労働者を職場に取り戻すことは大変なことだ。
闘い続けることはもっと大変なことだ。
しかし、やらなきゃならない闘いがある。
  1978年、全逓労働者は年末から正月にかけて、反マル生闘争を闘った。
  年賀を拒否して闘った。
  毎日毎日、業務命令、訓告、戒告、減給と、処分にもオドシ・監視にもまけずふんばった。
闘うからには理由があった。
度重なる合理化、組合つぶし、不当労働行為の数々。
労働者が職場に労働者の権利を打ち立てるために、たたかったのだ。
  翌1979年4月28日、郵政省は、自らの不当労働行為にほおっかむりをして、
  さらに過酷な報復処分で応えた。解雇3名、懲戒免職58名など………。
  全国8,183名への処分。
現場労働者を対象にした戦後最大の処分攻撃だった。
全逓は「処分撤回・職場復帰」まで組織をあげて闘い抜くことを決定した。
しかし………。
  全逓本部は、「連合」加盟の翌年、1990年「8・22文書」を発出し、
 「連合全逓と労使関係にとって4・28は邪魔」とばかりに、闘いも被免職者も切り捨てた。
  4・28連絡会はそこから生まれた。
  自力・自前の団結で、郵政省に処分の責任をとらせるまで、
  仲間を職場にとりもどすまでたたかおうと・…‥。

4・28反処分闘争とは何だ!

4・28反処分闘争とは何だ!

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