委員長のきまぐれ「週報」 「争議団的暮らしとは」

第22回 あの小泉は、自分を「テロリストでありたい」と言ってたなあ
( 2001年8月9日〜10月12日)

組合活動週報
8月21日(火) 争団連事務局、全国担当者会議、9・14第2会実行委員会
24日(金) 南部労組大崎駅ビラ
25日(土) 争団連夏季合宿
27日(月) 旭ダイヤ社前、出労交例会
28日(火) 渡辺工業社長宅
29日(水) 南部交流会作業・機関紙作業&例会
30日(木) ふじせ闘争支援共闘会議、4・28裁判
31日(金) 9・14反弾圧闘争・作業&第3回実行委員会
9月1日(土) ビッグレスキュー2001反対闘争
3日(月) 南部労組会議
4日(火) 南部交流会要請(三多摩)
5日(水) 弁護団会議
6日(木) 南部反弾圧集会、出労交・ダイヤ労組執行委員会挨拶
7日(金) 2ビル朝ビラ、争団連「莽」作業
8日(土) 争団連作業・事務局・例会・総会
11日(火) 旭ダイヤ本社申し入れ、9・14デモ申請
12日(水) 3ビル朝ビラ、ふじせ闘争支援共闘会議
13日(木) 本社朝ビラ、 本山富士銀本店
14日(金) 9・14霞ヶ関情宣&反弾圧集会・デモ
15日(土) 全国交流会企画会議
17日(月) 学研社前闘争
18日(火) 品川拡大会議、三河島社長宅、争団連事務局・全国会議
19日(水) 鳥井電器闘争控訴審、杉並庁舎内、柴法争議団拡大会議
20日(木) 弁護団会議、教育社高森社長宅、組対法昼デモ、機械Y&J、司法「改革」反対集会
21日(金) 鳥井駅頭・社前、南部労組全体会、洋C労組神保町、柴法争議団池袋
22日(土) 武谷病院闘争10周年デモ
25日(火) 出版関連労組交流会議例会
26日(水) 明大生協労組駿河台闘争
27日(木) 南部交流会例会、4・28東京郵政局前闘争
28日(金) 南部集中闘争=品川26周年・庁舎前闘争&区長宅包囲デモ
29日(土) ふじせ弁護団会議、中央洋書社長宅包囲デモ、地域共闘交流会例会
10月1日(月) 南部労組全体会議
2日(火) ふじせ控訴趣意書提出
3日(水) 鳥井社長宅・社前
4日(木) ふじせ闘争支援共闘会議、争団連・集会基調印刷・丁合作業
5日(金) 争団連総決起集会
6日(土) 争団連例会
9日(火) 品川地労委調査、出版関連労組交流会議作業・幹事会
10日(水) 鳥井電器控訴審、出労交・出版労連中央委員会情宣、鳥井闘争支える会
11日(木) ふじせ闘争支援共闘会議、機械工業新聞一族追及麹町闘争、全逓4・28連絡会・処分取消裁判
12日(金) 争団連統一行動(ジャパマーハイツ東映本社前・銀座デモ、地労委追及)


 8月末から今日まであっと言う間に時間がたってしまいました。私たちが所属している争議団連絡会議の機関誌(年一回発刊)の総会・決起集会開催に会わせた編集作業、その他に追われていたためです。・・・・とさぼった言い訳を。
 この間に、9月11日の米国での世界貿易センタービルおよび国防総省への航空機突入・炎上事件と米国・英国のアフガニスタン空爆がありました。ネット上での話題もどうしてもこの件になり、ふじせの掲示板にも立川自衛隊監視テント村の仲間が書き込みをしてくれています。米国本国を含め、全世界で報復反対の反戦運動もまきおこりつつあり、いろいろな意見が出されています。編集中の争団連機関誌「莽」の「発刊に寄せて」に、急遽、以下のような文章を書き込みました。

 「 本号の編集のさなか、九月11日に、ニューヨークの世界貿易センタービルとワシントンの国防総省にハイジャック機が突撃しました。本土に戦火が及んだことのなかった米国史上で初の事態を「戦争」と表現したブッシュ政権は、報復の軍事行動を宣言し、日本の小泉首相はいち早く、この「報復宣言」を断固として支持する声明を発し、新法制定を含めた自衛隊の派兵と国内有事体制づくりを押し進めようとしています。
 冷戦後、唯一の超大国アメリカの一極支配による新世界秩序構築と資本主義経済のグローバル化の中で、抑圧や犠牲の強要に抵抗する人々の声や、反米国感情の増加は顕著となっています。これらと向き合うことなく、米国の利害に反する国へのミサイル爆撃や、反政府勢力支援等で米国は全世界に戦争を輸出し、今回の悲劇をはるかに倍する規模の殺戮・国家テロを行ない、今回の事態を誘発してきました。労働者・民衆を犠牲にするいかなる国家も組織も許さないことが肝要であり、「国際社会への挑戦」や「文明の闘い」等の世界の支配構造に仮託した言説に依った「テロ根絶」キャンペーンは、悲劇を噴出させる根源である世界の支配構造を延命させるものでしかなく、真の批判とはなり得ないだろうと考えます。
 まさに転換の時代を象徴する二一世紀初頭の出来事に際し、私たちは、現場から資本・国家を撃っていく闘いを地に足をつけて展開していきたいと思います。今総会では、「転換の時代をわがものとし・・」という昨年来のスローガンを言い放しに終わらせずに体現していくという意味で、引継ぎ、争議団共闘の確固たる前進を闘いとっていきたいと考えます。(K)

 米国が世界でやってきたことについては、例えば「アジア国際通信」での神保隆見氏の鋭い指摘等がされていますので省略します。
 今回の米国での惨劇を起こした行為を私たちも批判するものですが、気にかけていたのは、「テロ反対」の協奏曲の高まりが、世界の構造の軋む音やパレスチナ等の抑圧された民衆の呻きの声を耳を澄ませて聞くことを妨げ、人々が押し流されていくのではないかということでした。起こりつつある反戦運動の中でも、特に日本の市民運動等において「テロ反対」や「テロ糾弾」が「報復戦争反対」と並列で、あるいはそれ以上に前者が前面に打ち出されてスローガンとされることに違和感を感じていました。ブッシュ大統領が「テロの側に立つのか我々の側に立つのか」と言ったときに、「いや、我々はテロにも報復戦争にも反対なのだ」と言う意味で打ち出されるに至ったのだと思いますが、それだけでは、もう一つブッシュが言っていることに対抗し得ていないのです。彼は、「テロという眼に見えない敵との長い戦い」であることをくり返していました。権力者は「敵」を抽象化し、国家の下の情報操作によってそれを恣意的に描き出し、排外主義的国民統合を図ろうとしています。テロ対策法の名の下に米国議会は、警察の盗聴による国民監視をますますフリーハンドにすることを認めてしまいました。日本でも同様に、99年に強行制定された組織的犯罪対策法(警察の盗聴合法化をはじめ、「組織犯罪」と権力が勝手に決めたあらゆる団体・大衆運動を取り締まる法)・破防法の改悪が目論まれていますが、今回の事件を追い風に自衛隊の参戦法と合わせて治安弾圧法の強化が加速されるのは必至です。
 米国は、自国を中心とした新世界秩序に従わない国を「テロ国家」「ならず者国家」と勝手でご都合主義的なレッテル張りをして軍事攻撃を繰り返してきました。そして、パレスチナ民衆のインティファーダ(石と棒きれでの抵抗)等、追いつめられた人々の行動の「暴力」的表出をも、その範疇に括って、「反テロ」キャンペーンで封じこめようとしています。そのような中で、米国政府や日本政府の「テロ撲滅」と峻別されるところのない抽象的「テロ糾弾」スローガンは、危ういものではないでしょうか?相手を特定せずに十把一からげに「テロ」や「テロリスト」とラベリングすることを認めず、個々の行動やその主体を批判し、その敗北の構造をえぐり出し、私たちの行動や国際連帯の有り様を問うことこそ重要ではないかと思います。
 私が学生の頃、「テロ」という言葉は、サビンコフの「テロリスト群像」(ロシアエスエル戦闘団)や石川啄木の「テロリストの悲しき心」をうたった詩に結びつくイメージを喚起するものでした。しかし、今日、オウム真理教の「無差別テロ」や今回の事件はそれらとは隔絶したものとなっています。江戸川乱歩賞と直木賞を受賞した95年の藤原伊織の「テロリストのパラソル」でも全共闘時代の政治目的と急進的行動の風化が映し出されていました。そして、さらにブッシュの言うテロリストは西部劇の中の悪漢へと矮小化されたままですが、88年制作のアメリカ映画「ダイハード」は、日系商社のインテリジェントビルを舞台にして主人公のニューヨーク市警がたった一人で闘った相手が、テロリストをかたった強盗集団だったことが判明する場面や、「ベトナム戦争を思い出すぜ」などというセリフを吐く高慢で間抜けなFBI捜査官がコケにされていたのが印象的だった、アメリカ文化の中にある良識を感じさせるアクション映画の傑作でした(日本でさる9月15日にテレビ放映される予定だった「ダイハード3」は放送自粛となりました)。そう言えば、小泉首相ならぬ、80年代初めにデビューしたアイドル歌手、小泉今日子が「私は(聴衆を標的にした)テロリストでありたい」などと言っていたのを思い出しますが、今では考えられないことですね。
 最後に、この戦争に反対し、私たちも討論会と抗議行動を設定することになりますが、アフガニスタンが、世界と日本がどうなるか、注視していきたいと思っています。79年のソ連侵攻後のアフガニスタンを舞台にした船戸与一の冒険小説「血と夢」では、30発の銃弾を胸に浴びせられながら即死しなかったムジャヒディン司令官が登場しますが、米国はビン・ラディンを決して「聖戦の英雄」にさせないように圧倒的な最新兵器で抹殺しようとするのかも知れません。