委員長のきまぐれ「週報」 「争議団的暮らしとは」

第28回 秋は、宵っ張りの早起き
(2002年9月9日〜2002年11月3日)

組合活動週報
9月9日(月) ふじせ学研社前闘争、機械経営一族追及Y&J
10日(火) 旭ダイヤ社前昼情宣、三多摩労争連反弾圧集会
12日(木) 教育社高森自宅、本山みずほ本店情宣
13日(金) 9・14霞ヶ関情宣、9・14反弾圧闘争、鳥井電器中労委調査
14日(土) 全国争議団交流会企画会議
17日(火) 品川臨職共闘拡大会議、連帯大地市川センター、明大生協学館前
18日(水) ジャパマー東映社長宅、ケミカル社前、柴法争議団池袋
19日(木) 4・28向島局、旭ダイヤ仮処分審尋、南部交流会例会
20日(金) 連帯杉並庁舎前、渋谷のじれん代々木公園団交
21日(土) ふじせ闘争支援共闘会議、地域共闘交流会組織化対策会議
22日(日) 在ア共レッドサンダーカフェ社長宅
24日(火) 洋書センター労組刑事公判
25日(水) 機械Y&J、森川健康堂社前、藤商会ICU情宣
26日(木) ふじせ学研社前闘争、渡辺工業東大竜岡門前、教育社ニュートンプレス、出版関連労組交流会議例会
27日(金) 南部労組例会
28日(土) 加部建材三井道路社長宅
30日(月) 品川臨職闘争27周年デモ(南部集中闘争)
10月2日(水) 4・28連絡会地裁前情宣、同第1回控訴審
4日(金) 争団連総決起集会、柴法弁護士会館情宣
5日(土) 争団連例会
7日(月) ふじせ学研第3ビル朝ビラ、南部労組会議
8日(火) 機械Y&J、ジャパマー東映本社、労働法連絡会事務局
9日(水) 三河島社長宅、4・28大崎局
10日(木) 三河島社長宅、出労交幹事会
11日(金) ふじせ学研社前闘争、明大生協学館前
12日(土) 加部建材社長宅
14日(月) 在ア共レッドサンダーカフェ店前
15日(火) 品川臨職23区区長会、9・14反弾圧闘争総括会議
16日(水) 中央洋書仙川社長宅、旭ダイヤ地裁前情宣
17日(木) 出労交出版労連中央委員会情宣
18日(金) 南部労組全体会議
19日(土) 教育社高森社長宅包囲デモ、地域共闘交流会例会
21日(月) 鳥井中労委調査、争団連全国交流会担当者会議
22日(火) ふじせ学研社前闘争、山田書院荻窪役員宅
23日(水) 機械Y&J
24日(木) ス労自主竹芝本社前、全金本山みずほ本店、「なんぶ」発刊作業、明大生協闘争総決起集会
25日(金) 争団連統一行動・渡辺工業社前〜旭ダイヤ本社包囲昼デモ、南部交流会例会
26日(土) ジャパマー東京国際映画祭情宣、洋C公判対策会議
28日(月) 加部建材三井道路本社、大道測量赤羽技術専門学校情宣、出労交例会
29日(火) 品川庁舎前、柴法争議団池袋
30日(水) ケミカル・メッシュ工業東京支店情宣、保安処分立法反対国会前集会
11月1日(金) 4・28連絡会年賀発売式会場前情宣
2日(土) 争議団連絡会議例会
3日(日) ふじせ闘争支援共闘会議集中討論


 秋は足早にすぎていきます。この季節は争議団にとって、休みを設けて鋭気を養いながら戦略を練る一方で少し現場感覚が遠のきかけた真夏にかわって、闘争の局面を押し上げ、勝利への手応えを掴んでいこうと張り切る時期でもあります。闘いの秋であり、実りの秋と言われる所以です。当然、スケジュールも満載となります。
 今回の話題は「宵っ張りの早起き」。争議団が巷で活動する時間帯は早朝から深夜に及びます。夜が遅いのは、別に経営者に夜討ちをかけるわけではありません。かけても良いのですが、いまここで社長を捕まえないと解決の機会を失うというそんな切迫感が生じる局面は争議の早い時期に生じたことはありますが、大抵の争議は、その後、そんな時期を通り越して現在に至っています。ふじせ労組も昔、学研の指示で会社を倒産させ逃げ回っていた工藤ふじせ企画社長の自宅へ、社長の帰りは夜となると調査済みで押し掛けたことがありました。暗くなってはいましたが、そんな遅い時間ではありませんでした。今は、夜は会議や集会、その後の酒席等で帰宅が遅くなるのです。会議が多い話しは前にしました。会議がだらしなく長引くのは良くないと考え、ふじせ支援共でも、できるだけ短い時間で集中した議論をするようにしています。しかし、現場闘争が軸とはいえ、現場だけでは共有しきれない闘争への互いの感覚や認識を交流させ、これからの方向性を定めていく上で、会議で議論することが重要となります。勿論、実務的なことの確認・実行もここで進めていきます。特に地域共闘など課題を多数抱えている会議は、時には遅くまでの討論となることもあります。ふじせ闘争支援共闘会議の後、酒を飲むのは、ただ一緒に飲みたくなるからだけです。赤坂の料亭に本題があるような政治家や根回し・顔つなぎ・ボス交等の場が欠かせぬ連合幹部などの酒席と違うのは言うまでもありません。限られた懐具合の中で、しかも首を切られた当該には負担にならないように、支援共の面々は気を遣ってくれます。話題は、個別ふじせ闘争のことより、食べ物の話から世の中、世界のことなど全般多岐にわたります。そうした中でも、語り、互いの意見を述べ合うことで、何故、ふじせ闘争を闘っているのかが、人それぞれに見えてくるということが言えます。昔は、別の争議の会議で、そこで当該だった現ふじせ支援共Aさんとそのときも支援だった現支援共Bさんが熱い議論を交わし、そのうちにBさんがAさんの頭をビール瓶で殴ってしまったなどということもあったそうですが、そんな血気さかんな頃に比べれば最近はおとなしいものです。でも、酒の席でなくても、今の状況を突き破る志に満ちた刺激的な言葉のやりとりがなくなってしまったら、まさに運動の停滞を映し出すものでしかありません。杯を酌み交わしながら、互いに持論を譲らず、夜が更けていくということもあります。
 遅くまで飲んでも、翌日は潰れることなく大抵、朝から動きます。朝が早い理由はいろいろですが、まず朝ビラがあります。その日は会社の前で出勤する職場の仲間にビラを配って、争議の現状を報告し訴えるわけですが、出来るだけ多くの人に渡したいので、早出の人に合わせて始める必要があります。会社に対する帰属意識が強い人ほど、朝早く出社するという傾向は多少はあって、始業時間ぎりぎりに来る人々の方が比較的ビラをよく受け取ってくれると言えますが、最近はラッシュを避けて早く来る人もあって一概には言えません。学研の場合、本社より2ビル、2ビルより3ビルとより受け取りが良く、本社は昔から管理職の眼が光って社員を監視しているような状態だった名残りがあるのですが、その本社でも今はかつての7割贈くらいになっています。学研に働く人々が、経営の大本営発表を信じず、情報を求めていること、現場の労働者への責任転嫁の上にあぐらをかいている経営陣への不満・批判意識が高まっていることが大きな要因です。
 それ以外にも 最近は早朝の闘いが、また増えてきました。これは他の仲間の争議でのことですが、経営者との早起き合戦になっているのです。職場が閉鎖になったり、倒産した争議をはじめ社長宅へ赴くしか話し合いの足がかりがつかめない場合があります。社長がまだ出かけないうちに行かなくてはならないので、朝早くの行動になります。社長は、家に閉じこもって出てこないこともありますが、組合が来ないうちに外出しようと、だんだん早起きして出かけるようになり、組合側もさらに早く行くといういたちごっこになり、
 ますます早朝の行動になったりします。経営者もそんなことにエネルギーを使わずに、堂々と出てきて話し合えばよいのですが、逃げ回る経営者が多く、学研ではかつて古岡社長や沢田社長がホテルに外泊という金と暇をかけてまでして逃げ回ったことがありました。大抵は早朝からの逃亡になるのです。因みに、連帯三河島そうじ団(争議団を文字った清掃会社での解雇撤回闘争の当該団体の名前です)では、10月9日、山本博康社長の外出は朝6時よりも前。私もかけつけるのは間に合いませんでしたが、社長は当該を中心とした居合わせた仲間たちの抗議・団交要求に、「解雇撤回はありえない」とか叫んで、バイクで出かけていったそうです。かつては自宅に暴力職制(文字通り、体育会系の暴れん坊を雇用して用心棒にした)を呼び寄せて、乱暴を働かせながら外出した教育社の高森社長も、いまは経営破綻が深刻、賃金・一時金も支払えない状態で、最近、ついに暴力職制も退職届けを出し、社長は丸裸になってしまい、朝暗いうちから自宅を抜け出したり、自宅に閉じこもったりというなさけない姿をさらけ出しています。
 早朝等の自宅行動で私たちが留意していることは大きく言って二点あります。一つは、経営者の生活領域に接する闘いであることへの配慮と覚悟です。会社を倒産させて逃げているとき、または会社等でも一切面会を拒み悪質な逃亡をしているとき、私たちは解雇攻撃による生活破壊を仕掛けて開き直っている経営者の生活領域にも、その責任を問う行動を突きつけることを辞さない姿勢で臨みます。かつての労働運動の歴史などをひもといて見ると、社長宅の塀にステッカーを貼ったり、何日間も連続して門前にはりついたり、の行動を行っていたようです。労働者側の生活を奪われたという切迫感が今以上に強かったからだということも原因の一つでしょう。いまは、そこまでの展開は珍しいですが、玄関先で面会を申し入れ、無対応であれば2時間くらいはりつき行動も行います。社長と直に話し合う場を求めるということは大切なことと考えています。相手が出てきてすんなりと会話に入れることは少ないですが、切実感や解決への強い意志を伝えることができるし、言葉を交わせれば互いの考えを突き合わせることで、解決のきっかけになることもあります。社長に会いに行っても会えず、夫人や子供など家族に接する場面も生まれたりします。それぞれに応じて気を遣いますし、夫人には首を切られ、いかに大変な生活を強いられているか、ちゃんと社長が話し合うように説得して欲しい等のことを説明します。かつて私たちは工藤ふじせ企画社長宅に何回も足を運び、最後は工藤社長が団交の日時を設定して話し合うことができました。工藤社長が留守の時に、夫人が応対し、家の中へ招じ入れられ、懇々と事情を説明したこともありました。その時に、学研の社長の豪邸とは違って狭いアパートの部屋に子供たちも居合わせたりして、丁寧に家族に接して話しをしてきたつもりですが、やはりこちらも複雑な思いに駆られたりしたものです。後々には工藤社長にも分かってもらえて、途中まではふてぶてしい態度で組合と激しいやりとりをしてきた彼が、中労委で証言に立った頃には「学研の言いなりになって、組合と対決して馬鹿なことをしたよ」とふと私に洩らしたときには、これまでの蓄積の甲斐があったという思いが沸いてきました。工藤さんの子供たちは成長して今頃はどうしているでしょうか?
 もう一つの留意点は、刑事事件などに仕立てられて弾圧を受けないように細心の注意をして行動することです。争議団の団体行動は労組法でも保護された権利ですが、最近は労働運動を封じ込め、現場闘争を行わせまいとして、刑事・民事の両面から弾圧がかけられています。建造物侵入をでっち上げられたり、社長を門前で立ち止まらせただけで暴力行為等処罰に関する法律違反や逮捕監禁罪に仕立て上げる、また、経営側が「面会強要の禁止」「業務妨害の禁止」等の仮処分を申請して、さらに仮処分決定に違反したら金を取り立てる間接強制の決定まで引き出すなどして一切の争議行為を禁圧するといった攻撃です。
 工藤社長の例にも示されているように、争議団・労組の現場における直接行動というのは、労使問題を解決する上できわめて大切な意味と効用を持っているのです。しかし、最近はそうした行動を一切行わせまいとする圧殺攻撃と、争いは裁判などでやればいい、という労働運動の側をも巻き込んだ誤った風潮がつくられてきています。闘う労働運動とか現場実力闘争というのは、別に経営を打倒するとかでなく、そのままでは弱い労働者が団結して職場に自分たちの力を確立し、労使が現場で緊張感を持ってやり合えるようにすることであって、それは結局、双方の間の風通しを良くし、意思を疎通させていく上でも大切なことと考えています。直接性を重んじ、労使間の自主交渉=自主解決を求める私たちのような行動は「民暴」=企業対象暴力扱いして潰してしまおうと狙っているのは経営の専制体制を維持しようとするものです。こうした傾向は、労組側からの観点を離れても、労使関係の空洞化、社会全般での人間関係の解体に拍車をかけるものでしかなく、ろくなことはないのですが。
 しかし、私たちの仲間たちの中では、こうした弾圧を許さず、弾圧をはね返して争議団の秋季攻勢が展開されています。明朝も眠い眼をこすって出かけよう。