を一緒に回る。あーっ!28年前と同じ配達地域だ!様変わりした所もあるが、そのままの地域もある。嬉しい。
●食堂や、組合室、ロッカー室で、初めて口をきく仲間を含め、みな優しく声をかけてくれる。「長い間ご苦労様でした」「何もできなくて申し訳なかった」「いつも朝ビラしてた人だよね。生活は組合が支えてくれてたの?えっ!じゃ大変だったじゃないの。すごいわネェ」「ゆっくり、じっくり覚えていけばいいよ」。先日の朝、課長席前でゆうめいとのオバチャンの退職のあいさつがあった。「5年間楽しかった。一つお願いがあります。10月から民営化で大変になると思いますが、効率化・効率化と言って、雪印や不二家のペコちゃんのようにしてはいけないと思う。効率化で人の心を失われないよう管理者の皆さんにお願いします。私も最後はキツかった」。ほんのわずかな付き合いだったが、こんないい出会いもあるのだ。たぶんこれからも。みな拍手で送った。その後、私の区分台のところに来てくれて「これだけは言わなきゃと思ってたのよ。あんたも頑張りなよ」と励ましてくれた。
●郵便物の量も、仕事内容もずいぶん変わった。大崎局の要配達物数は28年前は5~6万通と言われていたが、今は8万通、多い日は10万を超える。朝の抜き出しも大型郵便が非常に多く半端じゃない。書留授受もかつては会社関係はビル配担当の受け持ちだったので、せいぜい30本ぐらいだったが、今は会社分も持つので毎日70本以上、多い日は100本。これに後納郵便、即納郵便、代引郵便、関税付きなどが加わり、扱う現金も数万円。慣れてないせいもあるが、会社関係が多くて午前中が勝負なので息つく暇もないほど忙しい。早速、書留の誤配!受領証が合わない!朝の抜き出しもれ!などミスの連発。回りの同情と愛情?に支えられて何とかやってる。しかし、嬉しいことに変わりない。確かに戻ったのだ。
徳差「配達作業への復帰を目指して」
●徳差は、3月16日・17日に局内研修ということで28年ぶりに向島局に復帰し、その後3月中については年休消化。4月・5月については、介護休暇を申請。
実は息子が99年に交通事故に遭い、徳差のそれまでの活動形態が「介護が主体」という形に変わり、現在に至っていた。今後、現実に集配課で働くためには、連れ合いが現在働いていることを含めて、これまでの介護の体制を大幅に変更することが必要で、そのために、関係機関との相談・働きかけを行ないながら、勤務可能な体制作りに向けて現在進行中という状況だ。できるだけ早い段階で配達作業への復帰を目指している。
仲間たち!よくぞ一緒に闘ってくれました
高輪局 黒瀬英之
1974年。入局してすぐ、同じ班の全郵政から居酒屋に誘われ「田舎に転勤したいなら全逓に入るな。〇〇とは付き合うな。ここの酒代はあるところから出ている。気にするな」と全郵政加入を勧めてきた。しばらくして職場の実情がわかった。賃上げも労働条件も全逓のストや闘いで勝ち取れているのに、何もしない全郵政はその恩恵を受け、同じように賃金が上がる。
転勤問題もあったが、一大決心で全逓に加入。当時、高輪は集配以外の課では組織率が高く、春闘集会では庶務課の女性の組合員を含めて中庭で集会があった。そこには、同じ組合員、同じ仲間だという連帯感があった。
そして、入局から33年、紆余曲折ながらも、最高裁勝利判決を勝ち取る。数々のピンチがあったが、仲間の力で乗り越えた。90年の南部地区大会で引田書記長は 「指導に従えない被免職者が居れば、指導違反として対処せざるを得ない」と、裁判の取下げを要求された。この時、もし同じ南部地区に神矢さんがいなかったら、他の被免職者と同じ様に裁判を取り下げていたかもしれない。
02年は地裁で負けの判決が出て、「もう勝てっこない。原告団から抜けよう」と強く思っていたが、被免職者の名古屋さんから「名前だけでもいいから」と電話をもらい、それならと原告団に残ることを決意。今、思えば、やめなくて本当によかった。赤羽の被免職者の斉藤さんとは、高輪・蒲田そして赤坂の木下君と共に、よき相談相手となってくれた。全国の仲間たちに言いたい。よくぞ、これまで一緒に闘ってくれました。皆さんのおかげです。ありがとうございました。
共に闘い、共に勝ち、共に祝った
風薫る4月29日。念願だった4・28反処分闘争の勝利を祝うにふさわしい季節だ。
今年3月、私たちは郵政省(現・日本郵政公社)による懲戒免職処分を撤回させて、原職復帰を勝ち取ることができた。1979年4月28日の「4・28不当処分」から27年10ヶ月。四半世紀を超える28年の苦闘がやっと報われた。
全逓(現・JPU)本部の闘争終結・被免職者切り捨てに抗して、最後まで反処分闘争と被免職者を支え抜いた職場の仲間、弁護団、地域の仲間、全都・全国の争議団の仲間たち、4・28闘争に心を寄せる全ての仲間の力を結集し、幾多の困難をはねのけて勝ち取った勝利だ。
報告集会・祝賀パーティーは、会場に掲げられた「共に闘い、共に勝てた! この喜びも、共に!」という言葉に示されるように、28年の苦闘を噛み締め、共に勝ち取った勝利を思う存分!共に喜びあい、そして、この勝利を、郵政民営攻撃とJPUの底無しの転落に抗して郵政職場に労働者の権利を確立していく闘いへ、戦争国家化・治安弾圧攻撃に抗して全争議団闘争の勝利へ、地域共闘の前進へ、全ての闘いの勝利を勝ち取っていく推進力にしていく意思を示そうとするものだ。
報告集会は午後1時から。4・28連絡会の第16回総会も兼ねた集会だ。用意した145席はたちまち埋まり、追加の椅子が次々に運ばれ、その数は175名に。
司会は、連絡会事務局から元川崎中央局の仲間が「この勝利は、全国の職場で苦闘する郵政の仲間は勿論の事、全国の労働者・闘う人々に『屈することなく闘えば勝利できる』という勇気と希望を与えるものとなったと確信する」と述べ、集会を開始。最初に連帯あいさつ。①現場闘争を共に闘い抜いた争議団連絡会議を代表して明大生協労組、②4・28闘争と同時期に22年目にして解雇撤回・職場復帰を勝ち取ったジャパマーハイツ労組、③3・25大弾圧をはね返した被弾圧者14名を代表して三多摩合同労組・中大生協闘争、④対都行動を闘う全都野宿者実行委員会、⑤共謀罪新設攻撃と闘う破防法・組対法に反対する共同行動、⑥労働契約法制定攻撃と闘う労働法連絡会、⑦全国争議団を代表して北部九州反弾圧争議団労組交流会(九争交)からオートウェイ闘争。
そして、当該・神矢(大崎局)から勝利報告集会の基調を提案。「4・28処分攻撃」「全逓の切り捨て」「処分撤回・原職奪還を勝ち取った原動力」「勝利の意義」という28年間の闘いのまとめを15分間で提起し、満場の拍手で確認。(基調希望者には送付します)
続いて、この闘いをわが事のように闘い抜いてくれた仲間を代表して二団体からあいさつ。最初に、この日も関西から大挙12名で参加してくれた「人事交流=強制配転に反対する近畿の会」を代表して京都中郵の力石さん。次に南部地区労働者交流会を代表してふじせ企画労組が「司会の方の『闘えば勝てる』の言葉は、長期の争議団にはプレッシャー(笑)。しかし勇気と希望を与えたのは間違いない。4・28とは、全逓の切り捨て攻撃のさなか運命的に出会い共に闘ってきたが、職場復帰以降も地域から闘いを支える決意だ」と語ってくれた。
最後に、当該の徳差・神矢からお礼と現状が報告され、シュプレヒコールを行ない集会を終了。記念撮影の後、階下のパーティー会場に移動した。
勝利祝賀パーティーには
200名を超える仲間が
■パーティーから参加する仲間もいて、200名を超える祝賀パーティとなった。受付ルームは「写真で見る4・28闘争」という写真展になっていて、反マル生闘争から4・28処分当時の当該の若き姿や職場風景、自主動員で作り上げた裁判闘争、全逓本部の切り捨てと対決した99臨中・千葉大会闘争、連絡会結成と以降の現場闘争、刑事弾圧、地裁不当判決、高裁逆転勝利判決、最高裁勝利決定と職場復帰と、45枚の懐かしくも激戦の歴史が。「これ、ひょっとして〇〇さん?」など人が絶えない。
■パーティーの司会は、連絡会事務局の元大崎支部青年部の仲間と南部交流会の仲間。主催者あいさつを4・28連絡会事務局を代表して20年余にわたって4・28を支え続けた川崎港局の桜井さん。芝局の橋本さんの音頭で乾杯。
連絡会としては勝利の美酒を!と思い、飛びっ切りの銘酒を用意したが、祝い酒も職場や地域や争議団などから多数寄せられた。旨い料理に舌鼓を打ち、しばし歓談。
■最初に困難な裁判闘争を闘い抜いてくれた弁護団から大口昭彦・遠藤憲一両弁護士からあいさつ。
続いて郵政職場からのあいさつが続く。当該局の大崎局・向島局からも多数参加していただいた。その大崎局・向島局の仲間からのあいさつを皮切りに、神奈川A局の仲間、退職してからも支えていただいた元福島中央局の斉藤さん、JPU静岡・清水局の白井さん(元・東京東部地区)、元東灘局部落解放研の北川さん、高槻局の妻鳥さん、全逓共済生協(元・静岡被免職者)の仲間、東京・新宿局の仲間、そして最後に広島西部支部郵便分会。さらに、どうしても参加できなかった仲間のメッセージも幾つか紹介された(別掲)。
ここで、二人組「ガッジョ・ディーロ」による無国籍音楽の演奏。一人は争議団当該でもある。よそ者ガッジョ・ディーロが村人に受け入れられ永住していく映画が由来で、人をつまはじきすることのない関係の仲立ちになれたら、とグループ名にしたそうだ。そんな気持ちが響く25分間の演奏だった(MD好評発売中!)。
■後半のあいさつは共闘関係。4・28連絡会は「職場の仲間との結合」と「地域共闘・争議団との連帯共闘」を闘いを進める両輪としてきた。その力で勝利することができたのである。最初に争団連(加部建材闘争)。続いて都内の各地域共闘のあいさつ。中部交流会(柴法争議団)、北部共闘(連帯三河島そうじ団)、西部共闘(連帯ナトレーザ)、三多摩労争連(三合労ケミカルプリント)、地域共闘の最後に南部流会(ス労自主)。北部・西部・三多摩の各発言者は3・25中大生協闘争弾圧の被弾圧者でもあった。この日に間に合わせるかのように獄中から奪還できたのだ。全国の争議団が登壇する。全金本山労組は仙台2名・東京1名が参加し、代表して千田書記長。関西争議交流会は港合同南労会支部と派遣パート関西労組と祇園労組が参加し、代表して派遣パート労組の内藤さん、九争交は福岡地区合同労組、北九州自立連帯労組、三栄工業闘争、福岡県生協労組協議会の6名が参加し、代表して県南生協労組の城さん。みな、この勝利をわがことのように喜び、この勝利に続くぞ!という意思を感じる発言だった。
■時間の制約の中、全員のあいさつは受けられなかったが、遠くから来ていただいた方をはじめ、都内の救援連絡センターや山谷争議団、死刑廃止フォーラムや保安処分と闘う仲間、労組・争議団、友人など、参加した仲間の全てに心から感謝したい。一人ひとりにお礼を言えなかったこともお詫びしたい。
■ここで、ホテルの好意で「パパイヤ鈴木とおやじダンサーズのディナーショー」3組6名の大抽選会。クジを引く被免職者に注目。当りは古参争議・新参争議・解決した出版労働者。溜め息の中、いよいよ山場の花束贈呈。
■壇上には、連絡会当該の徳差、神矢、そして赤羽局の池田さん・斉藤さんの4人が並ぶ。そして、長年苦楽を共にした事務局・桜井さんも壇上に上げられる。南部労組・アールプロジェクト闘争の横山さんが、京都4・28ガンバロ会の松岡さんが、ブリタニカ闘争の佐藤さんが、中大生協闘争の吉田さんが、教育社労組の仲間たちが、花束を5名それぞれに「おめでとう」「ごくろうさま」と笑顔一杯で手渡してくれた。夢は夢のままでは終わらなかった。
斉藤さん、池田さんのお礼とあいさつに続いて、徳差、神矢がこれまでの支援への感謝と今後の決意を述べた。大きな拍手に包まれた。最後に、神矢の音頭で「この勝利を、郵政職場闘争の前進へ!全争議団闘争の勝利へ!全ての闘いの勝利へつなげよう!」と、200余名の力強い団結ガンバロー!を三唱。
司会から「年齢を重ねた分だけ、仕事も厳しいようで、神矢さんはあちこち擦り傷だらけ、仕事やつれで体型は当時に近い状態に。退職まで徳差さんは2年、神矢さんは6年。限られた時間ですが、今後の職場での闘いに注目と支援・連帯を」呼びかけて閉会。
■1時間半の報告集会、3時間に及ぶ祝賀パーティー。さらに、その後の二次会にも70名、三次会に35名、そして始発電車が出るまでカラオケで歌いまくる強者も。
■想像を超える4月29日の嬉しさ満開。記念すべきその日だった。
参加できない仲間からも
たくさんのメッセージが
■JPU北海道A局分会(分会として支援)
「全逓4・28反処分闘争勝利!長期にわたる闘いに次ぐ闘いの中で勝ち取られた原職復帰、共に喜びます。日本の労働運動に一点の大きな光を与えてくれました。安倍政権の改憲策動、労働ビッグバンによる労働者への攻撃に抗するために、連帯して共に闘いましょう。私たちも本当に嬉しい」
■JPU徳島Aさん
「厚い資本の壁を乗り越えたこと、おめでとうございます。今後の現場のたたかいに活かせましょう」
■富山・元特定局Sさん
「28年という青春の全てを賭け闘い勝利された皆さん、支援された皆さんにおめでとうと言います。何とか60才まで頑張り、民営化された職場をこの目で確かめたかったのですが、病気に勝てず昨年6月退職を余儀なくさせられました。職場はますます荒廃し、仲間意識をなくさせているように思います。職場復帰した皆さんには、今度は職場で「仲間」を取り戻し、本来の全逓労働運動を取り戻してほしい。退職した私がこんな生意気を言う資格はありませんが、今の世のあり方はおかしいと…」
■国鉄臨職・和田さん
「長く苦しい闘いだったと思います。全逓の切り捨てにも負けず手にした勝利は、公務員の闘いに大きな教訓を残しました。10年先、20年先にも語り継がれる大きな勝利です。郵政職場は大変な状況ですが、その職場に戻られた意義はとても大きいと思います。でも体にはくれぐれも注意を(そんなに若くないしネ)。私も体を治し、元気に現場闘争に参加したいと思います。
■JPU東京K分会
「その場に行けない多くの組合員が4・28連絡会を支持しています。まだまだジタバタ頑張ります!」
■秋田大曲局・須藤伸さん
「支え続けた全国の仲間にお祝いを言いたかったが、29日はこちらの仲間と祝杯を上げます」
■愛媛・元宇和局Iさん
「長い闘いに敬意を表します。労働運動が衰退しているだけに、この勝利は嬉しく思います。厳しい状況ですが体に気をつけて仲間と共に頑張って下さい」
■JPU奈良県・A分会有志
「職場復帰おめでとうございます。郵政の現状にNO!と言える第一歩ですね」
■JPU奈良県・B分会有志
「勇気を与えていただいてありがとう。私もうまず、たゆまず、労働者の立上がりに向けて努力します」
■大阪・元S局Aさん
「感激・感動しています。信念と人生をかけて闘い抜き勝利した姿は労働運動の先達として若き労働者にも伝わっていくことでしょう。自分もほんのささやかな支援ができたことを誇りに感じています」
■東京S局Tさん(元・南部)
「皆さんの成したことは、苦しみながら闘っている人々(特に教育)への力強いメッセージになっていることでしょう。崩壊寸前の郵政現場、これの立て直しをやりましょう」
■目黒局Yさん
「28年間、目黒局門前で朝ビラに立つ神矢君の姿に励まされ続けてきました。ほんとうに、ほんとうにおめでとう」
■光文社労組
「おめでとうございます。まさに巨象を勇気ある蟻たち(失礼!)が倒した観があります。中に入っての闘いも厳しいものですが頑張りましょう」
■ソニー労働者Mさん
「ニュースを見逃し、4・28通信で勝利を知りました。その日は一日中さわやか・はればれの気分でした。ありがとうございました」
■元・全逓青森三八支部長
「不当処分撤回・原職奪還!青森の地からお祝い申し上げます。組合運動の指針と勇気をいただきました。ありがとう」
■広島中央局Uさん(深夜勤裁判)
一人の労働者をみんなで支えることの難しさと、そのことが実は労働運動の原点であることを、闘争の支援を通じて学びました。ありがとうございました」
■国労静岡闘争団
「勝利のパーティうらやましい!郵政民営化攻撃の中でこの勝利は大きい。ぜひ職場中で頑張って下さい。次は1047人の国鉄闘争勝利で!
■石川県A局・Sさん
「28年間は長い闘争でした。郵政の職場もJPSで大変忙しくなっています。僕47歳ですが60歳まで頑張るつもりです。北陸にもまた来て下さい」
■教育出版労働組合
「長きにわたる労苦が報われ、本当におめでとうございます。この勝利が他の争議団の大きな支えとなり、はずみになることは間違いありません。まさに継続は力なり!です」
■都立高/日の丸・君が代処分と争う青崎さん
「体調が悪くて、ごめんなさい。気持ちだけは参加します。本当に良かったです。自分のことのように嬉しいです」
■全逓加古川の仲間
「長い間、本当にご苦労様でした。正直、職場復帰できるとは思っていませんでした。闘い続ける事が大切なんだなと実感しました。これからもカンバロー!」
■船橋東局の仲間
「こういった時代に今回の勝利。今後の活動に一つの大きな希望を与えてくれました」
■在日アジア人労働者と共に闘う会
「30年近い皆様の苦闘に心からの敬意を表します。困難な現場で闘う仲間たちに限りない勇気と希望を与えてくれました」
■松山中央局Hさん
「残念ながら参加できませんが、松山の地から共に喜びあいたいと思います」
■関西単一労働組合
「長期争議は職場に戻ってからが大変、と言われますが頑張って下さい」
■東京南部Mさん
「28年余に亘る苦闘を乗り越え勝利を掌中に収めた功績は驚異にさえ思います。被処分者の闘いの歴史は多くの仲間に勇気と希望を持たせたことでしょう。あらためて敬意を表します」
■広島東局部落解放研
「参加できず残念でなりません。28年と一言で簡単に言えますが、本当に長い間の現場闘争を貫き勝ち取った見事な完全勝利!ここ広島の地で勝利の味を噛み締めております。民営化を控えさらに差別・分断・排除の攻撃は強化されるでしょう。共に連帯し闘いましょう」
■愛媛不当処分と闘うTさん
「長年の闘争の末の勝利、本当におめでとうございます。闘う勇気が湧いてきました」
●日本橋局高倉さん/事務封筒4通使用で懲戒免職
人事院で職場復帰勝ち取る!
仲間の勤続30年祝賀会案内に事務封筒を使ったことを「320円を横領した」として、05年4月28日に懲戒免職職となった日本橋局集配課の高倉さんが、3月29日、人事院で「懲戒免職を取り消し、停職12ヶ月にする」との判定を勝ち取った。 勤続28年で免職になるまで、職場では、全逓が組合機能をなくしていく中で、短時間職員など仲間の面倒見がよく、野球部の監督や、レクや歓送迎会など率先したり、交通事故にあった仲間の借金の保証人になって肩代わりしたり。とにかくいい奴で、職場のまとめ役を買って出ていた。当局には、労働者の「団結」を連想させる「面倒見」も「まとめ役」も敵視の対象でしかないのだろう。
事実、免職2年前の03年7月には、普通局総務課職員が職員の結婚パーティー案内状に業務用後納郵便で18通を速達で差し出した事件では「減給6月」でしかなかったのだ。近畿郵政局長・高祖憲治の参院選挙違反では現職の近畿郵政局長らが多数逮捕されたが、処分は最高で減給3月、大半は訓告(44名)。管理者には甘く、現場労働者は免職!という対応だ。
昨年6月、人事院公平審査・口頭審理を3日間やり切って、7月13日に最終陳述書を提出し、今回の勝利決定を勝ち取った。免職処分を受けた当初から、全逓は、東京地本はもとより千代田支部も日本橋総分会も、支援どころか、高倉さんの組合員資格を剥奪するだけが唯一の対応だった。4・28闘争の勝利でも言えることだが、不当処分に立ち向かうことのできない労働組合とは何なのかということだ。
高倉さんは4月6日、原職の日本橋局集配課に復帰・出勤した。組合的には今は未組織になっているし、今後どんな状況が待っているかわかりませんが、頑張りやの高倉さん。支援の仲間も一杯できたし、きっと元気にやってくれると信じてる。
JPU沖縄大会闘争を闘おう
●「組織統合」は労働組合解体の道
6月19日から、那覇市民会館で、第63回定期全国大会が開催される。
今年2月、JPUと全郵政はそれぞれ中央委員会を開催し、「組織統合は組合員の幸せのため」と称して、6月のそれぞれの定期大会で結論を出すとした。しかし、組織統合の基調は「生産性向上運動」だ。つまり、「組合員は労働条件を二の次にして、会社の利益のために身を粉にして働け」という御用組合そのものの基調だ。そして、全郵政は統合の条件として「左右の全体主義の排除」と称して、具体的には「旧全逓体質を引きずっている組合員の排除とその方法を自ら編み出せ」と要求し、JPU本部はそれに従うと言っている。労働条件向上のために声を上げる組合員を排除する労働組合がかつてあっただろうか。それこそ「全体主義」というものだ。
「今大会で結論を出す」と言いつつ、難波書記長は早々と「JPUスクエア」(5月5日号)で「統合協議は、友愛と互譲の精神で重ねた結果」「本年10月22日に新組織『日本郵政グループ労働組合』(略称・JP労組)を結成する運び」と打ち出した。大会議案書の配布も職場討論も始まっていないのに、全て決めてしまっているのだ。組合民主主義もへったくれもない。
議案書は5月16日に職場に届いた。民営・分社化直後の10月22日、JPU第64回臨時全国大会を開催し、組織統合を決定し、同日のうちに「生産性運動の精神に立脚し、郵政関連企業の成長・発展に寄与します」という運動の基本目標を押し立て、「JP労組」を結成するという。
●民営化前の今でさえ
郵政職場は、現職死亡者と自殺者の数も精神疾患の数も年々急増し(通信1月号参照)、当局は、「過労死は自己責任」と語るザ・アールの奥谷社長と同じく、「当局に責任なし」との立場だ。「4日連続深夜勤」「労働加重」「パワハラ」、コスト削減を名目に「人減らし合理化」「欠員の放置」「立ち作業など労働者をいじめることを楽しんでいるとしか思えないJPS」「営業ノルマと自爆営業の強要(ゆうメイトにまで)」、賃金抑制と「成果給」導入で競争を煽るなど…。
その結果が、過労死、自殺、精神疾患の急増に現れているのは自明のことだ。この1年間だけで、全国で勧奨退希望者が1万4千人にのぼった。「このままでは心身共に壊れてしまう」…。これが職場の仲間たち、特に年輩労働者の実感ではないのか。 このままではいけない。
組織統合は、民営郵政当局自身の意思だ。労働組合の立場を投げ捨て、当局の意思につき従うJPU本部を許すわけにはいかない。
●4・28闘争のこの勝利を
JPUをつき動かす推進力に
79年4月28日の不当処分から28年かかって、ついに「懲戒免職」を撤回させることができた。東京だけでも55名という大量解雇。本来なら全逓一丸の闘いで勝ち取られるべき闘いだった。しかし、全逓本部は「今後の労使協調に4・28反処分闘争は邪魔」だとして、自らの指令で反マル生闘争を闘い、報復処分で首を切られた組合員を切り捨てた。事業の発展のためなら解雇撤回闘争も職場労働条件も投げ捨てる、JPUの今日の姿は、あの時から始まったと言える。
4・28反処分闘争は、こうした全逓(JPU)本部の切り捨ての中で、「4・28闘争の勝利」と「労働組合の復権」を一個二重の闘いとして闘い抜かれたと言える。 被免職者自身の頑張りと、全国の郵政現場労働者・組合員の4・28へのこだわりの中で、地域の労働者、全国の争議団など全ての力を結集して、司法・当局の厚い壁をついにぶち破って、28年の歳月をかけて、処分撤回・原職奪還という勝利を勝ち取ることができた。
民営攻撃と労働組合の後退・解体状況が、現場労働者を襲っている。今、問われているのは、全逓(JPU)本部が行なった反処分闘争・被免職者の切り捨てという、労働組合として絶対にしてはならないことをやってしまったことの真摯な総括だ。そして、今や「生産性向上」を基調に全郵政との合併に走り、死者まで出す最悪の職場労働環境にしても恥じない全逓(JPU)の今日の姿を、現場の視点でどう総括するかだ。労働者意識・現場感覚を喪失した本部にそれができないなら、現場労働者こそが代わってやるしかない。
郵産労の交渉で見えてきた
「出向・転籍」制度の狙い
郵産労新聞によると、郵産労本部は3月26日と4月24日に日本郵政㈱と交渉。その中で、日本郵政㈱は、①出向は籍のある会社の労働条件が基本②転籍が労働条件引き下げになるかどうかは分からない③住居移転を伴う出向・転籍の制限は現実的に困難と回答。さらに出向・転籍先の具体的リストの公開の求めに対しても、①その会社の仕事は通知する②労働組合に事前に通市はしない③労働組合の了解なしに出向・転籍の実施ができない内容で協約化することはできないと回答。さらに、④「出向期間の上限」は設けない。会社が必要であれば期間は延長する⑤出向は本人同意は不要⑥「出向元、出向先会社、当事者・組合の三者間の出向契約の締結」「50歳以上は希望者のみ」との組合主張は受け入れることはできない。そして、「組合(JPU・全郵政)の全国大会で了承が得られれば、9月末までに協約化を図りたい」と言ってのけた。
郵政関連企業への出向・転籍は、期間の定めも本人希望も年齢制限もなく、通勤困難であっても、労働条件の低下があっても「やる!」というものだ。そして、JPUの大会議案書では「本人同意もなく、一律に期限を設けるのは困難だとしながらも、本人の適性や家族の事情を踏まえた上での出向と言ってるし、本人には出向の目的・期間を明示すると言ってる」ということで「交渉の整理を図った」としている。
さらに、「今回はグループ内の出向・転籍を想定しているが、将来は民間並に子会社を設立しての出向等になる」として「協議を求めたところ、協議は行うのは困難としながら、情報提供は行うとの考え方を示したので整理した」と書かれている。何ら有効な歯止めをかけることもできずに、「出向・転籍」制度を認めるというのである。
●22年9ヶ月の現場実力闘争で
ジャパマーハイツ闘争が
解雇撤回・職場復帰!
4・28大崎局・神矢が職場復帰した3月15日。その1時間後、ジャパマーハイツ闘争が争議責任者・東映とは解決協定書を締結した。
「解雇・倒産攻撃粉砕!」「東映の争議責任追及!」をスローガンに闘ってきた。不動産会社ジャパマーに資金貸付をしてきた東映は、労働者解雇等の強硬な合理化を指示・実行させて争議を引き起こした。84年の即日指名解雇。88年、ジャパマー経営の逃亡を粉砕し、解雇撤回と謝罪文を勝ち取り、経営の口から東映の争議責任を引き出し、東映闘争を強化。本社前・国際映画祭などの全国各地でのイベント闘争、株主総会闘争、東映トップの岡田自宅闘争など、現場実力闘争一本で闘い、追い詰め、交渉に引きずり出し、解決調印を勝ち取った。東映に争議責任を認めさせ、復帰職場も原職に近い不動産管理会社を用意させ、15項目に及ぶ労働条件を覚書とさせた。中大生協闘争弾圧での自宅ガサ攻撃などの攻防を闘い抜きながら、4月2日、とうとう職場復帰を果たしたのだ。三多摩労組争議団連絡会議(労争連)・争団連・全国争議団など全ての仲間と共に勝ち取った勝利だ。争団連としては、一昨年の連帯渡辺工業闘争・日野遺跡闘争の勝利・解決以来の勝利、しかも連続勝利を勝ち取ったのだ。桜満開の中、共に職場に戻ることができた。嬉しい。
中大生協闘争に14名の大弾圧!
20日目にして全員奪還!
4・28闘争、ジャパマーハイツ闘争の勝利直後の3月25日、中央大学当局と警視庁公安二課が結託して、三多摩合同労組・中大生協解雇撤回闘争に対して、キャンパス内の卒業式情宣行動を「建造物侵入」として、14名を現行犯逮捕するという大弾圧を仕掛けてきた。連続勝利を勝ち取った争団連・地域共闘の陣形をターゲットにして、現場に参加した支える会・三合労・都内争議団のメンバーを根こそぎ逮捕し去ったのだ。ただちに統一救対(関係15団体)を結成し、反撃戦に転じ、全都・全国の力で20日目にして、起訴を許さず仲間全員の奪還を勝ち取ることができた。4月29日の4・28闘争祝勝会にも被弾圧者が多数参加してくれた。本当に良かった。 戦争国家化攻撃と共謀罪新設攻撃などの治安弾圧攻撃と軌を一にして、闘う労働運動弾圧が激化している。争議現場には日常的に公安二課・所轄署が弾圧を狙って徘徊し、争議禁圧の仮処分・間接強制、損賠攻撃がかけられ、裁判所・労働委員会の反動化もいっそう強まり、戦後労働法制の一挙的改悪も進行している。私たちの闘いも、こうした攻撃との闘い抜きに前進・勝利していくことはできない。次の勝利へ、今後も共に闘っていきたいと思う。
南部交流会/春季集会・統一行動が成功
■3月30日、南部春季集会。地域に生起した課題は地域が責任をもって闘おう!と毎年積み重ねてきた。今年は、4・28闘争の勝利という大きな成果を勝ち取ることができた。連帯発言は争団連や地域共闘、共謀罪や労働契約法と闘う各戦線、地域の教育と人権を考える品川の会、障害者・鈴木さんの移動の自由を取り戻す会、渋谷のじれん、国労大井工場支部の仲間、全学研労組、ブリタニカ、アール闘争支える会。ジャパマー労組の勝利報告(3・25中大生協弾圧報告も)、基調提起に続いて4・28連絡会当該の勝利報告、南部の3争議団と南部労組テック職場闘争の決意表明。集会後の交流会は4・28闘争祝勝会を兼ねて大いに盛り上がった。
■4月20日の南部統一行動。中大生協弾圧をはね返し全員奪還し、意気あがる闘いとなった。朝は品川臨職闘争、昼はス労自主闘争、午後はふじせ学研社前闘争で、結集はのべ165名という大結集が勝ち取られた。各集会で、中大被弾圧者の報告や4・28勝利報告など。品川、ス労自主、ふじせ、南部の争議団はいずれも30年前後という長期争議だが、闘いの強化を通して局面は煮詰まりつつある。アールプロジェクト解雇撤回闘争という若い争議も生まれてる。4・28に続く勝利を何としても実現するぞ!
編集後記
■「4・28通信」は1991年1月8日が創刊第1号で、「反処分闘争の幕引き反対!原職復帰まで闘い抜こう」とある。
■以来ほぼ毎月発行し、50号記念の際は、通信合冊号として、関連資料を付して 「4・28 闘いの軌跡」を発刊。発刊にあたって「100号記念を待たずして処分撤回・原職奪還の勝利をもって通信最終号を発行したいものだ」と記したが、残念ながら!?「闘いの軌跡」はその後も「Ⅱ」「Ⅲ」と続き、それでも、そのつど「150号を待たずして…」「200号を迎える前に」と夢を綴り、そして、夢は現実となった。
■現場闘争ー連帯・共闘という争議生活を卒業し、再び労働現場での団結形成という世界に入る。
■徳差2年、神矢6年。定年まで短いが、あせらず、じっくりと…。
<闘いの年表>
1946. 5 全逓結成
1958~59 団交再開闘争
1962. マル生攻撃開始。全郵政結成
1967. 労務政策変更闘争へ
1977. 5 最高裁名古屋中郵事件反動判決
1978. 公労協統一ストで全逓脱落
8 「53・10」輸送反合闘争
12 全逓反マル生越年闘争(~1月下旬)
1979. 4 4・28不当処分発令
10 労使関係改善「10・28確認」
1980. 5 人事院公平審査始まる(52名)
1982. 7 蒲郡大会/30年総括~交渉重視に転換
1983. 7 神奈川大会「制度・政策闘争」
1984. 2 59・2郵便輸送システム~翌配体制へ
1985. 3 「郵政事業改善計画」企業意識の注入
1986. 5 人事院不当判定(1名のみ停職に修正)
1987.11 第一次活性化計画~マンパワー高揚
1989. 総評解散、「連合」結成
1990. 8 本部「4・28闘争終結ー8・22文書」発出
被免職者38名裁判取下げ
10 被免職者6名呼び掛け「緊急集会」
1991. 1 「4・28連絡会」結成
4 反処分集会に 260名
5 臨時中央委員会「反処分闘争終結」
150名で抗議行動
6 被免職者の組合員資格剥奪
7 終結反対!組合員署名6700名
全国大会「臨中決定承認」
8 当該局(大崎・向島)窓口前闘争開始
11 第二次活性化計画~事業危機の扇動
本部、活性化計画を評価~労使パートナー
1992. 5 4・28裁判再開
10 東京郵政局・大臣闘争開始
1993. 3 「新夜勤」導入
4 全逓「安保・自衛隊・原発」積極容認
1994. 1 郵便料金大幅値上げ
2 全逓中央委「全逓は方針上も政策上も、
郵政省と対立する関係にありません」
7 佐賀大会「コスト論に立った政策提言」
10 短時間職員制度の試行導入
1995. 2 「考動指針」発出
6 大崎局朝ビラで神矢・徳差不当逮捕!
1997. 3 東京郵政局、人事交流=強制配転開始
7 全逓「綱領」廃棄
11 東京郵政局、連絡会排除の鉄扉工事
1998. 2 郵便番号7ケタ化=第一次2500名削減
10 4・28裁判ー原告証言開始
12 組合員資格裁判ー最高裁で勝訴確定
郵便内務5000名削減=非常勤化
1999. 1 本部との交渉で組合員資格回復!
2 全逓中央委「事業発展はスリム化と体
質改善を。5000名削減で終わらせるな」
6 神矢、7年半ぶりに大崎局組合室に入る
9 徳差、支部大会で代議員発言
7 滋賀大会、組合規約を「組合目的を事
業の発展に置く」と変更。 120名で集会
11 大崎局闘争で被免職者に制裁処分策動
2000. 7 広島大会「20世紀の清算~権利・労働条
件より仕事の価値を創造する労働運動へ」
11 年賀はがき発売日闘争で大臣に肉迫
2001. 1 省庁再編で「郵政事業庁」発足
3 郵便新生ビジョン案(全逓・全郵政合意)
全逓「聖域もタブーも廃し全体で痛みを」
8 4・28裁判ー東郵・人事課長証人勝ち取る
近畿郵政局長、高祖参院選挙違反で逮捕
10 4・28裁判ー当時の石井平治委員長が証言
12 4・28裁判ー最終準備書面( 309頁)提出
2002. 3 4・28裁判ー東京地裁不当判決!
東京郵政局包囲デモ/連絡会&赤羽共催
4 鳥井電器解雇撤回闘争で神矢令状逮捕!
4 新集配システム「受箱・対面配達」の切
り分け=非常勤化 129局で試行実施
10 「人事制度改革」案提示ー全逓積極評価
10 4・28裁判ー控訴審(東京高裁)闘争開始
11 郵政イベント闘争に職制47名暴力三昧
12 トヨタ生産方式(JPS)の導入
2003. 1 元旦闘争(新宿局)に凄まじい職制暴力
3 郵政公社発足
5 「アクションプラン・17000人削減」発表
12 全逓臨時大会「名称変更=JPUに」
2004. 1 元旦闘争(総裁追及)に街宣カー戦術
2 「連続深夜勤」導入~過労死続出
4 「新人事制度」=成果主義を導入
6 4・28控訴審・東京高裁逆転勝利判決!
6 JPU旭川大会闘争、勝訴を手に闘う
2005. 5 JPU委員長、全特総会に出席し、過去
の特定局制度撤廃闘争を謝罪。
6 JPU大会に生田総裁・全特会長が挨拶
8 民営化法案、参院で否決。衆院解散
9 郵政総選挙、小泉自民圧勝
10 郵政民営化法成立
2006. 1 持株会社・日本郵政株式会社発足
2 JPU臨時大会ー民営化対応へ転換
全郵政中央委「JPUとの合併」提案
郵便集配1000局廃止提案
3 日本郵政㈱闘争開始
9 JPU、全郵政に反マル生闘争を謝罪
12 日本郵政㈱、民営後の人事労働条件提案
2007. 2 JPU中央委「合併は全郵政綱領を基本」
4・28裁判ー最高裁で勝利決定!
3 被免職者の処分撤回・原職復帰を実現!
4・28反処分闘争に勝利したぞ!