委員長のきまぐれ「週報」 「争議団的暮らしとは」

第24回 「報復戦争」の時代と現場から対峙して
( 2001年11月25日〜12月16日)

組合活動週報
11月25日(日) ふじせ弁護団会議
26日(月) 品川臨職・庁舎前、本山富士銀本店、出労交作業・例会
28日(水) ふじせ学研イベント闘争
29日(木) 南部地区交流会例会
30日(金) 明大生協昼集会、4・28大崎局
12月1日(土) ふじせ・全国学研関連郵送情宣、争団連事務局・作業・例会
3日(月) 森川健康堂社前
5日(水) 品川臨職・保育園情宣
6日(木) ふじせ学研第3ビル朝ビラ、旭ダイヤ玉川工場
7日(金) ふじせ学研第2ビル朝ビラ、鳥井電器高裁、赤羽闘う会・局包囲デモ
10日(月) ふじせ学研社前闘争、南部労組大崎駅頭情宣、
11日(火) ふじせ学研本社朝ビラ、三河島山本自宅、廣川書店労組高裁
12日(水) 中央洋書社長宅、中大生協昼集会、南部交流会作業
13日(木) ふじせ行政訴訟高裁、機械麹町昼デモ、国鉄臨職和田さん中労委審問、連帯大地・イベント闘争、南部交流会例会
15日(土) 争団連&地域共闘・アメリカ大使館抗議・防衛庁抗議、地域共闘交流会例会
16日(日) 南部交流会・アフガン空爆反対南部地域デモ


 師走も押し詰まってきましたが、まだ、いろいろな闘争がくりひろげられています。ふじせ労組は、久しぶりに全国の学研関連へ郵送情宣を行いました。大量の郵便物を発送するので作業も当該・支援共事務局メンバー総がかりになります。ここのところ毎回見られる傾向ですが、今回も返送状況から全国の学研代理店やCAIスクール等が廃店、閉鎖になっていることが分かります。「直販組織の建て直し」を会社は大きなテーマにしていますが、学研の経営姿勢が招いた組織崩壊に責任を取る態度が見られない限り、展望はないでしょう。株価もついに14日に100円台を切りました。
 共闘関係では中大生協、森川健康堂等、新たな仲間が地域合同労組に駆け込み、不当配転や解雇との闘いを開始しています。南部では鳥井電器シャジャハンさんの高裁和解が決裂しました。
 アフガン空爆反対の反戦闘争も、15日に争団連&地域共闘交流会等主催での行動を展開、アメリカ大使館前では、100メートル近く手前で警備の警察部隊60名程に阻止線を張られ、さらに50メートル以上押し戻されましたが、暴力排除と対峙し抗議の声を上げ、さらに市ヶ谷に移動、防衛庁へ抗議し、申入書を受け取らせました。南部交流会でも「空爆やめろ、餓死者を出すな」という大田・品川の地域の行動に参加しました。私たちは、労働現場で争議や職場闘争を自らの直接的課題として闘っていますが、社会や政治の動向の中で私たちに関わってくる労働法制改悪等に対する闘いや、争議行為禁圧、治安弾圧強化・戦争国家化に対する闘いにも微力ながら取り組んでいます。大上段にふりかぶって天下国家を論じる気はなく、生活と闘いの現場から、私たちを潰しにかかって来るような資本ー国家の在り様を撃っていくというのがスタンスです。
 9・11のニューヨーク・ワシントンの事件と米国の「報復戦争」については、前々号でも書きましたが、危惧していたとおりの事態が進行しています。事件当日には、「冷戦」後、一極支配による新世界秩序構築により唯一の超大国を誇ってきたアメリカの安定神話の崩壊とグローバル資本主義の象徴的建物が破壊されたとの認識に由来する一種解き放たれた感情と多数の労働者・民衆が犠牲になったことへの想いが交錯しました。私たちの知と想像力の遠近法を倒錯させて、人々の「死」を簒奪し、政治的に利用しきったところに「報復軍事行動」という戦争の正当化が行われている中、「息子の死を戦争で汚さないでくれ」と言ったアメリカ人の父親の言葉が心に残りました。こうした思いを押し潰し、「報復戦争」へと連なる「テロ根絶」のプロパガンダが社会を一色に塗り固め、元来様々な背景や形態で行われ、歴史的にも変遷をたどってきている「テロ」についての明確な規定や向き合い方への考察もないまま、国家の側にとっての「犯罪者集団」の代名詞としてこの言葉が濫用されていったのです。そして、いま、「反テロ戦争」という名でイスラエルのパレスチナ攻撃が拡大しています。
 角川書店のミステリー雑誌の編集者が企画して刊行された「テロ以降を生きるための私たちのニューテキスト」という冊子が11月30日に発刊されました。「事件後、メディアや政治に溢れる言葉は、無限の正義、善と悪の闘い、ショー・ザ・フラッグ、目に見える国際貢献、日の丸を立てる秋、奴等への報復、文明の衝突・・・といったあまりにも限られたものばかりだった。その言葉の使用法はまるで出来の悪いハリウッド映画のストーリーのように見えた。ビルの崩壊の映像より言葉の方がいっそうそう見えた」とし、「普段言葉で生計を立てている人、またそれぞれの「現場」をもって活動している人はこの事件をどう受け止め言葉にしていくのか、できるだけいろいろな人の言葉を聞いてみたいと思った」と編集後記で書いているとおり、橋本治、養老孟司、池田晶子、島尾伸三、K・V・ウオルフレン、等の多彩な執筆陣の言及は、異和を感じる部分を含めて惹き付けるものがありました。特に「戦後民主主義のリハビリテーション」と題した大塚英志氏の、小泉首相の高支持率にも重なる「好戦」論の背景にあるデイベート言語をマスメディアが提供してきたことに対し、戦争が嫌だという「実感」を足場にしつつ公共化できる言語を提供できず、「反戦論」が声になりにくい状況を生んでいることについては「ことば」に関わる人々の責任があるとの指摘に強い関心を持ちました。また、星野智幸氏の「この状況に歯止めを掛けるために本当に必要な個人的な言葉を、自ら殺しているのである」とのメディアへの批判も合わせて考えるところ大でした。 マスコミでは、せいぜい「戦争によってテロは無くならない」等の有効性を論じる言葉が反対論として採り上げられていたと思うのですが、それは「戦争によって封じ込めるんだ」という国家の側のリアルポリティックスの打ち出しに押し切られたのでした。先に述べたように「テロ」は独自に考察されなければならないし、戦争については、「国家が行う戦争の犠牲者は常に民衆である」ということをメディアの使命としてもっと言い切る必要があったのだと思います。かつて、シモーヌベーユが、レーニンの「帝国主義戦争を内乱に」「革命的祖国敗北主義」という戦争への労働者の向き合い方への提起に対し、それは他国の戦勝を願うことで(他国の労働者の祖国敗北主義に反することになるから)、そもそも論理的に自家撞着を起こしているのだ、と批判を加えていたのを学生時代に読んで共鳴したのを覚えています。彼女は、そこから、戦争というものは、「政権を握っている支配者が、他国の労働者を使って自国の労働者を殺させることと同じだ」とまで言い切っていくわけですが、これは国家という枠組みによって労働者・民衆相互が対立させられる理不尽を衝いているものと言えます。ユダヤ系フランス人で哲学者(工場労働者としての経験も綴った「工場日記」も記した思索者といった方が良いか)だった彼女が「戦争は全部だめだ」と言い切ったことは、人類が戦争と暴力の歴史を未だに越えていない中で、理念に、自分の言葉に賭けたものがあったと推察するわけですが、知識人としてではなく、民衆は、自らの戦争体験の血肉化やその記憶の継承の中からのことばとして、戦争や国家を撃っていく「反戦論」を組み立てる必要と可能性を持っていると思います。近々に「非戦」と題した冊子が坂本龍一、オノ・ヨーコ、村上龍らによって発刊され、戦争一色の米国で「報復戦争に反対」の意思を示したマドンナの言葉も掲載されるようですが、「反戦」ではなく「非戦」として、どのような言葉が綴られているのでしょうか?
 このかんのアフガニスタンをめぐるマスコミ・ジャーナリズムのなさけない風潮とは異なり、現地で長年に渡りアフガン民衆と苦闘を共にしてきたペシャワール会の中村哲医師の語る言葉に感銘をうけた仲間たちが多くいました。現場からの眼差しの違いを改めて感じたわけですが、中村氏が作家火野葦平の甥と聞いて納得する部分がありました。以前に紹介した葦平の三男玉井史太郎氏が北九州市自分史文学賞を受賞した縁で私たちと知り合い、いつも激励の言葉を寄せてくださっていることと合わせ、「麦と兵隊」などで戦争作家ともてはやされた火野葦平の戦後に至る苦悩や思いが末裔の人々へ見えない形で引き継がれているのではないかと想像されます。
 99年以降の日本の大きな国家再編と連動した刑事弾圧・仮処分・間接強制・損害賠償攻撃、そして組対法をはじめとする団体規制法等、ありとあらゆる闘争潰しと現場で闘ってきた私たちは、自らの闘いの現場から戦争や国家を撃っていく道を手応えを感じながら堀り進みつつあります。まだまだ、長い闘いになりそうですが。