委員長の「気まぐれ週報」 「争議団的暮らしとは」(2007年5月)
第34回 プリーズ・ Mr. Postman
今春、南部で、そして争団連で共に闘ってきた「4・28反処分闘争」が28年で勝利しました。ジャパマーハイツ闘争も勝利し、こちらも23年。久しぶりの長期争議の勝利を連続でかち取ったことの意義は大きいものがあります。全逓本部の闘争切り捨てに屈せず、自力・実力で勝利を闘い取った4・28闘争、法的には使用者責任を認定させる余地が無かった東映資本に雇用を保障させたジャパマーハイツ闘争、いずれも私たちの闘いの真骨頂を示すものでした。私たちは、90年、全逓本部の切り捨てに抗して自力・自前の団結による闘いへと飛躍を目指していた4・28連絡会の仲間と歴史的な出会いを経験しました。以降、4・28反処分闘争を地域共闘の重要な柱としてとらえ、4・28連絡会の事務局に参加し、大崎局・向島局での現場闘争や郵政のイベント闘争、全逓全国大会闘争、等々を共に担い、闘ってきました。
4・28反処分闘争は、連絡会を先頭としたこのような現場闘争を闘い抜くことで、郵政民営化を前にして政治判断に腐心する最高裁に簡単に原告敗訴(高裁判決取り消し)の決定を出させない不抜の大衆的な共闘態勢をつくり、ついに勝利を闘い取ったのです。昨秋の、民営化の総本山=日本郵政株式会社社前で、民営化されても処分撤回闘争を闘うことを突きつけた行動(争団連統一行動・南部集中闘争)も記憶に新しいところです。
それにしても、4・28闘争は、28年という最長不到を更新する「大記録」をうち立てたのです。中央公論社闘争が、24年間の闘いで9名の解雇撤回・職場復帰をかち取ったとき、「困った前例が作られてしまった。長引いても24年間は諦めずに闘わなければならなくなった」などと仲間うちで冗談を飛ばしていたのですが、ふじせ闘争もとっくに、それをクリアーし、今、1年後輩の4・28闘争に先を越されてしまいました。ふじせ闘争は、さらに「新記録」に挑戦することになるのです。しかし、闘いに手応えが感じられなくなれば別ですが、局面と力関係の流動を展望できるなら、1日1日、1年1年の積み重ねで長期闘争も闘えるものなのです。学研相手の今の闘いはまさにそれに当たります。楽しみながら、というふうなことも、これまでのこの「月報」に書いてきました。2つの争議の連続勝利を受けて、「闘えば必ず勝てる」という言葉が飛び交ったことについては、4・28勝利集会での発言で留保を付け、永遠化や神話化を排して、「闘えば可能性も生まれ得る」と微修正を求めた気まぐれ子ですが、ほんとうに4・28闘争は長期の粘り強い闘いで可能性を切り拓き、多くの仲間に勇気を与えてくれたのでした(4・28闘争のページを是非参照してください)。
4・28の仲間は、いま地域の郵便局職場に復帰し、毎日働いています。時折、地域でバイクで走り回っている姿も見かけます。郵便物の量も大きさも28年前とは比べものにならないそうで、民営化を前に競争激化も手伝って、大変な労働になっているようです。先日は、永年勤続30年の表彰が行われたそうですが、彼らも「30年間にわたって郵政事業の発展に尽くしたことを、ここに表彰します」との賞状と記念品を手渡されたとか。うち、28年間は、郵便局の前などでマイクを握り、ビラを配り、抗議の声を上げていたのにねえ。さすが、郵政公社、身分が継続していたことを認めないわけにはいかないので、悔しくても、こう言わざるを得ないのです。でも、郵政の誤った施策を正させたのですから、真に表彰に値するのかも知れません。
30年以上前の、マーベリッツービートルズーカーペンターズと歌い次がれた曲ではないけれど、職場復帰した仲間が配達してくれる郵便物の中に、恋人の手紙ならぬ、「団交に応じて争議を解決します」との私たちの団交要求書への学研の返信が入ってこないか、と期待しています。・・・というのは冗談で、彼らが私たちに届けてくれた勇気をもらって、全都の争議団は、元気に闘い続けています。
後は、4・28の仲間と共に、こうした成果や意義を若い人たちにも、どう継承していくのか、という課題を追求していきたいと思います。昨年、私たちは、南部労組イデーで、若い労働者たちとの出会いと共同の闘いを経験しました。3月に発刊したその報告集に書いた感想を以下に転載します。(一部省略)
「世界が変わる」という体験を私たちはいつかの時点でしている。「世界」は人それぞれに多様だから、単一のことがらとしての宗教的な「目覚め」のことを言いたいのではない。共同的な体験や文学、芸術などなど、との出会いを今の若い人たちは、どれくらい深く決定的なものとして経験しているのだろう、そういう契機を持っているんだろうか。恐らく初めての経験である労働組合の運動にどこまで心を動かされ、何をつかんだろうか、そんなことを想いながら、イデーの若者たちとの日々を過ごしてきた。
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森嶋通夫の「なぜ日本は没落するか」という著書(99年発刊)が出た時に、これを読んで、何人かの友人に話題を振ったおり、「自分の息子や娘を見ていると、そう思う」(日本は没落する」という返答が戻って来た。経済学の老大家のこの本は、経済学・社会学・教育学・歴史学などを取り混ぜた社会科学領域での一種の学際的総合研究と著者が自負するだけあって、若い世代や一定の階層の人々をターゲットに仕立てた俗情と結託した「亡国論」のたぐいのものではなかった。現在の若者たちが置かれている状況から、さらにその子どもたちが社会の中堅を構成するようになる半世紀後の日本社会全体を予測する形で考察を進めているものでそれなりに説得力ある内容であったが、私が衝撃を受けたのは友人たちの返答の方であった。親子の単なる世代ギャップとしてではなく、底深い崩壊感を直に抱いているのだと思えたからだ。
そうこうするうちに、「ニート」や「フリーター」といった言葉がメディアに氾濫するようになり、その実像が検証されることも少ないまま、このところ若い人たちへの世間の風あたりは強かった。
そこへ南部労組へ一挙に大勢の若者が加入することになった。雪の降る日の感動的な
最初の出会いに私は親戚の法事があって参加していなかった。27年前の自分たちの労組結成(ちょうど同じ年頃だった)のあの特別の時に重ね合わせながら、イデーの20代の若者たちと会う日を待ち遠しく思うと共に果たしてどんな人たちだろうと思った。
しかし、旗揚げ後の初回の打ち合わせの時から、彼らに接して悪い印象を持つことは無かった。倉庫部門を中心とした彼らは、野球帽をかぶっていて結構ごっつい感じの若者も多かったが、皆、素直でまじめな若者たちであった。
とは言え、労働組合のことなど経験したこともなく、それは何も知らない。どこまで私たちの言っていることが伝わっているのか分からない、時にはがゆいこともあった。団体交渉では、どうしてもっと会社へ怒りをぶつけないのだろう、おとなしすぎるなあ、と思った。会社というものにつき、どう考えていたのか、この点は彼らの感想文を読むと分かる。それが少し変わり、変わらなかったところもあるのだ。私たちの時代のように労働組合はあって当たり前の時代を過ごし、求めなくても周囲に組合があったり、入った会社で自動的に経験させられ、職場の先輩からも教えられる、というような体験が全くといってよいほどにないのだから、いたしかたない。
現場行動を入れる入れないの議論をした時の言いぐさは、「(デザイナー的な仕事をやってきている)イデーの社員に、ぼくらがビラをまいたりしたら、何やってんだ、と馬鹿にされる」「あくまでニュートラルでありたい」。うーん、まいった。闘うっていうことは、そんなにかっこいいことばかりじゃないんだが。いま労働現場の重層的分断構造の下で最もわりを食っている若者たちだが、自らの振る舞いにおいて孤立を招いているということも言える。動いて自分も変わる、会社との関係も変える、というところまでは、簡単にはいかない。
でも最初の頃に早くも感心させられることがあった。組合の集まりに、会社側とツーカーの子が混じっていた。私たちも分かっていたが、つるし上げたりすることなく、様子を見ていた。方針をめぐる議論のところでは、この子と変わらない、そちらにひっぱられそうな意見をいう若者もいた。しかし、肝心の局面が来ると、彼は姿をくらました。組合の他の若者たちは、動じることもなく、手厳しい視線で彼を見送っていた。仲間を大事にし、人につき見るべきところは見ていたのだ。未払い賃金の要求をどこまで貫くのか、自分の労働実績と照らして人によって異なる要求が生まれたりしたが、皆、最後まで仲間のことを考えて要求をまとめ上げてくれた。横山優風さんが団交の後、倒れたときにも駆け回り、最後までケアしていたのも彼らだった。
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先の森嶋通夫の論考は、「精神の荒廃」の章で、労働の倫理に触れ、現代日本の教育環境が若者を物質主義者・功利主義者にさせる不毛な目的の下に置かれているため、彼らは、倫理上の価値や理想、また社会的な義務について語ることに対しては、たとえ抽象的訓練としてでさえ、何の興味も持たない、と断じている。「公正な競争に基づいた経済を築くための若者のための倫理的なバリケード」というのはいささか余計なお世話と思えるが、内田樹「下流志向」ー学ばない子どもたち働かない若者たちー(07年発刊)では、かつては社会への最初の参加は家事労働の手伝い等を通じた労働主体としてあった子どもが、今はいきなり消費主体として登場することによって教育や労働への向き合い方が「等価交換」を求める(「それが何の役に立つのか」「自己利益に直結する経済合理性があるのか」)ように変容してしまった結果、「学び」や「労働」の本質から逃走し、時間が熟することで得られる価値を喪失していることが述べられている。
構造的な変化が現代の若者たちを悲惨な状況に追いやっている点については森嶋の観点を引き継いでいる感のある内田も鋭い視点を提起していて、なるほどと思わされる点も少なくない。ただ、こうした構造的な把握をそのまま当てはめて一人ひとりの若者をとらえるのは乱暴だろうと、イデーの若者たちとの付き合いに照らして思う。彼らの心はそこまで硬直していなかった。森嶋の50年後の未来像がやはり一つの予測でしかないのは、社会科学を総合化しても、人間の類身体性を根拠として法則や構造を把握する自然科学のように広い共通了解の領域=普遍妥当性を見い出すことに困難を伴い、人間と社会についての問いは存在意味や価値、関係性の把握であることによる。若い人たちと直に付き合って、共に現状を変えていく私たちのような現場からの試みも重要なことなのだろうと感じた。 「未経験のニュートゥェンティには躍動の現場への踏み出しが、お父さん・お母さん$「代の南部労組のメンバーには『一人の首切りも許さない』『自力・実力で闘う』という経験を伝えていくことが、共に求められている。」と以前に「なんぶ」に書いたが、イデーの若者たちは、どう受け止めただろうか。
いずれにしても、互いに貴重な経験となったイデーでの闘争は、今後、アール闘争などに継承されて活かされていくことになります。新しく始まったアール闘争については、このサイトで年内中にはアップされるので、期待してください。