4・28不当処分取消し裁判
  6月30日、東京高裁で逆転
 勝利判決を勝ち取ったぞ!



          
 6月30日、午前11時。東京高裁民事1部江見弘武(えみひろむ)裁判長が判決主文を読み上げた。
一、原判決を取り消す。
二、東京郵政局長が徳差、神矢、黒瀬、庄野、斉藤、名古屋に対して昭和54年4月 28日付けでした懲戒免職処分をいずれも取り消す。
三、池田に対する懲戒免職処分が無効であることを確認する。
 やった! 2年前の地裁不当判決を覆し、「原告7名全員の処分撤回と職場復帰」という逆転勝利判決だ。判決途中での喚声に、裁判長「静かに。なんて節操のない」とジロリと睨んだが、主文が読み終わると、「勝ったぞォ!」被免職者は叫び、満席の傍聴者からも「ウオーッ」という地鳴りのような歓声が法廷を包んだ。廊下で固唾を飲んで結果を待った仲間たちも躍り上がった。約70名の仲間たち。
 うなだれる当局を尻目に、誰もが「闘えば勝てるんだ」「おめでとう」と手をとりあい、肩をたたきあい、あるいは抱きあった。今日は何をしても許される。不当処分から25年と2ヶ月。四半世紀の苦闘が報われた劇的な瞬間だった。4・28闘争を投げ捨て、被免職者を切り捨てた全逓本部の裏切りもあった。互いに支えあい、共に闘い抜いてきた被免職者、職場の仲間、地域・争議団の仲間たち、みんな涙まじりの笑顔で顔がくずれてた。本当にありがとうございました。
■判決内容とその意義
 「裁量権を濫用した重大明白な瑕疵」
 判決文は24頁。その中の「当裁判所の判断」から抜粋すると、
●本件闘争は、全逓の意志決定の下に実施された争議行為に他ならず、公労法により争議行為が禁止されている以上、事業の混乱、これによる国民生活上の不利益等も、全逓およびその意思決定に関わった者が第一次的にその責めを負うべき。
●違法な争議は、業務阻害の重大さに応じて、重い懲戒処分が選択されるべきであるが、争議行為の意思決定に参画した首謀者が最も重く、その余は意思決定及びその実行の過程への関与の度合いに応じて、懲戒処分を課されるべき。
●本件闘争への参加を理由に懲戒免職とされた控訴人らを含む55名は、大半が全逓組合員というにとどまり、本件闘争の実施の意思決定に参画したと認めうる者はいない。控訴人らの懲戒免職事由とされた行為を見ても、全逓の意思決定に従った争議行為として、他の多数の全逓組合員と同様に、執拗に(見方によっては忠実に)、極端に能率を低下させ、配達せず、上司の命令にも従わなかった。
●本件闘争による大規模な郵便事業の麻痺、国民生活への大きな不利益につき、全逓の一員としてはともかく、大きな責任を負わされる理由もない。
●懲戒処分が処分権者の裁量に委ねられるべき範囲の大きいことを考慮に入れても、全逓の意思決定に従って、違法な争議行為を実施した組合員に課されうる懲戒処分の選択につき、控訴人らに対してされた懲戒免職は、社会通念に照らして著しく不合理な結果をもたらし、裁量権の行使を誤った重大明白な瑕疵があり、取消しを免れず、また、無効というべきである。
●本件処分が取り消され、又は無効が確認されれば、その判決の効力により、被控訴人(日本郵政公社)の職員たる地位が確認されるというべく、地位確認請求をするまでもない。

   司法反動を打ち破った大勝利
 高裁判決は、要するに「反マル生闘争は労働組合としての争議であり、被免職者らは本部の指令・指導に忠実に従った末端の組合員にすぎず、免職は許されない」というものである。私たちは、裁判闘争の中で次のように主張してきた。「全逓労働運動史上、4・28処分以前に解雇・免職になった者は237名いるが、闘争参加を理由に一般組合員が解雇・免職になった例は1件もないこと。75年の8日間のスト権ストでも、国労・動労に15名の解雇処分が出されたが、全て本部・地本の役員のみで、一般組合員は対象外だったこと。77年5月4日の名古屋中郵事件最高裁判決でも 『単純参加行為処罰阻却論』という判断を下したこと。同様に福岡県高教組校長着任阻止闘争事件の最高裁判決でも一般組合員の免職が取り消されていること。4・28処分は前例も判例も無視した判決だ」。地裁判決は、こうした私たちの主張を「そうであったとしても、行為の程度、態様の反社会性、反規範性が強い場合には、免職が許されないとはいえない」と否定した。この点において、高裁判決は私たちの主張を認めたのだが、前例・判例通りなのだから当たり前と言えば当たり前だ。しかし、現在の司法反動の中で、この勝利判決をもぎ取った意義は限りなく大きい。まして、江見裁判長は、87年4月1日の国鉄分割民営化に向け、84年に最高裁から国鉄総裁室に出向して「国鉄改革法」の作成に関わり、さらに国鉄清算事業団の法務課長を務め、国鉄労働者の首切りのメドがついた後、再び東京地裁裁判官の職に戻ったという人物だ。まさに大勝利だ。

   しかし一方で、不当な判断も
 しかし、判決を詳細に見れば、私たちの他の主張をことごとく退けている点について強く弾劾しておきたい。@反マル生闘争の評価、A現認の恣意性、B政治的恣意性の3点において不当な判断がされているのである。
●全逓反マル生闘争の原因は、「反動と呼ばれてはじめて一人前の管理者」(郵政省テキスト)といった言葉に代表される郵政マル生攻撃にあった。合理化に抵抗する労働組合をつぶすために第二組合をデッチ上げ・育成し、組合員に対する徹底した人事差別・脱退強要を繰り返した。組合調査でも全国で6000件に及ぶ不当労働行為が行われていたのだ。こうした攻撃に対して、労働組合・労働者が闘いに立ち上がるのは当然なことだ。しかし、高裁江見裁判長は、省上げてのマル生攻撃を一言もふれず免罪した地裁判決を踏襲して、反マル生闘争を「公労法に違反する違法行為」と決めつけたのである。公務員労働者は、どんな不当な攻撃にも抵抗してはいけないというのか。
●現認体制の問題。例えば大崎では2名の免職。被免職者神矢の溜めた郵便物は2ヶ月間の闘争期間で7万通だが、局全体では210万通の滞貨。まさに組合員一丸の闘いだったにもかかわらず、当局の現認体制はあらかじめ首にしたい者にだけ絞られ集中した。しかし、高裁判決では「現認方法の不当を主張するが、全逓組合員の多数が違法な争議行為に参加し、一方、違法行為を現認すべき者の員数が限られることは道理である以上、同じように違法な争議行為に参加した者の中においても、違法行為を現認される頻度、内容等において不均衡を生じることは十分にありうることであり、一方が懲戒を免れ、他方が懲戒され、又は一方が軽い懲戒を、他方が重い懲戒を受けることになったからといって、懲戒が不合理とされることはない」と、狙い撃ち現認を容認した。
●政治的恣意性。処分直前、本省人事局長は全逓委員長石井平治氏に、免職55名の政治的内訳を説明した。「共産党2、民青4、セクト34、その他飛びはねた者15名」。石井氏は手持ちの封筒にメモした。その封筒を証拠提出し、石井氏の証言も勝ち取った。にもかかわらず、地裁判決は「十分な証拠はない」などと言いなした。高裁判決は何らの判断も示さず、容認した。

  職場復帰のその瞬間まで闘うぞ!
  この勝利をJPU(全逓)、
     そして職場をつき動かす原動力に

 

闘争を放り投げた全逓本部の責任
●1979年4月28日早朝、全逓東京地本傘下の組合員55名に懲戒免職の処分が発令された。平均年令28才、青年労働者狙い撃ちの処分だった。
●あれから25年2ヶ月が経っていた。その間、人事院で7年間争い、1986年5月9日に不当判定を受けた。同年8月6日東京地裁に44名が提訴。
●1990年8月、全逓本部=反処分闘争指導委員会は「連合新時代の労使関係のために」として闘争終結を内容とする「8・22文書」を発出した。「省への採用と関連企業あっせんの途をひらいた」として、裁判を取下げ、40才以下の者を再受験させるが、受験資格のない者は職場復帰をあきらめろというものであった。
●本部は38名分の取下書を手に入れ、内14名が郵政採用試験を受験した。
●苦悩の末、受験を拒否、取下げを拒否した6名の被免職者には「従わなければ指導違反だ」と脅した。受験結果は全員不合格となった。しかし、本部はそれでも闘争終結に固執し、1991年5月22日「第99回臨時中央委員会」を開催した。議案は@闘争を終結する、A省への再採用の道および裁判闘争を断念する、B受験者の就職先確保に全力をあげる、C反処分指導委員会は臨中をもって解散する、というものだった。
●臨中当日、会場の伊豆長岡富士見ハイツは全逓の防衛隊100名、機動隊400名で固められ、被免職者と現場組合員、支援の労働者・争議団150名の前に立ちはだかった。ピケ動員に駆り出された全逓浜松の組合員Aさんは「絶対にできない」と拒否し、被免職者と共に防衛隊の前に座り込んだ。
●東京に戻ると、地区本部は「臨中決定を承認して、裁判を取り下げ、全逓から出て行け」「そうすれば金を出す」と金をエサに迫り、不合格者に対しては「再提訴すれば、取下げ拒否者と同じ扱いにする」と脅した。私たちはこれに屈しなかった。
●「密室臨中は無効だ。反処分闘争の継続を求める」署名にわずか二週間たらずで6、700名の組合員が応じた。同年7月9日定期全国大会(千葉市)は200名の仲間の「署名を受け取れ」との抗議を無視。本部総務部長の石川(前委員長)はマイクで「大会運営の邪魔だ。退去しろ」と叫んだ。そして、臨中決定は承認され、被免職者の組合員資格も奪われた。今思い起こしても怒りはぬぐい切れない。
●「4・28不当処分の撤回なくして労使関係の改善はない」とした定期全国大会決定を反故にし、4・28闘争を幕引きするという攻撃だった。事業の発展のためなら、解雇撤回闘争も職場労働条件も投げ捨てるという全逓(今は、その全逓の名前すら捨ててJPU)の今の姿は、この時から始まったといえる。全逓弁護団は、本部の要請で全員が辞任した。裁判は止まった。そして、被免職者6名が残った。

■この勝利は全ての仲間たちの勝利だ!
●1991年1月「4・28連絡会」を結成した。新たな弁護団(6名)も結成し、1992年5月25日、1年半ぶりに裁判が再開された。その後、一度は取下げた被免職者池田君が解雇無効裁判を起こし4・28裁判に併合・合流を勝ち取り、原告は現在の7名になったのだった。
●ここから、文字通りの自力・自闘の闘いが開始された。心ある全逓組合員・職場労働者は、わが事として4・28闘争を本部の制動をはね返しながら物心両面にわたって全力で支え、共に闘い抜いてきた。東北、北陸、東海、関西、中国、四国と、現地の仲間の車に乗って各局を訪問し、会員拡大オルグをさせてもらったことを忘れない。●1995年6月、大崎局での朝ビラ・局長への団交要求に建造物侵入で被免職者神矢・徳差を現行犯逮捕した。
●2002年3月27日には東京地裁は、前例も判例も踏みにじり、当局に不当労働行為があろうが、本部の指令であろうが、「郵政マル生など関係ない。公務員に争議権が禁止されている以上、免職は当局の裁量権の範囲内だ」として被免職者の訴えを棄却する不当判決を下した。
●そして、判決直後には、控訴手続きの当日4月8日の朝、今度は南部労組外国人労働者解雇撤回闘争への弾圧として、神矢を含む3名を傷害罪で逮捕した。職場の仲間はもちろんのこと、南部地区労働者交流会や争議団連絡会議の仲間は、不当判決も刑事弾圧も丸ごと引き受け、これをはね返すべく共に闘ってくれた。
●また、弁護団は、旧全逓弁護団に変って、それまでの主張の上に新たな主張を加え、原告以外の証人採用を拒否する裁判長・高世三郎の忌避(高裁で却下)、その後の裁判長交替の中で、いったんは拒否された当時の東京郵政局人事課長、さらには当時の全逓委員長石井平治氏の証人採用を勝ち取った。特に、石井委員長は快く証言を引き受け、「この闘いの責任の一切は私にある。彼らの処分撤回を」と結んでくれたのだった。
●こうした、やりうる闘いの全てをやり切った上での今回の逆転勝訴を勝ち取ったのだ。全逓本部に奪われた被免職者の組合員資格も99年12月、最高裁決定で奪い返した。
●今回の勝利は、被免職者をはじめ全ての仲間たちの勝利だ。判決一週間前の6月23日には、全逓第59回定期全国大会(旭川市)が開催され、全逓からJPU(日本郵政公社労働組合)へと名称変更した。全逓の名前と一緒に労働組合としての役割をも投げ捨てようとするものだった。
●今回のこの勝利をJPU(全逓)をつき動かす原動力にしていきたい。最悪の労働条件に苦しむ現在の職場状況を変えていく力にしていきたい。全国の争議団闘争勝利への推進力にしていきたい。
●この勝利判決はまだ確定したわけではない。最高裁がある。しかし、私たち4・28連絡会は、これまでも「判決がどうであれ、不当処分は撤回させるまで闘う。仲間の首は仲間の手で取り戻すまで闘う」として闘ってきたのであり、処分撤回・原職奪還実現するその日その瞬間まで、さらにこれまで培ってきた共闘の力で闘い抜く決意だ。とりあえず、全ての仲間たちへの感謝の言葉としたい。本当にありがとうございました。
                               4・28連絡会
                                 代表    桜井隆夫
                                 被免職者 神矢努(大崎局)
                                    〃  徳差清(向島局)
                                           2004年7月7日

  喜びの報告集会

      
 法廷を出て、弁護士会館に向かう。みな喜びの笑顔いっぱいだ。刑事失職攻撃と闘う藤沢局の稲田さんもきてくれた。司会の被免職者徳差が「2年前の地裁判決では悔しい思いをしたが、皆さんのおかげで勝利判決を勝ち取る事ができました」とあいさつすると、大きな拍手が沸いた。まず弁護団。
◆伊東弁護士
 (判決文を手に)重大かつ違法な争議行為はあったが、争議行為を指導した者の責任は問われても、組合の意思決定に従った一般組合員を免職にした4・28処分は重大な違法があるとした判決だ。
◆遠藤弁護士
 江見裁判長は労働者側とは言えない裁判官だが、最初から「この処分はおかしい」と見ていたと感じられた。今の情勢で、高裁での勝利は大きい。誰が何をしたかというような細かい内容ではなく、争議という大きなレベルでとらえた判決だ。
◆鈴木弁護士
 全国の労働者を激励するドデカイ勝利だ。
◆和久田弁護士
 弁護団を編成して13年。最高です。
※虎頭・大口両弁護士は判決後所用で参加できず。

 そして被免職者が喜びを語る。
●斉藤(赤羽)
 江見裁判長では1億分の1かなと昨夜黒瀬君と話してた。これからも皆さんと共に歩んでいく。
●名古屋(八王子)
 25年間でこんな嬉しいことはない。
●池田(赤羽)
 辛かったこともあったから今日がある。美酒に酔いたい。
●神矢(大崎)
 処分から25年。全逓で11年。あとの14年間は皆んなに支えられてきた。それで勝てたのが一番嬉しい。復帰の日まで頑張る。
●黒瀬(高輪)
 (涙で言葉にならず)ありがとう…。
●徳差(向島)
 裁判が始まって16年で敗訴し、高裁で1年半。人事院から25年。まだ最高裁があるが、現場闘争を含めて闘い、原職奪還をめざしたい。
※立川局・庄野君は欠席
 その後は記念撮影だ。皆んないい顔しているねェ。ほっぺたをつねられた黒瀬君は「イテテ。夢じゃない。イテテ」と。70名の参加。

 ●公社は上告するな!判決を受け入れ、ただちに職場に戻せ!
    直後に公社前抗議行動

         
 かねてからの予定行動。記者会見を終えて、12時45分には公社前を陣取った。「4・28連絡会」「4・28ネット」「赤羽闘う会」の共催。判決内容を知らずに駆け付けた仲間も多く、公社は判決に従えェ!などのシュプレヒコールに「エーッ!勝ったの?」と驚くことこの上ない。公社は、判決の知らせを受けて、ただちに鉄扉を閉ざしたようで、ひっそりしている。一方、鉄扉前は宮城や兵庫からきてくれた全逓組合員、深夜勤明けで眠気まなこで駆け付けてくれた仲間、争議団の仲間などで大はしゃぎだ。結集は60名。最初に神矢の音頭でシュプレを叩きつける。勝利判決を勝ち取ったぞ!職場復帰命令を勝ち取ったぞ!ただちに処分を撤回しろ!原職に戻せ!雨だというのに、皆んな威勢がいい。当たり前だ!勝ったんだから。池田・名古屋・徳差・神矢が順番にマイクを握った。「準備はできてる。明日からでも職場復帰させろ」と言う被免職者も。
 そして、その後は、新橋まで歩いて、全国の仲間、職場の仲間たち、争議団の仲間が被免職者を囲んで大祝勝会。乾杯の音頭は東灘局解放研の北川さん。臨席のサラリーマン達も一緒に乾杯してくれた。全逓宮城の谷さんも「来て良かったァ」と。大騒ぎしているうちに、仲間が夕刊全紙を抱えてくる。「出てる出てる」とまたまた大騒ぎ。当時の全逓委員長石井平治さんに電話で報告した。石井さんは裁判で全逓本部の妨害をはねのけて証言台に立ってくれた。心から喜んでくれて「皆んなが頑張ったからだ。おめでとう」と言ってくれた。夜6時にはNHKラジオニュースで、夜9時にはNHKニュースでも放映した。岩手日報や大分合同通信社でも報道された。最高の一日だった。翌朝目がさめたら、やっぱり夢じゃなかった。確かに俺たちは勝ったんだ。俺たちの力で。皆んなの力で。
 ★郵政公社は7月13日、上告手続きを行なった。許せない。最高裁でも勝利するぞ!

    4・28反処分闘争の勝利へ
      夏一時金カンパのお願い

    
25年という長い闘いになっています。しかし、高裁勝利判決を
      受けて、いよいよ待ったなしの正念場に入っています。
       職場では、賃下げなど厳しい状況が続いていて、
      心苦しい限りですが、皆さんの貴重な一時金の中から、
         暖かい闘争支援カンパを寄せて下さるよう、
            心からお願い致します

       [郵便振替口座]00150−8−605198
               加入者名/ 4・28連絡会

  
全逓旭川大会闘争を闘ったぞ!

 この旭川大会の位置は決定的だ。名実ともに「全逓」としての最後の大会にしようというものだ。「組合名称変更」の名をかりて、「全逓」の名称を「権利の全逓」と言われたその歴史ごと投げ捨て、労働組合として果たすべき役割をも捨て去って、労働者を全面的に「公社のために」奉仕させようとするものだからだ。
 大会前日、私たちは北上する今年最大の台風をかいくぐって旭川空港に到着。会場である旭川市民文化会館に下見に行くと、本部関係者が「明日はマイクを使った時点で即逮捕だ」などと言ってくる。夕刻からの職場交流集会と懇親会で全国の仲間たちと交流して、そして大会当日の朝を迎えた。
 朝8時まえに会場に到着。時折り雨もぱらつく曇天。横断幕などの設営とビラ配布の準備。8時半頃から代議員・傍聴者が続々と到着。4・28連絡会は「郵便に続き集配も10時間労働を導入!組合員をどこまで売り渡すのか」という「4・28通信 大会特集号」1200部を配布した。開場は9時過ぎなので、何百名も行列をつくり滞留する。被免職者・神矢の司会で、全国各職場の仲間たちが次々とマイクで大会参加者に訴えるリレートークが開始される。全逓宮城の仲間、強制配転に反対する近畿の会、全逓兵庫、全逓愛媛、全逓神奈川、全逓大阪、激励に駆け付けた国労旭川闘争団。それぞれ「1ネットという集配10時間労働制は19世紀の労務支配に戻すものだ。全逓の責任だ」「組合として職場に仕事研をつくれとは何だ。仕事のためなら命も削れという攻撃だ」「未来づくり宣言は組合としての裏切り宣言であり、その方向は『地獄の未来づくり宣言』だ」「郵便内務労働者のアウトソーシング、集配の1ネット、配達デポという大量首切り攻撃をこの大会で丸飲みしようとしている。運動方針に×を!この方針を推進してきた役員に不信任を!」「深夜勤でとうとう仲間が殺された。郵便も集配も、現場を何も知らない本部の役員たちが現場の労働条件を決定していいのか」「単なる名称変更ではない。労働者の生活と権利を守るべき全逓としての誇りと運動形態全てを否定するものだ。今こそ闘う全逓の旗を守り、職場での当局との攻防を通して、仲間との団結をつくり闘い抜こう」と訴えた。中でも宮城の仲間の発言に東北地本・野中委員長が噛みつくや「立ち作業、自腹営業、早期退職や自殺など、今の職場がいいと言うなら言ってみろ」とまさに一騎打ちの対決に、滞留した大会参加者が息を飲んで注目。まさに大会討論さながらに展開された。
 会場のドアが開き、代議員・傍聴者が入場していく。大会闘争に結集した40名の仲間は「本部は労働条件悪化の責任を取れ」「職場に闘う労働運動を築こう」「代議員・傍聴者は頑張ろう」とシュプレを上げて、いったん休憩。
 

昼には、本部島田総務部長を呼び出し、「4・28被免職者の組合員としての権利行使の制限・妨害をやめ、反処分闘争を再開すること」「深夜勤の即時中止」の二本の申入れを行なった。島田総務部長は「4・28は調査の上」「新夜勤は私も経験がある」などと開き直る発言に終始、「権利制限の実態は何度も言ってるではないか」「被免職者は組合室にも入れないのか」「新夜勤と深夜勤とは全く違うではないか」とさらに追及を前に、しどろもどろとなって「会場に戻らせて下さい」と結局逃亡した。そして、昼集会。連絡会など4・28を闘う3団体の「高裁で逆転勝訴を職場の仲間の力で勝ち取るぞ」という決意表明、深夜勤と闘う新東京局の仲間、トヨタ方式に加え、集配10時間勤務の試行まで予定されている芝局の仲間り決意を受けて、最後にシュプレ。来年の大会開催地は奈良ということだ。さらに地力をつけて頑張るぞ!打ち上げは中華屋さんで。大会闘争の感想と今後の展望を語り合った。
 【「WEB版めいなん通信」傍聴記より抜粋転載】
 大会は、オープニングセレモニーとして、JPU歌が披露され、JPU旗が会場の傍聴者・代議員の頭上を通って演台に上がる演出で始まった。
■委員長と生田総裁あいさつ
 石川委員長の挨拶は全て議案にあることで、職場で苦しむ組合員・労働者の存在を感じさせないもので、しゃべればしゃべるほど、JPUの理念を言えば言うほど、会場の参加者がどんどんしらけ、元気がなくなっていく感じで、拍手もまばら。
 生田総裁は「公社は本部と思いは同じ」「労使パートナー宣言」を評価し、「公社の目標は全て達成した」と自信にあふれた発言だった。「次なるアクションプランで拡大再生産へ反転攻勢をしていくんだ。ゆうパックのシェア拡大の上にさならる改善、JPSの全国展開で10%の生産向上(「労働強化ではない。報道を信じるな!」)の達成」など強い決意を語った。しかし、ゆうパックは職員に自爆営業のたまものであり、誤配事故の半減は局長の自己保身ゆえの(作った)数字でしかない。「越谷局では職員は生き生きと働いている」という発言は、現実を見ればわかる通り、そんな職場があれば自殺や精神疾患に追い込まれたりはしない。
■全国の悲痛な叫びが聞こえた
 発言の多くは「原案支持・補強の立場で」と言いつつ、議案の柱である「未来づくり宣言」に関して、現場組合員と乖離しない運動づくりを訴えていた。厳しい職場実態、勧奨退職せざるをえない組合員の現状。「人事制度改革」も管理者の恣意的評価になっていることや、ただ働き・自腹切りが根絶されない現実が、ほとんどの代議員から報告された。中でも北海道からは現在、道内8局で実施されている「スタンディングワーク(立ち作業じゃないか!)」について「非常に過酷な作業だ。中止と、これ以上他の局に広がらないようにしてほしい」と現場の悲痛な声が出された。このようにJPSについても「施策だけがどんどん進み、検証など一切なく、現場や組合員の意見も聞かない」と多くの代議員が訴えた。こうした現状に本部はどう答えるのか?疲れきっている現場組合員の姿が見えているのか?しかし壇上で居眠り(自分にはそう見えた)をしている委員長の姿からは、とても届いているとは思えなかった。
■本部中間答弁
 1ネット、配達デポ=期間限定協約を公社に求める。関係支部と往復運動に努める。 新集配システム=概ね順調に推移してきた。(会場から多数の野次!)秋に再評価。 JPS=全国展開は職場に現実にあわせた創意工夫で。
 勤務時間の見直し=6ヶ月後の実態把握でカイゼン交渉。深夜の休憩問題を交渉する。
 保険外務フレックスタイム制=3ヶ月後の検証。それ次第で12月に試行局拡大。 「新集配システムは概ね順調に推移」との本部発言の通り、本当の実態や苦労している組合員のことなどやっぱり考えていないようで、冷静な私もさすがに頭にきた。■中間答弁後の東海・名城支部長の発言
 中間答弁後だから重複は避けろと言うが聞いてほしい。職場での組合員との会話で「深夜勤が入って本当にしんどい、何とかしてほしい」「本部は自腹切りのような営業はなくなるというが、今度はエクスパックの中に麺や塩・だしを入れたものを売って来いという。一体どうなっているんだ」。職員不在のJPS。道順組立の立ち作業化、転送還付処理まで立ってやる必要がどこにあるのか。貯保職場はコンプライアンスの必要以上の指導が職員の営業意欲に水を差す。将来展望が開けず早期退職してしまう仲間が増えた。労働組合の原点である助け合いの精神を忘れかけている。定年まで働ける職場づくりを。輸送部門への今回の対応。同じ組合に集う仲間として心が痛む。
■本部最終答弁
 JPUへの決意=これ以上の組織減は影響力をなくす。魅力ある組織と運動をめざす。組合員は手を携えて明るい未来を切り開こう。(傍聴席に拍手はなく、代議員席だけ…どうしてだろう)
 投票行為を終え、新体制で「全逓」から「JPU」へと新たなスタートをした。
■投票結果
 運動方針(04年〜05年)  賛成297票  反対48票
 新三役体制  菰田委員長(近畿) 信任280  不信任64 無効1
        本庄副委員長(東京)信任299  不信任44 無効2
        難波書記長(中国) 信任267  不信任78

集え!あさひかわ全国職場交流集会 報告

 昨年6月の全逓全国大会闘争(東京・新宿)の前日に初めて開催したのが第1回目。同年12月の全逓臨時大会闘争(埼玉・大宮)の前日に第2回目。そして、今回が3回目。公社発足以来の攻撃の分析と反撃の可能性、職場に闘う労働運動を築こうとする私たちの運動の点検と力量の強化の方向を模索し、全国で苦闘する仲間たちとの交流と共闘を蓄積させてきました。今年は、北の大地・北海道という遠方での開催となりました。
 全国大会前日の6月22日の夕刻。会場は、大会会場のすぐ近くの「旭川ときわ市民ホール」。ちなみに同時刻に本部は某ホテルで「JPU発足記念レセプション」を開催。全代議員出席(傍聴者は排除)で「最低でもジャケットを着てきて下さい」との指示で、各代議員は突然の指示で、傍聴者との飲み会をキャンセルしたり、背広を買いに走ったり大変だったようだ。
 一方、こちらは、全逓ジャンバーや短パン姿などフリースタイル。東京、神奈川、宮城、大阪、京都、兵庫、愛媛、支援労働者など30名。司会は全逓京都中郵の仲間で、「大会と我々の課題」(全逓東京・目黒)、「深夜勤の現状と課題」(新東京)、「全逓東北の現状と課題」(新仙台)、「翌日大会闘争の提起」(4・28連絡会)のプログラムで進行。今の全逓の状況の中で、例えば新東京局の二普、二特、三特の各分会で新夜勤アンケートを分会として実施したり、あるいは東北の地で現場の声に根ざした分会ニュースの発行にこぎつけた経験や4・28や反戦課題を職場の若い人たちと共に闘ってきた経験などを共有しながら、自分たちの力で職場を変え、組合を変えていこうという討論がなされた。9月4日〜5日にはこうべ職場交流集会が開催される。現場を顧みようとしないJPUの発足の中で、全国をつらぬく職場労働者の交流と団結の強化がいよいよ求められていると痛感した。

  交流飲み会に石川委員長が…
 大会前夜、全国職場交流集会を終えて、旭川市内の酒場「天金」で全国30名の仲間で、自己紹介や翌日の決意を語り合っていたとき、隣りの座敷から何と菰田書記長が出てきた。「あっ!菰田だ」と思ったら、今度は隣りの便所から石川委員長が出てきた。委員長退任の慰労会か、機嫌良さそうな赤ら顔。すかさず「石川委員長!」の声が飛ぶと、組合員に「ご苦労様」とでも言われると思ったか、我々の部屋に首を突っ込み「石川です」。そこで、近畿の猛者A氏の登場。「なんじゃぁコラ!こんな職場にした責任を感じないのかお前は!どの面さげて委員長じゃ!何とか言わんかい!」と、猛然と糾弾。酔いも醒めたか、慌てて菰田の後を追って店から逃げ出した。しばらくは一人で飲み屋にも行けないだろう。さらにおまけのエピソード。全国大会闘争をやり切って、富良野に行った仲間たち、偶然にも公社総裁生田の一行7〜8名とバッタリ遭遇。今度は猛者B氏がサシで生田と勝負したそうだ。

 郵便内務のアウトソーシング(外部委託)
  「人材活用センター構想」を許すな!


3月提示を、大会議案にも載せずひた隠し
 別掲(「4・28通信」実物には掲載)の文書は、公社事業本部が全逓中央本部に提示したものだ。郵便内務を外部委託し、大量の人員削減を強行するというものだ。そして、余剰人員は人材活用センター送りにするというのである。国鉄分割・民営化攻撃に際して、大量首切りのために全国各地に人材活用センターを設置し、再訓練と称して線路の草むしりをさせたのと同じ手法だ。「職権による職種変更制度の創設」も打ち出し、集配などへの他の事業への配転攻撃を行ない、その上で、高令者や低実績者を狙い撃ちに首切りの対象にしようというものだ。加えて、「JPS(トヨタ方式)の推進」として、「10時間2交替制の導入」「道順組立作業の非常勤化」なども提示している。
 本部は、今年3月11日に、郵政公社郵便事業本部から提示されながら、これだけの大攻撃を現場組合員・労働者に何ら情報公開することなく、6月23日からの定期全国大会議案書にすら掲載せず、ひた隠しにしてきた。本部の「雇用確保」など大ウソだ。絶対に許せない!

【深夜勤廃止裁判原告意見陳述A 要旨】
 5月24日、深夜勤廃止裁判が開始され(詳細は「4・28通信」6月号)、原告12名を代表して3名が意見陳述を行なった。前回紹介した長崎中央局鈴木さんに続いて、今号で残りのお二人の意見陳述を紹介したい。
きたい。

  同じ職場の仲間が死んだ

 この深夜勤は11時間もの長い時間拘束され、深夜働いているにもかかわらず仮眠する時間が一切ないという非常に過酷な勤務です。一晩中一睡もできず、朝仕事が終り、またその日の夜10時から11時間も拘束して働かせるという勤務です。まるで人間が機械の一部でしかないような勤務です。職場によってはこの11時間拘束の勤務が4日間も続くというひどい状況です。
 私と同じ職場(特殊課)で働いていた58才の諸岡さんは「深夜勤」が実施されてまもない、本年3月3日に命を落とされました。当日の勤務は深夜勤でした。深夜勤の犠牲者と言っても過言ではありません。慢性的な睡眠不足と過度なストレスの蓄積が諸岡さんの命を奪い、多くの仲間の健康的な生活を破壊しています。私自身、明け方の4時から5時頃にかけてどうしようもなく眠くなり、洗面所に行き冷たい水で顔を洗ったりすることが何度もあります。当然注意力も落ち、業務上のミスが起きることも予測されます。勤務終了後はぐったりと疲れ、すぐに帰る気力もなく、休憩室の長椅子で1〜2時間寝てしまう。体調の回復しないまま二日目の深夜勤のために夕方7時半頃には仕事に出かけます。
 最近、私は、7〜8時間連続して眠ることができず、必ず2〜3時間で目が覚めてしまう浅い眠りを繰り返す日々を送っています。睡眠障害ではと不安です。一日も早い深夜勤の廃止をお願いします。【東京中央局/久米治彦】

  文字通り「郵便絶望工場」

 深夜労働からの解放は、私たち郵便内務労働者にとっては長年の悲願です。夜間労働がある程度必要になるとはいえ、必要最小限に押さえられるべきであり、労働者の健康と社会生活への支障が可能な限り軽減されるよう最大限の配慮が払われねばならないと思います。しかし、現在の郵便職場の労働条件は、郵政省、郵政事業庁、郵政公社と経営形態が変わるに従って悪化の一途を辿っており、文字通り「郵便絶望工場」と化してしまっています。
 今回の改悪では10時間深夜勤だけでなく、調整勤務として10時間の昼間の勤務も導入されました。私の4週間の勤務は、泊まり勤務(新夜勤)が5回で10日、調整勤務が5日、週休が8日です。一日8時間で帰れる日は5日間しかありません。もし、泊まり勤務がもう1回増えれば調整勤務も1日増えるので、8時間で帰れる日は4週間でたった2日間だけになってしまいます。
 10時間労働の調整日は拘束時間が11時間になります。私の場合は通勤に往復4時間かかるので、朝食と帰宅後の食事に2時間とられたとすれば、後は睡眠時間しか残りません。家に帰って食事と寝るだけの生活です。4連続の深夜勤となれば、まるまる1週間は仕事にガンジガラメになってしまいます。一体こんな生活のどこに「余裕」だとか「ゆとり」を感じることができるでしょうか。
 私たちの職場には本務者を上回る非常勤職員が採用され、深夜の仕事を支えています。彼らは低賃金でいつ「雇い止め」されるかわからない不安定雇用です。勤務は本務者とほとんど変わらないにもかかわらず、本務者と比べ休憩時間が大幅に削減されました。何の合理性もなく差別は明らかです。私たちは非常勤職員の悔しさも背にこの裁判に立ち上がりました。私たちにとっては「やむにやまれぬ」闘いです。
                        【京橋局/沓沢志宣】


深夜勤廃止裁判・原告は近畿から4名が合流
 次回裁判日程は、7月15日(木)11時15分〜東京地裁705号法廷。新たな原告は、尼崎局、大阪城東局2名、大阪西局。合計16名になりました。



 編集後記

■勝利判決を勝ち取った夜、家に戻って、酔った勢いであちこちに電話しまくった。2〜3日して、また「驚かないで聞いて」などと電話したら、「ナニ言ってるの?あの日の夜、電話くれたじゃないの」と言われた。それでも、「良かったねぇ」と二度目の激励をいただいた。
■上告期限は判決から二週間。上告したら50日以内に上告理由書の提出を義務づけられている。7月6日現在、公社はまだ上告手続きをしていない。組合員資格を取り戻した高裁判決の時、本部は12日目に上告した。半年で上告は却下された。
■司法反動の下で、最高裁がどんな判断を出すのか予断を許さない。しかし、4・28処分の不当性と私たちの闘いへの確信に揺らぎはない。処分撤回まで、公社を大崎・向島局を攻め続けるのみだ。
■北九州自立連帯労組・オートウェイ闘争に刑事弾圧!
 7月1日、社前闘争の最中、自作自演の傷害デッチ上げで準現行犯逮捕。7月4日に釈放を勝ち取った。全国の仲間がついてるぞ。頑張ろう。