国際基督教大学の、標語と実態


貴方は、国際基督教大学が、キリスト教の精神に基づいて、3つの使命を掲げていることを知っていますか。人間の育成を目的とし、世界平和への献身を誓う、基督教大学が、自らに課した使命です。
高尚な精神により定められたものです。でも、これら3つの使命が、構内の職場で生かされているのかどうか、ある事件を通して、語らせてもらいます。


事件は、2001年11月、突然の解雇から始まります。それは、労働争議の始まりでもありました。突然です。出勤したら、いきなり辞めろと言われたのですから。狙われた首は、藤商会から保安員として派遣されていた、高杉組合員の首です。切られてしまいました。
切られたら化けて出る。直接の雇用主、藤商会と、生首持参で団体交渉を重ねました。
この団体交渉、交渉を要求するは労働組合です。藤商会から「やりませんか」などとは、言ってこないのです。団体交渉の開催は、労働争議行動で、組合が勝ち取ってきたものなのです。会社へ申入書を一通送るだけで、実現する類のものではありません。労働組合は、根気と努力を積み上げているのです。争議行動として、当該(解雇された高杉組合員本人のこと)の就労先であった、ここICUでも、情宣活動を行っています。
9月25日、ICUの情宣活動での出来事です。藤商会(保安員)と大学側が一体となって、労働組合員に暴力行為を働いたのです。暴力に晒されても、労働組合は頑張り続けています。健気でしょ。
9月25日の暴力にも耐えて、労働組合は、藤商会との、10月15日の団体交渉を勝ち取りました。その5日前の10日、労働組合は、大学に申入れを行ったのです。
藤商会は大学を盾にして、労働組合の追及から逃れようとします。首を切られた怨念は、逃げる藤商会を許しません。追い詰めて、祟ってやろうとするのですが、盾の陰に隠れて出てきません。引っ張り出すには、盾になっている大学に、事の真相を正すしかありません。しかし、大学に幾度かアポィメントを試みましたが、全て拒否されました。もう、直接大学に申入れをするしかありません。そして、10月10日を迎えたのです。大学本部棟を訪ねました。

藤商会が、解雇理由に掲げたのはセクハラです。捏造でした。しかし、藤商会は主張します。
「大学から、『高杉がセクハラを行った』と、会社に報告があった。だから、解雇した。大学からは、行為があった事の報告しか受けていない。内容は大学に聞いてくれ」
解雇理由である、セクハラ行為の事実関係を、明らかにしない藤商会です。
藤商会が明らかにしない、セクハラの事実関係・情報の開示を求めて、セクハラ行為現場とされる、大学への申入れだったのです。

3人は、控え室に通されました。ドアが開き、現れたのは、保安室の瀬尾主査でした。
藤商会の居直りの現状を、瀬尾氏に説明しました。組合員と瀬尾氏との話し合いの途中で、管財グループの首藤部長が部屋に入ってきたのです。入れ替わるように、瀬尾氏は出て行きました。
組合員は、首藤氏に、セクハラ行為の事実関係を尋ねました。
「藤商会が言っているのならば、藤商会に聞けばいい。次の質問は何ですか」首藤氏の返事です。
藤商会の主張を話した上で、「被害者の匿名性の問題もありますから、全てと言うのではなく、大学内で高杉組合員によるセクハラ行為が、あったのかなかったのか、その事実関係が明らかにならなければ、藤商会との団体交渉に進展がないのです。大学が情報開示をしないかぎり、会社は、居直り続けているのですから」
「だから、藤商会が言っているのなら、藤商会に聞けばいいでしょう。大学は争議に関係ない。次の質問は何ですか」
藤商会が、大学を盾に解雇理由の提示を拒み続けている現実を、組合員がいくら説明しても、この返答が返ってくるのです。
「藤商会が言っているのだから、藤商会に聞けばいい。次の質問は何ですか」首藤氏の紋切り型の返事。質問する方だって苛立ってきます。
それでも、仲間の組合員たちは、粘り強く、辛抱強く、質問をし続けました。
国際基督教大学が掲げる、3つの使命のうち、『学問への使命』があります。真理を探求し学問的自由を守り、つまり、真理の追究を拒まず、学ぶためなら、自由な発言と、聞く耳を育てよということです。
首藤氏の言っている、『言っている本人に聞け、大学には関係ない』これは逃げ口上です。大学構内で起きた事とされているセクハラです。労働組合は、被害者本人の保護の必要性は認めています。ですから、暴けとは要求していません。加害者扱いにされた、当該の人権にも配慮してほしいと申し込んでいるのです。真理の追究の対象になる学問は、数学、物理の類だけではないでしょう。
結局、話合いは成立しませんでした。
「人にあうのなら、アポぐらい取ってからにしろ」
首藤氏の別れ際の台詞です。
労働組合が、何回も首藤氏に電話しても、受話器から聞こえて来る台詞は同じ。「大学は関係ない。あう必要はない」
首藤氏の捨て台詞を聞き捨てて、3人は、本部棟を後にしました。

瀬尾主査の言っていた事、不公平な言い分でした。これが、率直な感想です。
瀬尾氏はこんな話をしたのです。
人権相談員に、職員から高杉組合員を対象とした相談があった。1回目だったから、推定加害者とされる本人には面談を行わず、本人を雇用している藤商会にのみ報告した。推定加害者本人に面談を行うのは、2回目以降です。と言うものでした。
これから紹介する規定に、照らし合わせずとも、変だと思うでしょう。思ったのです。一回は大目に見て、2回3回と続くようなら、推定加害者本人の言い分を聞くと言うものです。大目扱いされた被害者は、たまったものではありません。推定加害者だって、たまりません。一回目は、強引に確定加害者にされてしまうのですから。

キリスト教大学で2001年4月に規定された、人権侵害及び、セクハラ防止対策実施綱領なるものがあります。あるんです。
これらを実行する機構があります。「教育使命の一環として、差別や人権侵害のない就労環境を、保障することを約束する」と宣言しているのです。
人権相談員、人権委員会、人権調査委員会の階層構造になっています。「やられちゃつた」と相談の持ち込みは人権相談員。「白黒付けろ」とやるのが、推定加害者と面談する人権委員会。「訴えてやる」と決着を付けないと収まらないのが、懲戒を下す人権調査委員会。
この規定に、1回目だから、推定加害者の面談を行わなくてもいい、などと書かれた条文はありません。被害を申し立てた、正職員の要請だけを取り上げるのは、不平等、不公平そのものです。
面談がなかったのですから、人権相談員止まり、その先の扉は開かなかったわけです。ですが、抱え込んだ相談事は、「全ての相談記録を機密扱いとして」とあるのです。なのに、本人には知らされず、会社にだけに報告がいったのです。これは、情報操作です。
2つ目の使命に『国際性への使命』があります。国家の枠に囚われることのない立場、国籍・文化の壁を越えて、ですが、つまり、正職員も派遣社員も分け隔てなく、という精神です。
セクハラ呼ばわりされるのは、人権委員会に委ねられて、当事者両名の面談を行い、調査・調停の結果、引導を渡されてからです。そもそも、身に覚えのない事で、セクハラの烙印を押されたら、汚名を晴らすために、自力実力で闘うしかないでしょう。

派遣社員と正職員の間で、トラブル、それに近いことがあったとしたら、処分されるのは派遣社員であるとの、方針化は困るのです。当該の事件で言えば、正職員が、気に入らない、もしくは誤解して、派遣社員を、些細な理由で訴えた恐れがあるからです。
そこに起こっては成らないこと。「強者が弱者を凌駕する」が行われたのだろうと思われます。
10月15日に、藤商会と労働組合との間で団体交渉が開かれました。その席で、藤商会の筒井常務は、人権委員と名乗る人から、高杉保安員のセクハラを趣旨とした電話があったことを明言しました。しかし、名前も名乗らない、聞き覚えもない声、その電話のみの根拠で、筒井氏は、解雇通知に、「セクハラ行為を働き」と記述したことになります。
筒井氏は、セクハラに関して、大学側に確認しなかったことを明言するのです。理解できません。
ある部署で、役職にある職員の承認を得なければ、派遣社員であろうと、雇用主が勝手に解雇するのは難しいでしょう。又、本人に釈明の機会を与えず、一方的に、会社にだけ報告したとしたら、解雇を暗示させるものと、受止められても仕方のない事です。
解雇は、藤商会だけの意図だけではなく、保安室を管理する、大学側の意図も働いているということなのでしょう。
3つ目の使命『キリスト教への使命』にそぐわないはずです。人間存在のあらゆる次元の問題を探求し、考究を深める、とあります。身勝手は許されないのです。地位の差を利用した横暴も許されません。

10月17日、キリスト教大学へ、労働組合が申入れを行おうとしましたが、申入書は受け取ってもらえませんでした。警備員に阻ませて、責任者への面会も叶いません。労働組合の抗議は拒絶されました。
キリスト教大学の機構は、「学問への使命、国際性への使命、キリスト教への使命」「差別や人権侵害のない就労環境を、保障することを約束する」と、掲げてはいるものの、人権は擁護しません。その手口からして、神を蹴落として、欲得ずくの人間が台頭する、人の世の芥にまみれた、俗世の組織にすぎない現実があります。

2002年10月17日、国際基督教大学にて