委員長のきまぐれ「週報」 争議団的暮らしとは

第16回 「民族大移動の全国交流」
( 2001年2月26日〜3月12日)

組合活動週報
2月26日(月) ふじせ学研第2ビル朝ビラ、品川臨職共闘庁舎前、明大生協労組駿河台闘争、出版関連労組交流会議例会
27日(火) 三河島そうじ団山本社長宅、洋書センター刑事公判
28日(水) 加部建材刑事公判、南部交流会例会
3月1日(木) 鳥井電器解雇無効本訴、争団連「莽」作業、教育社労組ニュートン社前
2日(金) ふじせ学研社前闘争、南部交流会機関紙作業
3日(土) 機械一族追及イベント闘争、争団連事務局・例会
4日(日) 全金本山仙台現地闘争
5日(月) 全金本山仙台現地闘争、品川臨職保育園情宣
6日(火) 品川臨職保育園情宣
7日(水) ふじせ学研第3ビル朝ビラ
8日(木) ふじせ闘争支援共闘会議
9日(金) 大道測量社前、ジャパマーハイツ労組日本アカデミー賞闘争、三一書房集会、南部労組全体会議
10日(土) 東海技研名古屋本社闘争
11日(日) 全国争議団交流会分科会討論、全国交流集会(於大阪)
12日(月) 争議団全国結集行動(関西現地)



 ご無沙汰しておりました。例年以上に寒かった冬を思い出させる寒の戻りと異常に暑い日が交互に来て、春の初っぱなの気候には気持ちも落ち着きませんね。争議団も3月〜4月初旬へと、この時期はいつも以上に忙しくなってきます。争議団ですから「春闘」とかがあるわけではありませんが、地域や出版の共同闘争の準備や争議団全国交流の年に一度の大きな集まり等があるからです。
 3月11日、12日には今年20回目を数える全国争議団交流会が関西で行われ、東京からは40名を越える仲間が参加しました。財政事情から新幹線を使ってなどというわけにはいきませんので、マイクロバスやワゴン車に乗って行くということになります。時間がかかりますので、スケジュール的に無理な争議当該や支援の職場の数名のメンバーは列車移動となりましたが、それを除いても大部隊での移動となります。東京は立川市の東海技研という屋根修理業の会社で店舗閉鎖の動きがあり、争議に突入という中、その仲間の闘争も支えようということで、途中、その本社がある名古屋に寄って闘争をやっていこうということになり、前日の3月10日、この闘争への参加組が朝9時に東京を出発、そうでない組は昼12時に出発と部隊をわけての行動となりました。後発組には、争議2年目の若手(年齢は若くない)のK争議団の当該が夫人同伴、犬も連れて乗り込む(!)という話になりましたが、前夜、犬が暴れてカゴに入らなかったので取りやめになったとかで、それを聞いて一同内心ほっとしたりしながら(犬の世話で夫人も行けなかったのは残念でしたが)、民族大移動が始まりました。東京の争議現場でも毎月の行動には40人以上も集まることは多くないので、争議団の主力が東京を空にする感じで、東京の争議会社の経営者や警視庁公安二課はせいせいして羽を伸ばしていたかも知れません。大人数なので、トイレタイムも多くなり、昼食時間以外も高速のサービスエリアで止まるたびに必ず何か買って食う南部のY子さんもいたりで、車の中は終始わいわいがやがやのドタバタの旅の一座が大阪に着いたのは夜の9時半過ぎになっていました。
 迎え入れてくれたところは、全金港合同田中機械支部、70年代末からの倒産争議を南大阪の地域共闘で闘い抜き、今も自主生産を続けている組合です。広大な敷地の中に、7〜8年前、温泉も掘り当て、最近は地ビールもつくって「地底旅行」というビアレストランもあります。東京の争団連は、6年前に同じ港合同の南労会支部で刑事弾圧があったときから、反弾圧闘争に連帯、南労会の松浦診療所での争議との共闘を本格的に強め、同支部が関西の争団連に当たる関西争議交流会に参加している縁で今年はここを主会場として借りて全国の交流集会を設定したのでした。 夜も更けてきましたが、明日からの2日間にそなえ遅い夜食と地ビール、日本酒等を飲み食いしながらの「前夜祭」的交流が行われました。早速、温泉に浸かってくる者もあり、くつろいだ気分で九州から参加の争議団(最終的に20名を越えた)、地元大阪・神戸・京都、仙台の仲間など文字通り、全国の仲間が飲み、語り合いました。やはり、目立ったのはこのホームページでもおなじみの東京南部の連中でした。痩せの大食いのY子さん、全逓4・28連絡会のKなどが、各テーブルを席巻、「働かざる者食うべからず」は聖書のパウロの言葉ですが、働かなくても(首を切られて働きたくても働けなくとも)食わないわけにはいかないとばかりに、テーブルの皿をきれいにしていったのでした。酒宴は、この後も工場内に用意された宿泊場所に移っても続きました。
 「前夜祭」で炸裂した全国のパワーは、翌日(二日酔いもいましたが)の分科会交流、(争議団が抱える共通課題や地域合同労組の課題、などのテーマごとに交流・討論を深めた)、夜の交流大集会(全国の争議団が次々と壇上に上がり挨拶)へと引き継がれ、さらに、もう一晩夜の交流の宴を繰りひろげて、翌12日の関西現地の争議現場3ヶ所を貫く統一行動も打ち抜かれました。争団連、関西争議交流会、北部九州反弾圧争議団労組交流会の共同主催の第20回全国争議団交流会と現地行動は大変な熱気と活気ある3日間でした。
 やはり現場で闘っている者同士の交流で深められていく信頼の力は強いですね。全国の争議についても、「発信25時」の中でおいおい紹介していきたいと思います。