委員長のきまぐれ「週報」 「争議団的暮らしとは」

第14回 「23周年デモの成功と新大久保駅死亡事故」
( 2001年1月21日〜2月3日)

組合活動週報
1月22日(月) 日刊紙業通信社前闘争、争団連全国交流会担当者会議・争団連事務局
23日(火) 公園申請・デモ申請、東工大弾圧地裁前情宣、三河島そうじ団社長宅
24日(水) 全逓4・28連絡会旗開き、連帯大地市川闘争、洋C神保町情宣・極東抗議
25日(木) 連帯杉並区庁舎闘争、本山みずほホールディング前、旭ダイヤ社前、明大生協労組駿河台校舎前闘争
26日(金) 倒産・解雇23周年闘争・学研社前集会・デモ
27日(土) 加部建材朝霞闘争、労働法連絡会作業
29日(月) 品川臨職庁舎前闘争、板橋パート庁舎前集会、出労交作業・例会
30日(火) 労働法連絡会全体会
31日(水) 学研第3ビル朝ビラ、ふじせ闘争支援共闘会議、ケミカルメッシュ工業闘争、教育社ニュートン社前闘争
2月1日(木) 学研本社朝ビラ、洋書センター闘争刑事公判、東工大救援対策会議
2日(金) 学研第2ビル朝ビラ、鳥井電器闘争支える会例会
3日(土) 争議団連絡会議・事務局&例会


 解雇記念日に毎年行っている学研社前集会とデモ、今年は23周年として1月26日に行われました(ほんとうは78年1月20日が倒産・全員解雇の日なのですが、週末の夜等に闘争をずらしています)。前日の25日夜は冷たい雨が降りしきり(明大生協労組さん、お気の毒に)、朝まで雨が残る、闘争翌日の27日は未明から降り始め、3年ぶりの大雪と(連帯大口製本さん、加部建材八尋さん、お可哀想)という悪天候となりましたが、これに挟まれた26日はその「谷間」となって、好天に恵まれました。なんだか奇跡のような話です。
 とは言っても、寒さが続いたこの週、この日も冷たい北風が吹く中、全都から集ってくれた仲間と共に夕方4時半から学研社前での前段行動を展開、本番の6時半からの集会が始まる頃には、続々と仲間が結集、社前抗議集会を打ち抜いた後に、7時半より、社屋包囲そして上池台から長原商店街へと地域デモを行いました。地域・出版の労働者・争議団・野宿者・学生等、闘いを支える厚い陣形を示す121名の人々の参加で、大成功でした。遠い場所、1月という季節、寒い気候、と悪条件の中、これだけの仲間が集まってくれる、支援・共闘への皆さんの熱意はほんとうに有り難いものです。
 労働運動の大勢は大きく後退し、厳しい状況にある中、私たちの闘いは奮闘を続けています。ふじせの1月のデモ、97年は102名、98年は114名、99年は119名、昨年は120名、と結集も右肩上がり(学研の株価は右肩下がり、言い過ぎか!)を続けています。相対的には決して多い数ではありませんが、その内容は、状況に押し流されない仲間たちの共闘が強固に築かれてきていることを如実に物語っています。
 引き比べるのは僭越と思いますが、私たちの23周年闘争の成功から1週間後、出版のある争議が終結したというニュースが入ってきたことに触れます。20年間の争議でしたが、一人あたりに換算すると涙金に等しい解決金(職場復帰は無し、争議責任の確認も無し)で終止符を打つ、という内容と聞いています。昨秋年末、数百名規模のデモを上部団体の力で成功させたばかり、と聞いていたので急なことに驚いています。しかし、同時に、この労組の闘いが、途中から現場での自力・実力・直接型の闘いから転換し(この数年、争団連も休会)、私たちの共闘関係から遠ざかっていたことを憂慮していましたので、残念な帰結であると思うとともに、「やはり、あのような闘い方では勝てなかった・・」という感想をもたざるを得ません。教訓とすべきこと、共闘上、総括すべきことが多い争議終結です。
 私たちのデモのあった夜は、もう一つ大きな事件があって忘れられない日となりました。JR「新大久保」駅で起きた3人の死亡事故の話です。酔ってホームに転落した人を助けようとして共に亡くなった2人につき、ニュースでも何度も取り上げられました。私たちも、支援共闘会議の後の酒席でその話題になりました。TBSのニュース23で、筑紫キャスターが、「何故、韓国の留学生ばかり大きく扱って日本人の写真家につき、あまり報じないのか」という抗議があったことに対し、「公平に同じ頻度で取り上げている」と報道の立場につき説明したらしいのですが、支援共のOさんは、「違うのではないか」と言います。異国の地に留学した青年が何を背負い、どう事故と遭遇したのか、韓国からかけつけた両親の姿と言葉など、報じるべきことが相対的に多くても不思議ではないのではいか、そのことを筑紫氏は視聴者に伝えるべきではなかったのか、というものです。私も、2人の死の重さに違いはないが、あの事故のとき、自分があの場に居合わせたら、どうしていたかと考え、ともすれば私たちが「ストレンジャー」としてしか扱わない外国人が、線路に墜ちた人のところへ飛び込む、その行為において青年が軽々と「飛び越える」ことができたものは、私が異国の地にあって、通りすがりの外国人として同じように越えられるものなのか、を考えると、そのことは報じるに値することだと思いました。これは、政治家がこの事件を外交の道具に利用することとは次元の異なるものだと思います。
 この事件については、もうひとつ、作家の矢作俊彦氏が、長距離列車が止まるわけでもない新大久保のような駅でJRがカップ酒を売っていることを指摘、年間100億円以上の売り上げとなる駅での酒類販売、利益のために人の安全を犠牲にしているのである、コストをまた運賃にはね返らせるに決まっているホームドア設置などと短絡する前に酒の販売をやめさせるべきだ、国鉄時代から彼らのコスト計算は「人間」が最も安く見積もられているのだ、と書いています。私も品川駅や東京駅などから長距離列車に乗るときはワンカップやビールを買うことがあるので、「酒の販売反対」とすぐには言えないのですが、それよりも利益優先という点では、駅のホームが無人化されてきていることに危険を感じます。私たちは地域でも東急池上線のワンマン化に反対してきましたが、駅員が減らされ、車掌も廃止され、という結果、池上線のような少ない車両のローカルな電車でもホームに人がいないことに危険を感じることがあります。今回の事件は国鉄の分割・民営化の過程での大量の人員整理の結果を象徴しているものです。おりしも27日の大会で国労本部は四党合意受け入れをついに採決し、闘争団の闘いを切り捨てた政治収拾を決定しました。これも「人間」を安く見積もる愚かしさが悲劇を生んでいくことの肯定につながる選択でしかありません。闘争団は納得しない、としており、全逓4・28連絡会のような自立した闘いが問われることになりました。
 私たちのデモは成功し、意気軒昂ですが、気の重い夜となった26日は忘れられない日となりました。