委員長の「気まぐれ週報」 「争議団的暮らしとは」(2004年1月〜12月)

      第32回  ストライキが注目された年
                    
 活動日誌=略(1年分は長いため割愛します。「パルス」や「南部交流会」、「争団連」のページをご参照ください)

 2004年が暮れていく。今年も大きく揺れ動いた世界ー日本だが、身近な生活にひきつけて見ても暗い話題の方が多かったのではないか。
 わが争議団闘争をめぐっては、「人生何が待ち受けているか分からない」「諦めてはいけない」ことを痛感させた4・28裁判の逆転勝利判決をはじめ地労委連続勝利命令など明るい話もあった。だが、労働運動の大勢を見渡せば、画期をなすような飛躍を見ることはできなかった、というより問題が山積しているのに抵抗闘争が組めないまま後退の流れが加速している。
 そんな中でなんと久方ぶりにというか、「ストライキ」の文字が新聞紙面を飾った。夏から秋にかけて日本プロ野球選手会労組のストが注目を浴びた、というのは現状況への皮肉な話だが、それでも喝采を送り、溜飲を下げる思いも味わったのではないか。連合傘下のこの労組、20年前に中畑委員長を擁して旗揚げしたときには、まさかストを打つなど期待もしていなかったが、今回記者会見の席で古田敦也会長の(連合幹部ならやっていただろう)オーナー側との握手を拒む場面、近鉄の磯部選手会長が涙を浮かべる場面等、人々の心に強い印象を残すものだった。
 読売巨人軍渡辺前オーナーの「無礼なことを言うな、たかが選手が」の発言は、「たかが労働者が」につながるものとして反発を食らったのは当然として、金満球団の一極支配の元凶である読売新聞が社説で「高額年俸に甘えたスター選手たちの思い上がった行為」としてスト迷惑論を打ち上げたのにはあ然とさせられ、ついで嘲笑の的となった。
 プロスポーツ選手としてかけ離れた存在であっても、球団合併のリストラによる一方的な生活破壊の攻撃に抗して、圧倒的な力を持った経営者と闘う姿勢を示したことが、人々の共感を呼んだ。なれない手つき足取りで闘う姿勢がなかなか感動的だった、ということではないか。だが、注文をつけさせてもらえば・・・。
 読売を中心に進められてきたドラフト制度形骸化、1リーグ制への再編等に一撃を食らわせることができたのは成果だが、オリックス・近鉄の合併を阻止するまでストライキをやって欲しかったなあ。古いオーナーの体質も問題だが、IT時代の錬金術師たちの新規参入に対し手放しで礼賛する話ではないだろう。企業名を冠した新球団って、どこか新しくないよなと言いたくなる。
 また、支援の労組などで一時検討されたという読売新聞の不買運動、やっていたら面白かったろう。選手会の方針とは到底なりえないが、労働戦線が、スポーツ・文化の問題と生活・労働の問題を結ぶ力量をもっていれば、たかが野球されど社会の問題として流動へとつなげることもできたはずだ。プロスポーツというのは、運動能力の圧倒的な格差で成り立ち、私たちが自分でできないことを託す代行主義の面があるのだが、ストライキまでもが私たちの夢となってしまっては話にならない。今回の人々のストライキ支持の心情の中にそうした日常の鬱屈が宿っていたことも否定できない。
 今回も「ストはできれば避けたい」という言葉が必ずつけ加えられた。権利行使が経済的その他の被害を生んでも、ストライキそのものを、多くの人々が、互いの権利を尊重し合う対象として評価していく、というところまでは至っていない。日本の社会の中に残念ながらそういう思想が根付いていないという現状は強固なものがある。私たちには「自力・実力で闘う」ということの内容豊富化の課題につながってくるだろう。
 それにしても、多くの労働者はスポーツ選手のように声を取り上げてもらえない。人知れず闘われてきている私たちの闘いだが、マスコミレベルとは違っても、主張が周囲に伝わっていくことの重要性ということも一つの教訓になった事件ではないか。また、別世界の話だからと、実力主義・実績主義、過酷な競争社会のスポーツの世界に文句を挟むこともない私たちだが、それへの若い人たちの眼差しは、足下での企業社会の成果主義・成果給の容認の傾向と地続きになっている点なども、改めて考えさせられることであった。
    南部交流会機関紙「なんぶ」04年12月号の「ひとこと」コーナーに寄稿した原稿の転載
     (書き下ろしせず、手抜きですみません)