「判決に従い、処分を撤回し、ただちに職場に戻せ」

 大崎局闘争に90名結集
          当局を圧倒!

     〜10・19争団連統一行動〜

           大崎局前

 10月19日、大崎局団交要求闘争・昼集会が、争議団連絡会議(争団連)の統一行動として、全都の争議団・地域の労働者そして郵政職場の仲間など57団体90名の圧倒的な結集で闘われた。
 当局は、私たちの到着前から、窓口前を「立入禁止」の横棒2本で塞いで、管理者数名が中で監視ピケット体制。大崎警察署の公安を局内に配置し、労働運動弾圧を専門とする警視庁本庁公安二課2名も路上に立たせている。
 結集した90名の仲間は、局利用者や通行人に「皆さんのご支援で免職取消しの勝利判決勝ち取る!」とのチラシを配布。大崎局で免職となった当該・神矢がマイクで訴える。そして、いよいよ大崎局当局に対して「団体交渉開催」を要求する。まず、要求書を読み上げる。「6・30高裁勝利判決の骨子」「マル生攻撃から4・28処分に至る大崎局の争議責任」を明白にした上で、
 (1)高裁判決を受け入れ、ただちに処分を撤回し、被免職者神矢を原職である大崎局集配課に復帰させること。
 (2) マル生攻撃と不当な免職処分を行ない、25年という長期にわたって解決を引  き延ばし、私たちの当然の要求である解雇撤回要求に対しては職制の暴力や警察  の導入で不当に弾圧してきたことを謝罪すること。
 (3) 不当処分によって被った一切の不利益を回復すること。
 (4) 復帰以降、神矢に対する不当・不利益な扱いを一切行なわないこと。
 (5) 4・28連絡会を相手として、下記の要領での団体交渉を開催すること。
 と、明快に当局への要求を突き付けた。

  当局ひたすら沈黙
 代表団4名(被免職者2名、争団連、南部地区労働者交流会)で、当局に迫る。仲間たちがこれをジッと見守る。管理者たちは、こぞって階段を昇って逃亡。「要求書を受けとるよう」「局長に取り次ぐよう」求めるが、階段上でひたすら沈黙し、降りてこようともしない。「そもそも判決を読んだのか」との問い掛けにも目をしばたくばかりだ。やっと口にした言葉は「敷地から出ろ。営業妨害だ」。公社が言うことのみ無批判に従うだけのこの連中には何を言っても無駄なのかも知れない。全体で抗議のシュプレヒコールを叩きつけた。


   4・28闘争を支える全陣型で
 集会は、まず、神矢の決意表明。「今の管理者の対応は25年前と同じだ。今の職場状況を示すものだ。判決が確定しても、職場に戻る私にどんな攻撃をかけてくるか想像がつく。どんな形で職場復帰を実現するのか。判決に依拠することなく、こうした現場闘争の積み上げの中で、力で戻っていくほかない」と、さらなる共闘を訴えた。 連帯あいさつは、@組合つぶしの解雇攻撃に加え、社前闘争1回につき〇十万円支払えという間接強制なる争議禁圧攻撃に抗して闘うケミカルプリント闘争、A失業攻撃の中、石原都知事による野宿者の公園立ち退き条令策動を許さず、また仕事出しを求めて闘う渋谷のじれん、B争団連統一行動の次の現場である連帯渡辺工業闘争。
 決意表明は、まず、この9月に東京中郵から人事交流で強制配転されたばかりの全逓新東京の仲間。「民営化攻撃は経営形態変更と非公務員化で合理化と首切りを狙い、余剰人員を人材活用センター送りにするという国鉄方式も打ち出している。JPU (全逓)はこれに加担している。4・28勝利判決から闘争勝利へ!これを反撃の突破口にしていきたい」と決意。次に、この日の闘いを地域共闘の集中闘争として全力で結集した南部交流会から。最後に、連絡会代表から「たしかに酷い職場状況だが、何とかいい職場にして被免職者を戻したい。被免職者も職場に戻れば、頑張ってほしい。そして何より、一刻も早く処分撤回・原職復帰を果たすべく、この統一行動をバネに全力で頑張りたい」と決意表明を行なった。
 申入れ内容も、集会での各発言も「最高裁の判断がどうであれ、処分撤回=原職奪還の実現まで現場闘争をさらに強化して闘い抜く」「被免職者の職場復帰に際し、不当・不利益な扱い(配転、監視労働、弾圧ー処分)があれば第二次争議も辞さない」という、4・28闘争を支える全陣型からの決意を示し、降り続ける雨をものともせず、1時間半にわたって当局を圧倒する闘いを展開した。
 さあ!次は11月向島局闘争(南部集中闘争)だ。勝利判決を受けての秋年末攻勢を全力で闘い抜くぞ!

 地労委勝利命令を勝ち取った力で
 連帯大地闘争&渡辺工業闘争を闘う

 10月19日、争団連統一行動は、@連帯大地闘争A大崎局闘争B連帯渡辺工業闘争の3現場を貫いて、のべ230名の結集で闘われた。大地闘争も渡辺工業闘争も、8月25日、東京地方労働委員会で勝利命令を勝ち取っている。
 早朝8時過ぎ、千葉の大地市川センター前に60名。命令前は「地労委の判断に従う」と言いながら、解雇撤回・職場復帰の命令が出るや、中労委に再審査申立て。一方、雇用関係不存在訴訟を提訴し、争議禁圧の仮処分申請を行うなど、「環境と命を守る」のキャッチフレーズそっちのけに組合弾圧と争議潰しを続けている。この日、出社する労働者への情宣の後。代表団での申入れ。人事部長は「敷地から出ろ」と言うばかりだ。集会は当該の決意表明と日本キリスト教団労組、山谷争議団・反失業実、洋C支援共、4・28連絡会の連帯発言。
 大崎局闘争をはさみ、午後2時過ぎから渡辺工業本社兼社長自宅前の闘いに80名。渡辺工業も地労委命令(解雇撤回・職場復帰)が出るや、自ら行った解雇の不当性を棚に上げて、またも弁護士を解任、6人目の弁護士を雇って中労委に再審査を申立てて居直っている。この日、本社前はハリケードで封鎖されていた。当該がマイクで情宣中、警察ワゴン車が介入を試みる。所轄署の警備と本庁ら5名の公安も含め、騒然とした状態。これをはね返し、申入れと集会開始。当該の決意と、連帯大地、共謀罪新設攻撃と闘う共同行動、北部共闘から連帯板橋区パートから発言を受け、最後に一日闘争のまとめを争団連が行った。
 大地闘争は西部共闘、渡辺工業闘争は北部共闘、それぞれの集中闘争として闘われた。

 郵政公社本社・東京支社に
            朝ビラや団交要求

 
9月17日、東京支社闘争を闘った。到着するや鉄扉を閉ざす。被免職者がマイクで「東京支社(当時・東京郵政局)が発令した4・28処分は高裁判決で明確に違法と判断された。いさぎよく非を認め、処分を撤回しろ」と訴える。かつての職制暴力はなりをひそめ、2階のカーテンの隙間や柱の陰からカメラを構える姑息な対応だ。職場の仲間はトヨタ方式・立ち作業、営業ノルマなど職場実態を訴えた。最後に抗議のシュプレ。13名結集。
 10月6日には、6名の仲間で東京支社前で朝ビラ。「通信」330部を配布。
 10月7日、今度は郵政公社本社前の朝ビラで285部配布。勝利判決の意義と上告の不当性、連絡会への情報提供を郵政公社本社・東京支社で働く労働者に訴えた。

 ●どこまで下がる労働条件
    「1月2日 出勤」
 「2005年1月2日は休配ではなく、出勤になる。これは決定です」ということが支部執行部から聞かされた。こんな悪い話を、支部大会後最初の職場集会で聞くことになるとは。
 「1月2日休配」は、1974年から実施されている労働条件です。
 そもそも「1月2日休配」は、前年の1973年の「73年末闘争」で闘い取った成果です。
 「73年末闘争」は、「インフレ手当0・5ヶ月」「週休二日制」「1月2日・3日休配」を中心的要求として、「電撃的物ダメ」を戦術として闘われました。
 そして、「インフレ手当0・5ヶ月」「4週間に1回の非番日−74年9月から実施」「1月2日休配」を勝ち取りました。
 その闘い取った成果を、自ら手放すとは何たることか。「事業第一、労働条件二の次」でいいのか。これで労働組合と言えるのか。全逓からJPUの組合名称が変更になったことは、名前だけでのことではないことが、このことからだけでも証明された。 JPUの目的が「事業の発展」であるならば、「2日出勤」も当然かな?と思う。 そのJPUの組合員である私は、そんなに悲観してもいない。
 6月30日、東京高裁で「4・28免職処分取り消し」の勝利判決を勝ち取った。79年4月28日の処分発令から25年、特に、90年「8・22文書」で本部が4・28闘争を投げ捨てる中、自力・自前の団結で「4・28連絡会」を結成して以来の14年、日々の闘いを積み重ねた成果であった。
 私自身は、73年末闘争を闘い、74年2月22日、停職6ヶ月という不当処分を受けた。全逓高津集配分会は、私の他に、減給15人、戒告1人、計17人が処分された。そして、私と減給を受けた人の2人が犠救対象にならなかった。
 「利用者の希望第一」なら、次に出番になるのは(通常郵便の)日曜配達の復活もありということか。日曜休配も大変な闘いの上に勝ち取られたものだったが。
                        【連絡会代表/桜井隆夫】
   【「4・28通信」10月号の本体には新聞記事を掲載しています】

 「接遇4級」不合格なら
 配達先でアンケート用紙に書かせたり、窓口でのアンケート結果に基づき、1級〜4級にランク付けして、4級に合格しなければ、業務からはずすという。非常勤職員の場合は、一度不合格になって、再チャレンジで再び不合格なら解雇し、小包委託業者も4級以上が契約条件だいう。アンケート用紙の配布・回収にもノルマを課している。等級別のバッチの着用・給与の格差も検討しているという。とんでもないことだ。    【「4・28通信」10月号の本体には新聞記事を掲載しています】

 深夜勤廃止裁判で、被告・郵政公社が
        「深夜勤は職員の健康のため」
 原告側の訴えに対して、公社は「準備書面(1)」で、とんでもない主張をしてきた。「職員にとって何ら不利益はない」と言ってのけたのである。そして、不利益どころか、むしろ「職員の健康保持のため」「深夜・早朝帯の長時間拘束勤務の解消のために必要な勤務体系」とまで語った。
 原告団ニュースによると、「10時間深夜勤ならニュー夜勤よりも拘束時間が少ない」「通勤も週4回ですむから楽ではないか」と開き直り、「新たな休息時間が付与され」「夜間特別手当も増額支給される」から「職員に有利な勤務条件だ」と主張してきたのである。
 その一方で、「特例休息、カット時短の廃止によって実働時間を確保できる」ことで「職員630人、非常勤498人を減らすことができる」「この効率化で年間60億円の人件費を節減できる」と本音も出している。
 深夜勤職場で働く仲間の現状・実感を逆なでする言い草だ。「仮眠時間がないため、夜中はフラフラ状態で働いてる」「朝仕事が終わっても、その日の夕方に再び出勤しなければならず、心身共に休まらない」「遠距離通勤者はもっと深刻だ」「こどもがいたり、生活音などで昼間は寝ようと思っても寝られない」「これが最高4連続も続く」「深夜勤と昼間の10時間勤務(調整勤務)が続くと疲れが取れない」これが実感だ。深夜勤出勤前の自宅で心筋梗塞で亡くなった仲間さえいるのだ。

  深夜勤でまたも死者
      〜今度は新大阪局・44才〜

 9月22日、深夜勤二日目、職場で突然倒れた。クモ膜下出血と脳挫傷だ。手術のかいなく9月30日に亡くなった。原因は過労とストレスなのは明白だ。今年2月8日の導入以来、3月の東京中郵の仲間に続いて二人目の犠牲者だ。廃止以外にない。

  台風23号と郵便配達
 10・19統一行動直後の台風23号。死者68人、行方不明20人。それでも郵便配達は中止されない。住民には避難命令が出ていてもだ。1992年11月20日静岡県内は終日暴風雨。午後に入り大雨洪水警報。浜松局の仲間は日勤の1時間超勤。オートバイで大雨と暗がりの中、ついに路地で事故。身の危険を感じて帰局。当局は戒告処分を発令した。提訴したが負けた。
 人事院総裁指令14−1「職務専念義務の解除」が発令されたのは阪神大震災の時だけだった。今回はどうだったろう。

  短信コーナー
■4・28勝訴!各地で報告会続く
 東京南部A局で、全逓三多摩で、全逓埼玉で、東京東部で、あるいは神奈川でと、被免職者を招き、共に勝訴を喜んだ。「組合として喜べないのが残念」との発言が印象に残った。
■JPUの分会から何件もカンパが。
 詳細は言えないが、全国各地(分会として、あるいは分会有志として)から振り込まれてきている。全逓本部が4・28を切り捨てても、全逓からJPUと名称を変えられても、4・28に思いを寄せてくれる仲間が全国にいる。すごいことだと思う。
■9・14反弾圧闘争を闘う
 争議団闘争への集中的な刑事弾圧への共同反撃から始まって今年で第29回目。今年は9月17日、三河台公園に180名で集会。反戦ビラ入れ弾圧の立川テント村などから発言。霞ヶ関へのデモで郵政公社などに抗議のシュプレ。
■品川区臨職解雇29ヶ年糾弾闘争
 9月30日、南部交流会集中闘争で85名が区役所から区長自宅へとデモ。
■争団連総決起集会
 10月1日。弾圧を打ち破って、今期こそ争議の連続勝利を勝ち取ろうと75名。
■東海技研闘争が勝利
 2001年2月の組合つぶしの支店閉鎖・組合員全員解雇攻撃に抗して、謝罪と支店再開・職場復帰・バックペイの全面勝利で9月24日に調印。やったね!