委員長のきまぐれ「週報」 争議団的暮らしとは

第11回 「遠いあの日の決起から」
(2000年11月26日〜12月9日)

組合活動週報
11月27日(月) 連帯労組杉並・区長団交要求、声の教育社社前、品川臨職共闘庁舎前闘争、出版関連労組交流会議例会
28日(火) ふじせ学研社前闘争、三河島そうじ団山本社長自宅、全金本山・みずほホールディング前
30日(木) 教育社高森社長自宅
12月1日(金) 南部労組鳥井電器本訴
2日(土) 全国交流会担当者会議、争団連事務局・例会
3日(日) 全国交流会企画会議(福岡)
4日(月) 福岡現地行動(九州電力本社ー旭ダイヤ九州支社ー網中社前)
6日(水) 一時金カンパ要請
7日(木) ふじせ闘争支援共闘会議、一時金カンパ要請、鳥井電器地労委調査
8日(金) 連帯労組杉並・庁舎前集会(北部共闘集中行動)、一時金カンパ要請



 師走となりました。寒さが増してくるこの季節になると思い出します。12月4日は、私たちの組合の結成記念日です。23年前のこの日は日曜日で、翌5日の朝、会社に通告を出しました。数ヶ月をかけて準備し、都内のある菓子屋さんの2階が貸し会場(しゃれか?)になっていて、そこで旗揚げの集まりを持ったのです。無給での長時間残業、低賃金、いやがらせによる退職等々の、忍耐と屈辱的沈黙の日々に別れを告げて、自らの尊厳を取り戻そう、との結成宣言を採択しました。一人ひとりが思いを語り、それを仲間が受け止め、感動的なひとときでした。なにしろ、ここまでこぎつけるだけでも、大変だったので喜びもひとしおでした。
 親会社の学研は組合を認めず、本社内で労組潰しに明け暮れており、その労組対策の一環として導入・育成された下請プロダクションだったため、ふじせ企画(学研の編集業務を委託されるトンネル会社でピンハネをしていた)社長、そして傀儡の東京ふじせ企画(実際の編集業務を行っていて、労働者はこちらに在籍)社長の監視は厳しく、仕事を終えて数人で酒を飲んだだけでも、知られると、呼び出されて詰問されることもありました。何度か組合結成の動きがあったのですが潰されたと聞いていました。
 「これ以上黙ってはいられない」ということで起ち上がった自分たちを、後に、「百姓一揆みたいだった」、と口にする人もいました。この仲間とは違う支援の誰か(のまた知人か?)が書いたものと思われますが、争議開始から何年か後に、滅多に行かない新宿のゴールデン街の飲み屋のトイレに、「百姓一揆から世界同時革命へ。ふじせ闘争の勝利無くして革命無し」などという落書きを見つけたときにはほんとうに驚きました。こんな大仰なことを考えたこともありませんし、トイレの落書きにまで責任は負えません。私たちの要求は下請会社の制約を意識しつつ、それにしてもあまりに劣悪な労働条件を改善したい、というもので、東京ふじせ企画社長へ提出されたものでした。
 しかし、一揆を潰しにかかったのは学研でした。学研による組合員ひとりひとりへの懐柔や切り崩しは想定し、対策も準備していました。しかし、学研が仕掛けてきた攻撃は、もっとウルトラでした。結成からわずか1週間で業務の総引き上げでした。結成翌日には35名の社員のうち25名が組合に加入しているという状態から、個別切り崩しでは潰すのは無理と学研は考えたものかも知れません。それ以上に、学研は労組対策用に活用してきた会社に労組ができたことへの危機感からパニック状態に陥ったというのが実状だったと思われます。
 学研は、ふじせ企画社長の口から「組合を解散しないと業務は戻らない」と言わせ、これに私たちが応じないと、1ヶ月後には「東京ふじせ企画に不渡りを出させろ」と指示し、倒産=全員解雇の会社ごとの組合潰しに出てきたのでした。私たちは、師走の寒空の下に放り出されるはめになりました。焦燥にかられ、結局、本社での争議に続き、下請けにも争議をひき起こす道を学研はつき進んだわけです。

 この頃のことを詳しく書いているときりがありません。毎日が劇的な展開の日々でした。他の争議を闘っている当該の人々も皆、同じでしょう。よく、現場で争議突入当時のことを昨日のことのように話してマイクでアピールする仲間がいます。最近は、少し前のこともすぐ健忘症になるのに、過ぎた遠い日のことを克明に思い出す。これは、私たちが相当、老人力をつけてきたということですね。ふむ。全都の争議団共闘の組織である争団連に加盟している争議団の面々の半数以上が約半世紀を生きてきて、そのうちの四半世紀を争議を闘う日々として過ごしてきたという、すごいことになっています。しかし、前にも書いたように争団連にも少しずつ若い人たちが入ってきています。私たちも、頭と心は若く保っていようと考えています。でも「21世紀、21世紀と騒ぐんじゃないよ」という気持ちもあり、重たい20世紀後半の経験を内に抱きつつ、新しい世紀に臨もうというのが私の感覚です。昨年、洋書センター争議へ刑事弾圧がかけられたとき、地域合同労組の東京南部労働者組合の機関紙のひとことコーナーに「21世紀旗手たち」と題して、獄中の仲間を含めた争議団の面々を面白半分に紹介した文を書いたのを思い出します。今年になって朝日新聞が「21世紀旗手」という各界の新時代の担い手を紹介する連載記事を組みましたが、「朝日は俺のをぱくったな」と抗議したい気持ちでした。でも、もともとは太宰治の小説の題名からのひねりであることは周知のこと、文句は言えませんね。
 さて、その組合結成記念日に、今年は何をしていたかというと東京を離れて福岡にいました。全国の争議団や支援の労組・労働者、各地の地域共闘が集って毎年3月に全国交流集会を開催するのですが、その準備のための企画会議と翌日の現地行動が、今回は福岡で持たれたのでした。東京からも14名が参加しました。時間的にも遠く歩んできましたが、その過程で私たちは、争議を通じた新しい世界の広がりをも体験してきたのでした。全国交流では、地域によってまた、労働運動の歴史や運動への感性が異なる面があるのも話していて面白く感じるところです。第20回となる来年3月の全国交流集会は関西での開催となります。
 きょうは、このへんで。