1月、2月、3月は記載を主なものにとどめます。
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1月 | |
6日(月) | ふじせ闘争支援共闘会議 |
12日(日) | 機械工業新聞闘争拡大集中討論 |
16日(木) | 南部交流会例会、教育社高森社長宅 |
18日(土) | 南部労組定期大会、全逓4・28連絡会旗開き |
20日(月) | 品川庁舎前闘争、板橋パート庁舎前闘争、出版関連労組交流会議例会 |
21日(火) | 洋C刑事公判、出版関連労組交流会議例会 |
22日(水) | 明大生協労組闘争報告集会 |
23日(木) | ふじせ闘争支援共闘会議 |
24日(金) | 南部交流会・渋谷のじれん交流会 |
26日(日) | 全国争議団交流会第4回企画会議(福岡) |
27日(月) | 全国結集行動 |
28日(火) | ふじせ学研本社朝ビラ |
29日(水) | ふじせ学研第3ビル朝ビラ |
30日(木) | ふじせ学研第2ビル朝ビラ |
31日(金) | ふじせ25周年学研社前集会・包囲デモ |
2月 | |
1日(土) | 三者共闘(争団連・地域共闘交流会等)アメリカ大使館抗議行動 |
2日(日) | 地域共闘交流会 |
5日(水) | ふじせ闘争支援共闘会議 |
6日(木) | 教育社高森社長宅 |
7日(金) | 南部労組会議 |
8日(土) | 中央洋書社長追及、戦争協力の声はいやだの声を南西部実三宿駐屯地抗議デモ |
9日(日) | 保安処分立法反対デモ |
10日(月) | 明大生協労組入試情宣 |
11日(火) | 三多摩合同労組中大生協入試情宣 |
12日(水) | 4・28イベント闘争 |
13日(木) | 教育社闘争拡大会議 |
14日(金) | 品川臨職共闘庁舎前、日の丸・君が代の強制に反対する品川の会都立高申し入れ |
15日(土) | ふじせ・北九州市自分史文学賞授賞式情宣 |
17日(月) | 4・28連絡会控訴審 |
18日(火) | ふじせ学研本社朝ビラ&社前闘争 |
19日(水) | ふじせ学研第2ビル朝ビラ、連帯杉並庁舎前半日行動 |
20日(木) | 南部交流会例会 |
21日(金) | ふじせ学研第3ビル朝ビラ、労働法連絡会解雇「自由化法を許すな!集会」 |
23日(日) | 連帯大地「大地を守る会」集会情宣 |
24日(月) | 出版関連労組交流会議例会 |
28日(金) | ふじせ闘争支援共闘会議、南部労組タカギロジスティック団交 |
3月 | |
1日(土) | 争議団連絡会議例会 |
8日(土) | 全国争議団交流会討論 |
9日(日) | 全国争議団交流会 |
10日(月) | 全国結集行動(国鉄和田闘争、厚生労働省交渉、網中東京支店、洋C波多野ビル抗議) |
13日(木) | ふじせ学研社前闘争、ふじせ闘争支援共闘会議 |
15日(土) | 南部交流会集中討論 |
21日(金) | 北部共闘春季集会 |
22日(土) | 争団連・地域共闘交流会等「イラク攻撃抗議」アメリカ大使館・防衛庁前闘争 |
25日(火) | 学研社前闘争 |
26日(水) | ふじせ闘争支援共闘会議 |
28日(金) | 中部交流会春季集会 |
29日(土) | 鳥井電器闘争総括拡大会議 |
4月 | |
1日(火) | 南部交流会春季集会、三多摩労争連春季集会 |
4日(金) | 西部共闘春季集会 |
5日(土) | 争団連例会 |
6日(日) | 戦争協力はいやだの声を!南西部実・三宿自衛隊桜まつり抗議 |
7日(月) | 教育社高森社長宅、明大生協入学式情宣、4・11デモ申請、出版関連労組交流会議作業、南部労組会議 |
8日(火) | 旭ダイヤ本社情宣、労働法4・11実行委員会、 |
9日(水) | 連帯大地市川センター、 |
10日(木) | 出版関連労組交流会議春季集会、 |
11日(金) | 機械工業新聞労組一族Y&J社前、労働法解雇自由化法反対デモ、 |
14日(月) | 日野遺跡労市役所、洋C霞ヶ関、 |
15日(火) | 南部交流会統一行動(品川・ス労自主・ふじせ学研社前)、品川総会 |
16日(水) | 共謀罪新設阻止国会前集会、 |
17日(木) | ふじせ闘争支援共闘会議、教育社高森社長宅、 |
18日(金) | 全金本山みずほ銀行本店包囲デモ、柴法池袋、 |
19日(土) | 三河島山本社長宅、地域共闘交流会 |
20日(日) | つぶせ予防拘禁法全国集会、 |
21日(月) | 出版関連労組交流会議例会 |
22日(火) | 南部交流会機関紙作業、明大生協大学開館前、渋谷のじれん学習会、 |
24日(木) | 南部交流会例会、南部労組駅頭情宣、旭ダイヤ地裁前情宣、機械Y&J、 |
25日(金) | 大道測量社長宅、ブリタニカ社前、労働法4・11実総括会議 |
26日(土) | ふじせ東京国際ブックフェア情宣、加部建材三井道路社長宅 |
28日(月) | 4・28反処分闘争郵政公社前、4・28闘争24周年決起集会 |
30日(水) | 渡辺工業社前 |
5月 | |
1日(木) | 全都野宿者メーデー、南部労組会議 |
2日(金) | ふじせ闘争支援共闘会議 |
7日(水) | ふじせ・学研会社説明会情宣 |
8日(木) | 争団連機関紙「莽」作業、 |
9日(金) | 組対法共同行動・共謀罪新設阻止国会前集会 |
年明けから5月まで、あっという間に過ぎてしまいました。このコーナーは、すっかりご無沙汰していましたが、その間に、金正日、ブッシュ、フセインというあくの強いキャラクターが世界を騒がせていたので、「気まぐれ」など出る幕ではないわ、と考えていたわけではありません(アメリカのイラク攻撃については後で触れます)。ふじせ争議やいろいろな課題に忙殺されていたものです。
私たちの闘いでは、まず1月31日に25周年の学研社前集会・包囲デモの成功をかち取り、2月には学研が後援する北九州市自分史文学賞授賞式会場前での行動を展開、2月〜3月会社前での抗議・団交要求の行動を引き続き継続しています。3月14日付で最高裁の棄却決定が出されました。理不尽ぶりも予想どおりという今の司法の現状です。10ヶ月も検討期間をおいて、何ら根拠ある説明も付されていません。結局、裁判所は学研の使用者責任について一度もまともな検討をせずに、結論だけの判決を出して逃げてしまったのです。これで、私たちの闘いの正当性を否定するなどということは到底できません。直ちに反撃の闘いを4・15学研社前闘争(南部統一行動)や4・26東京国際ブックフェア情宣行動など、現場から展開してきています。
会社は、年明け早々の役員会で高橋孝太郎、古岡孝、古岡秀樹の三常務を平の取締役に降格しました。これらについては闘争ニュース「パルス」で報告を掲載していますのでそちらを参照してください。暴力労務政策を担い出世した高橋常務は自分から降格を申し出ざるを得なかった、また一族専制経営のなごりである両古岡常務には役員会での辞任要求があったそうです。しかし、内外からの批判をかわすために、これでお茶を濁した現役員たちの無責任には呆れます。学研のこれまでの経営への反省の見解は何も示されていません。私たちはさらに学研がこのような無責任な経営体質を改めて争議解決を図るように、決断を迫る闘いを強化していくのみです。闘争25周年を迎えた今年、改めて振り返って見るにつけ、学研の暴力労務政策がもたらした会社の荒廃の傷跡の深さに気づかされます。学研経営は本社内で直接的に弾圧してきた全学研労組との間の争議を、争議19年目の1992年にようやく収拾にこぎ着けました。しかし、争議責任は認めておらず問題体質は変わらぬまま、表面的には職制を100名も動員して襲いかからせる等のこれまでの暴力の行使をやめたのでした。そして、ふじせ争議を積み残したままで、なんとか圧政から懐柔へと全学研労組を職場秩序に取り込んで(仕事干しから業務態勢への組み込み)、「学研には争議はない。ふじせというどこの馬の骨とも分からぬ別会社の者が押し掛けてくるが関係ないし、中に入れなければよい」という路線を敷こうとしたのでした。しかし、暴力労政のつけがまわって業績的にはこの翌年の93年から赤字経営に転落、昨年まで実質10年連続赤字を計上するにいたりました。根本的な改革は抜きで、腐敗体質は残り、また、ふじせ争議の影響力を排除することができなかったためです。圧政に踏み込んでしまった経営の脆さとそれによる容易には回復しがたいダメージを被ったのです。破綻した暴力労政から転換しようとしてきたこの10年間の学研ですが、経営の上層部を筆頭に上に立つ者が責任を取らず、現場にしわ寄せをくり返して自己保身を図るというシステムは変わっていないので、腐敗や不祥事発覚が後を絶たず、若手が成長の芽を摘まれ、経営なりのまともな戦略も立てられない会社となってしまったのです。ふじせ争議への対応は、そうした問題体質の反映であり、これを解決する発想が出てくるか否かが、ひきつづき、この会社の存続可能性のメルクマールとなっているのです。私たちは、問題体質の核心に迫り、内外に課題を鮮明にする意味でも、最終的な闘いに入っていくつもりです。
他方、共闘課題でも、全国争議団交流集会が22回を重ねて、東京での集まりを成功させました。また、「デフレ春闘」などと言われ、経営側のベア・定昇見直し、賃下げ提案がくり出される状況の中、地域(南部交流会及び全都の地域共闘)、出版(出版関連労組交流会議)の闘いも持続と発展を実現して春季の共同闘争がそれぞれ成功裏に闘い抜かれてきています。また、今春国会では、労働法制における経営の解雇権容認の「解雇自由化」ともいうべき労基法改悪、無権利・不安定雇用増大の派遣・職安法の改悪、有事法制制定、「共謀罪」新設、予防拘禁法制定、「個人情報保護法」等、99年を上回る法改悪により日本の国家改造が遂行されようとしています。そして、それは世界の動向と深くつながっています。
「イラク攻撃」ですが、私たちも2波にわたってアメリカ大使館への抗議行動を展開してきていますが、米国はついに、史上類を見ない戦争に突入し、フセイン政権を崩壊させました。イラク民衆に多数の犠牲者を生み出し、イラク兵・米兵にも死者を出して当然にも戦争は理不尽な様を垣間見せましたが、米国は独裁体制が倒れたことをもって、既成事実化と正当化を行って、「戦後復興」へとなだれ込みつつあります。ユニラテラリズム(単独行動主義)と言われる米国の国際政治での振る舞いは、核実験全面禁止条約の死文化画策、地球温暖化防止の京都議定書離脱、生物兵器禁止条約草案拒否等々、以前から続いてきていました。米国の国益と考える利害を国際協調を無視してもごり押しする独善と身勝手ですが、それは、9・11事件を機に「反テロ」の名目でその質を大きく転換させてきています。アフガニスタン攻撃は、状況証拠しかなく、実行犯とアルカイーダとタリバン政権の直接の関係、即ち事件への関与が立証されていないままで空爆と侵攻を強行し、アフガン民衆に多数の犠牲者を出したことは非難されて当然でしたが、それでも「テロへの報復」という大義名分は立てていました。しかし、今回のイラク攻撃は、昨年11月のブッシュドクトリンに基づく「先制攻撃」論により、自国を攻撃する恐れのある国と考えられれば、先に戦争を仕掛けるというもので、国際法の枠組みをも踏み破るものでした。「大量破壊兵器の隠匿」などは名目でしかなかったことが、戦後の米国政府の言動からも明らかとなっています。国連は米国の前に無力をさらけ出し、誰もアメリカの横暴を止めることができませんでした。最近、アメリカ帝国と言われる(帝国主義のそれではなく、かつてのローマ帝国の世界支配になぞらえて)ゆえんで、自分が気に入らない国の政権は、戦争を仕掛けても転覆させ、好き勝手に自分に従属させるという「ならずもの」ぶりです。全世界で反戦運動が高揚し、独仏露など欧州やアラブ・イスラム諸国の政府をはじめとして反対の声があがったのも当然です。その中で「国際社会の分裂」と言うことが言われました。国連加盟国に経済援助打ち切り等の恫喝をかけ多数派工作を行って国連をアメリカに都合のよいように動かしてきた、(必ずしもそううまくはいかなかったことが過去にもあり、「環境」や「人権」問題等では米国の身勝手と孤立を際だたせるような一定の役割を国連が持った)、概ね国連には米国の一国主義の手法を追認させることに成功させてきたが、それが今回は多数派工作がうまくいきませんでした。このような新たな事態を生み出したのは、米国自身の暴走とそれに対する危機感を本質的に受け止めた世界の民衆の反戦運動のうねりの力が大きかったと思われます。イラクに権益を持つ仏露等が自らの利害と国内反戦運動を無視できなかったこととから、米国に追随しなかった結果の、「国連機能停止」であったとすれば、それは米国一極支配の世界秩序が90年代のままでは維持できないという中での流動への兆しです。しかし、戦争を正当化することを国連の場ではできなかったものの、戦後復興の中で引き続き米国は石油利権奪取と中東における支配権確立のために国連を自らに従えさせようとしています。国際協調派のパウエル国務長官と一国主義派のラムズフェルド国防長官の確執が取りざたされてきていますが、それは米国にとっては国民国家間の連合たる国連体制と国民国家を「超越」した米国という「主従関係」の構図の枠内でのことのように私には思われます。問題は、この流動を契機に、世界がどう転換していくのかです。
9・11事件は「犯罪」ではあっても決して戦争などではなかったにもかかわらず、「テロとの闘い」を新たな戦争とするブッシュの論理は、国民国家の枠組みを内では強化し、外には破るもの故、他国の国家主権を認めない先制攻撃論につながりましたが、冷戦後の世界秩序のさらなる転換として、その先に、どのような支配秩序を構築するつもりなのか。米国政権中枢を握ってブッシュを動かしているネオコンサバティヴと言われる親イスラエルの新保守主義者たちも、「アメリカ型民主主義の国を中東につくっていく」などと言っていますが、それは不可能である以前に、虚偽です。サウジ、クェート等の中東の親米国家はどれも王制・独裁国家で「民主国家」などありません。周知のようにイラン・イラク戦争時にフセイン政権にてこ入れしたことに顕著なようにアメリカは独裁政権であるか否かではなく自分に都合の良い政権であるか否かを基準に中南米から中東に至る各国で軍事介入や政治工作をくり返してきたのです。強大なアメリカ帝国は一つであり、他は従属国でなければならないというのが本音であり、そうして、米国を単一世界権力にするというのが彼らの論理の究極の成り行きなのでしょう。しかし、そんなことがうまく行くとも思えません。旧ユーゴやアフガニスタン等で実証済みの民族や宗教対立の克服もなし得ない彼らネオコンの偏狭な世界観が近代国家を越え得ないのは自明で、せいぜい彼らは、裏で民族浄化(他民族抹殺)、単一宗教の押しつけを目論み、中東や東アジアなどで泥沼の戦争と紛争をひき起こすだけでしょう。いくら他国の民衆を「解放する」などと言っても、しょせん暴力はそれとは正反対の抑圧でしかありません。イラクはアフガニスタン同様にますます混乱を深めるでしょう。独裁や圧政は民衆自身の力で倒されなければ解放にはつながりません。米国政府の現在の思考程度は、おそるべき精神というべきですが、その自己矛盾は明白で、破綻は既に兆しています。世界で一人勝ちと言われた90年代の米国経済の拡大が、エンロンやワールドコムの経営破綻に見られるように、市場原理主義、「市場神話」に基づくバブルだったのであり、「反テロ」国際同盟が亀裂を拡大する中、アメリカ経済の破綻と戦争突入強行の連続という泥沼へと米国の歩んでいる先は米国の一極支配の強化ではなく、終焉が見えてきている、ということは前にも書きました。未だそれは終わりの始まりで、終わりの終わりにたどり着くまでにアメリカは暴力性にますます自らを委ねることにより、世界では甚大な犠牲と悲惨な代償が支払われることになるのは辛いことです。中東全体のパレスチナ化ということが危惧されています。そして、その先にどういう可能性が開けるのかは見えてきていません。しかし、このような権力の肥大化が同時に支配の崩壊の可能性を強めるものであることを、私たちは一企業における暴力労政の経験からも確信できます。
このような転換の世界の行方につき、論じている最近の著作としてアントニオ・ネグリとマイケル・ハートの共著になる「帝国ーグローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性」(以文社)があります。「帝国の出現」を、冷戦構造の崩壊と資本主義的な生産と交換のグローバル化を前に、近代の国民国家の主権が衰退する中で、新たな主権の形態としての支配装置の登場として位置づけています。ここでは、「帝国」は先に触れたような古代ローマになぞらえられるような比喩としてのそれではなく、「概念」として用いられており、かつてのヨーロッパ列強の国民国家における、領土的境界によって権力の中心が画定され、またそこを起点に境界を越える主権の拡張としての植民地支配を行ってきた「帝国主義」とは明確に区別されています。従って、脱中心的で脱領土的な支配装置としてのグローバルな主権形態としてのこの帝国は合衆国とイコールではありません。合衆国の歴史的な政体構成が、たえず拡大する開かれた境界の内部にネットワークによる効果的な権力の配分を行い、異種混交的なアイデンティティと柔軟な階層秩序、複数の交換を管理運営するという帝国の支配装置に適合的であることによって、この新たな世界秩序において米国が特権的な位置を占めているものとされています。著者たちの新たな世界への視座は、アメリカの新保守主義者の構想よりも射程が長く意識的です。そして、「新たな民主主義の諸形態と構成的な権力によって、私たちはいつの日か<帝国>を突き抜け、その彼方に運ばれるだろう」と述べています。そのための幾多の闘争の担い手として、これまでの国民国家の枠内の「人民」や「国民」にかわって、<マルチチュード>(哲学者スピノザから由来、「群衆」「多数生」など、定訳がないそうだ)という存在が主体とされています。
「帝国」出現の時代と私たち争議団との関わりやマルチチュードについて、この500ページを超える大部な著作についての検討は次の機会に譲りたいと考えますが、アメリカが(も)世界につくり出そうとしている「帝国」の秩序の足下でアメリカの中からも抵抗が起きています。2月15日〜16日の全世界同時反戦行動には、ニューヨーク50万人、サンフランシスコ20万人、ロサンゼルス10万人など全米各地でデモがまき起こっています。戦争一色にアメリカのメディアが総翼賛化状態になっている中、マイケル・ムーアの「アホでマヌケなアメリカ白人」がベストセラーになり、ジャーナリストにして映画監督である彼のドキュメンタリー映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」が大きな反響を呼んでいます。いずれも好戦国家米国の社会の病める現状を告発しているものです。著書の方は、大統領選挙におけるブッシュの不正の暴露からはじめて、国家の政策に焦点を当てて共和ー民主の2大政党制度の虚妄を衝き、「繁栄」を誇るアメリカ白人(彼自身もそうですが)がいかに世界が見えておらず社会を荒廃させて自分の首をしめつつあるのかを描いています。映画はコロンバイン高校の銃乱射事件が映し出している銃社会アメリカの脅迫観念に閉ざされた姿を検証していく内容で極めてインパクトの強い作品となっています。ロック歌手マリリン・マンソンのインタビューでの受け答えが、「恐怖」を作出することで本質を隠し延命を図る資本・国家を鋭く射抜いた言葉になっていることに打たれました。また、猟銃をはじめ銃の所有件数では劣らないカナダでなぜ、アメリカのような殺人事件が桁違いに少ないのか、こんなアメリカに誰がした?など、構成も説得力のあるものとなっています。映画の方は特にお薦めします。
今回はこれくらいで。