国際基督教大学(ICU)と
ダグラス・マッカーサー


 「わが司令部の将校たちは、靖国神社の焼却を主張している。同神社焼却にキリスト教会は、賛成か反対か」と、法王使節団に統一見解をもとめた、ダグラス・マッカーサーでした。
 「排除すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない」これが、駐日ローマ法王代表を務めるビッテル神父の回答です。
敗戦の年、10月のことです。占領下においた日本での布教です。信仰の自由を掲げた、戦勝国としての自信があったのでしょう。しかし、その自信も敗戦国民に蹴落とされました。
 その時代、一千万冊もの聖書と2500人もの宣教師を投入したにも拘らず、戦前の10万人のカトリック信徒が占領期を経て13万人に増え、プロテスタント信徒が20万になった、それだけの結果に終わったのでした。以後、キリスト教は、日本で、開かぬ扉のもどかしさを、味わうことになるのです。

 「アジアの人々にキリスト教を広めるのに、キリストの誕生以来の、比類ない機会」このような文章を綴らせたのは、“日本人の精神生活は、戦争で空白となっているから、キリスト教を日本人に布教するのには、今が絶好の機会である”との思いがあったからです。別な書簡にみられた、マッカーサーの心の片鱗です。
 マッカーサーの布教への意気込みは、民間情報教育局長ニュージェントに語ったメモで知ることができます。

「日本がキリスト教化される様にというのが、自分の希望と信念であり、その目的にむけて、一切の可能な努力が行われている」

 日本のキリスト教化を考えていたマッカーサーは、国際キリスト教大学(ICU)の設立に強い関心を示し、協力を惜しみませんでした。メソジストの宣教師・ディフェンドルファーが中心となって1948年に「日本キリスト教大学財団」が設立され、募金が開始されたとき、マッカーサーは名誉議長を引き受けています。
 財団には、他にも政治色の強い人がいました。アメリカの国内委員会議長として前駐日大使のジョゼフ・グルー、日本側の責任者として日銀総裁の一万田尚登、などです。このとき、グルーには、「共産主義に対する精神的砦」とする構想があったようです。

 急死したディフェンドルファー博士の名を冠したのが、国際基督教大学の学生会館、ディフェンドルファー記念館(D館)です。2000年には、ディフェンドルファー新館が完成し、旧館が東棟、新館が西棟となりまた。
 旧D館東棟は、学生運動の舞台でもあったのです。
 卒業生の回想文があります。

 「1968年秋頃から、食堂前にはタテカンが目立つようになり、1966年にこの大学であった能研闘争とよばれる入試制度改定反対の学生運動の一見続きと見えていたものが、大学運営全般への改革への要求運動とも重なり、学内は騒然としてきた」
 「1969年10月20日、大学側は機動隊の出動を要請、早朝には機動隊が出動、この日の午後までには、主要建物をグルっと取り囲むように鉄板の柵が打ち込まれた。学生運動派は建物からすべて排除され、翌日からは「柵の外」で活動をはじめることとなった。1週間後、大学側から授業の再開、そして登録の呼びかけが行われ、柵の一部にチェック・ポイントが設けられ、そこを通じて教職員・学生が出入りすることとなった」

 流血と退学・解雇で弾圧し、1970年に終結した学園紛争の様子です。

 1980年代に入ってからも、旧D館東棟が舞台に登場します。大学と学生との間で、D舘の管理体制が問題になったのです。その背景には、授業や成績制度を問題視しないICUへの無批判、それに順応できない学生は除籍するという、大学の管理志向がありました。
 当時を物語るものとして、新聞会の資料があります。
身近に感じられる、成績による賞罰制度。ICUの選別主義・能力別編成。「自由と規律」を掲げる大学、「管理と馴れ合い」と受け取る学生。
 全て閉鎖された裏門。大学には正門のほか、3つ門があります。ですが、各門、人ひとり通れる通用口を残して、大扉は閉鎖されています。このICU構内には、教職員住宅があり、学生寮もあるのですが、出入りする門を一つに絞れば、管理し易くなるのでしょう。
 学生会館・D館にあっては、館長の認可制の下、部室の鍵まで管理される、部室使用内規があります。
 これら、学生の自主的活動を抑える、大学の管理体制が徹底していたのです。

 ICU創立に貢献したマッカーサーですが、大学の「歴史と沿革」には、登場しません。そのなかで、

 “敗戦の復興が緒に就いたばかりのこの時期にあって、大学の礎が多数の人々の国際的な善意によって築かれたという例は、ICUをおいて他にありません。”

と、特異な事情が存在したことを仄めかせています。
 元ICU教授が、「平和の鐘」と題して、一万田尚登について語っています。

 この大学には創立者たちの名を記念する建物その他がいろいろあります。ディフェンドルファー記念館、シーベリーチャペル、シブレーハウス、マックリーン通り、ルース・ミラーガーデン、湯浅八郎記念博物館。しかし、これほど大きな功績のあった一万田尚登氏の名を記念するものはありません。
 一万田尚登氏に、後援会長となって、総計1億5千万円の募金を行うことを依頼し、一万田さんの応諾を得ていますから、一万田さんの回顧はこの事実を指しているのでしょう。その背景には、マッカサーは国際基督教大学の創設に強い『思想的支持』を示していたので、そのマッカサーの信頼の篤かった一万田尚登氏にお願いしたのだろうと、武田先生は推察しています。

 占領下日本での絶対的な権力者であるマッカーサーの名前が、募金に果たした役割は大きかったにも拘らず、マッカーサーの名は、「思想的支持」者に留まっています。

 現在、日本のキリスト教信徒は、全人口の約1%程度です。アメリカの影響下にあり、クリスマス商戦盛んな国として、この信徒数は、多いとは言えないでしょう。
 日本をキリスト教化するのが、マッカーサーの希望と信念であったにも拘らず、信徒数は増えませんでした。しかし、マッカーサーの可能な努力の一つとして、惜しまぬ協力の下で、国際キリスト教大学の設立募金は成功しました。力ずくで、立ち上げられた学園は、管理志向の強い学園になったのです。ですが、この国際基督教大学の学風が、キリスト教のあるべき姿とは思えないのです。

 キリスト教を母体とする福祉施設の一つに、特別養護老人ホーム・キングスガーデンがあります。入居者の介護をするヘルパーは、クリスチャンです。家族がお世話になりました。7年ほど、面会に通いました。その7年を通じて、キリスト教の教義を聞かされる事はありませんでしたが、あるヘルパーが、罪の意識を持っています、と話してくれたことが印象的でした。
 キリスト教を身近に感じた二つの場所です。派遣された警備員として体験した国際基督教大学、家族の世話を託して面会に通ったキングス・ガーデン、対照的な場所でもありました。大学の欺瞞に憤り、施設の暖かさに感謝したのです。これらの場所で、統治目的の手段にも成り得るキリスト教の力を知り、救済目的で活動するクリスチャンの姿を知りました。

2002年12月19日