委員長のきまぐれ「週報」 「争議団的暮らしとは」

第10回 「世紀末の集会ハイジャッカー」
(2000年11月7日〜25日)

組合活動週報
11月7日(火) ふじせ闘争支援共闘会議
8日(水) 機械工業新聞経営一族追及
9日(木) 学研イベント「才能開発実践教育賞」贈呈式抗議闘争、労働法連絡会・全労委総会ビラ入れ
10日(金) 本社朝ビラ  南部交流会例会
11日(土) 争団連臨時例会、日野遺跡労・市イベント闘争
12日(日) 学研役員高橋孝太郎自宅抗議
13日(月) 旭ダイヤモンド社前闘争、出版関連労組交流会議作業・幹事会
14日(火) 洋書センター闘争刑事公判、南部交流会郵送作業
15日(水) 争団連事務局会議、品川臨職共闘地労委、労争連・辺見庸氏講演集会
16日(木) 品川臨職共闘23区区長会、柴法争議団池袋闘争、出版関連労交流会議秋季集会
17日(金) 全逓4・28連絡会東郵闘争、西部共闘集中闘争(連帯ジャレコ社前ー教育社労組ニュートンプレス社前、連帯大道測量野方地域デモ)
20日(月) 機械工業一族抗議、南部労組全体会議
21日(火) 学研市販雑誌編集部フリー情宣、鳥井電器闘争デモ申請、
22日(水) ふじせ闘争支援共闘会議、洋C神保町・極東、鳥井弁護団会議
24日(金) 加部建材闘争三井道路本社抗議、ジャパマーハイツ労組東映本社抗議、渡辺工業東大竜岡門ー社前闘争、声の教育社闘争勝利報告集会
25日(土) 大口製本三芳本社工場、南部交流会集中闘争・鳥井電器武蔵小山地域デモ、地域共闘交流会例会、洋書センター公判対策会議



 今年もあと1ヶ月ほどを残すのみとなり、争議団関係の闘争も年末にかけて、集会・デモなど大きな行動を地域共闘の集中行動などとして設定しているものが多くなっています。私たちも、慌ただしい季節を迎えています。「今世紀最後の○○闘争」ということばがはやっています。ジョークですが、私たちに当てはめると、「21世紀最初の集中闘争」(出版関連労組交流会議、南部地区労働者交流会の)として1月には学研包囲デモを行うことになります。おっと、鬼も爆笑の話ですね。
 しかし、21世紀はどんな時代になるのでしょうか。数年先のことも、現在の延長としては感覚的にはつかめても、予測しきれず、時代変化をどう捉えるかは難しいものがあります。11月16日に作家の辺見庸氏の講演を聞く機会を得ました。東京の三多摩地区で地域共闘をつくって闘っている三多摩労組・争議団連絡会議の主催した集まりで「時代の光と闇ー今、見つめるべきこと」と題した講演でした。話を聞きたかったことと、私たちの属する南部交流会の集中行動(鳥井電器闘争のデモ)の要請もあったので、その呼びかけビラを持って会場の小金井市公会堂まで行ってきました。
 辺見さんの話は、自民党の崩壊現象の一方で進行している現在の社会を覆う「ぬえのような全体主義」とも言うべき状況について指摘、特に日の丸・君が代をはじめネオナチズム的強圧が襲っている教育現場のひどさについて触れました。こうした情勢を語るとき、人々の有りよう、市民像や大衆像というものの捉え方についても修正を迫られており、その内面から語ることの重要性を提起されました。そして、1930年代の表現者たちが、どういう思いであの時代の強圧の中で生きていこうとしたのか、当時の文壇の大御所であった菊池寛が呼び掛けて「ペン部隊」が作られ、戦争協力を自ら推進していったこと、小林秀雄なども「もっと言論統制をやるべき」等と主張していたが、彼の全集の中からはその記述が削除されていること、や戦後の「近代文学」派の己を問わぬ「戦犯」文学者狩り、等の負の歴史は、今の私たちにとって無縁ではないことを語られました。そのことを示す好例として、氏は、スタンレイ・ミルグラムの「服従の心理」(アイヒマン実験)という著作をあげて、権威に服従しやすい人間の心理とその結果、上官に命令されていかに簡単に人を殺すまでに至るかを指摘しました。このミルグラムの著作(河出書房新社刊)で紹介されている実験は、むろん殺人までやっているわけではありませんが、残酷きわまりないユダヤ人虐殺を行ったアイヒマンを「ごく普通の人間」と捉えたために非難を浴びたハンナ・アレントの主張が正しかったことを示しています。辺見氏は、私たちが無名のペン部隊的状況に陥りかけていることへの危機感を述べて話を結ばれました。
 現在の政治・社会状況の根底にあるものとそれに押し流されることなく、自分を語っていこうとする辺見氏の覚悟と緊張感が伝わってくる講演でした。
 私は、この日は話だけ聞いて帰るつもりでした。講演後、司会者が質疑応答を求め、会場に質問者が何人くらいいるか手を上げてください、といいました。一人しかいません。手をあげている人を見ると、「あっ、Yさんだ」とわかりました。彼は労争連の人でなく、市民運動関係の人で、労組・争議団関係者の質問者がいないと思いました。質疑が盛り上がらないのは寂しいなと思い、数だけでもあった方がよいと考えて手をあげてしまいました。司会者が、「二名ですか、じゃYさん」と指名すると彼は私に「お先にどうぞ」と言うではありませんか。司会者が「じゃ、Kさん」と私を指名しました。特に質問を用意していたわけではなかったのですが、いくつか質問をしました。「他の地域のものなので、遠慮して内容を絞って質問しますと前置きし、切り出しました」(このことを強調しておきたい。オッホン)。一つはこの日の講演では触れていなかったものの、かつて雑誌上の対談で、山谷の労働者について語っていた件でした。山谷に流れついたホームレスの人々の表情には、霞ヶ関のサラリーマンたちの記号化されて分類されてしまう顔にはないものがある、として日本が行き着いた現状を表しているホームレスの人々の状況を、自身の文学上の課題として見ているとしていた点でした。この点については氏は現在では、この問題はとても重たく、当時のようには考えていない、と謙虚に語っておられました。ほんとうはもう少し、聞きたかったのですが。
 講演の内容に関する質問としては、表現者に問われていることという話の延長で、メデイアが98年段階で、「周辺事態法」という大変な問題をまともに取り上げず、神戸の少年事件等ばかりを報道してきたことを、先の戦争前夜にも阿部定事件のような猟奇的事件の報道に偏していたことと照らして、批判していたことについて、質問しました。メディアへの批判として正当だと思うが、当時の神戸の少年事件や毒入りカレー事件は、対立的に扱われる問題でなく、「ぬえ的な全体主義」と辺見氏のいう状況として押さえるべき問題があるのではないか、従って掘り下げ方の問題ではないのか、ということでした。彼の答えは、むろん、素材に優劣を付けはしないし、自分もエロ作品もつくる、しかし、今、情報化社会と言われているのは実は情報市場化社会で、事件A、事件B・・・が次々と電器製品と同じように消費される、売れ筋の商品としてニュースが切り売りされるだけ、その結果、傘をぐるぐる回すようにして格闘すべき重要テーマを円心分離していき、重要なテーマを深め、分析しようとする意思をそいでいく、あの時点で周辺事態法はメディアが取り組むべき決定的に重要なテーマであった。私の「眼の探索」を読んでいただきたい、というものでした。
 私(たち)も、昨年成立した、周辺事態法、組対法等は日本の国家の枠組みを大く再編するものと考えており、以上の回答に納得するものでした。が、同時に私の質問(というより期待)の3点目として、辺見さんには、(時評も鋭い視点で個から個へ語りかけているが)、「自動起床装置」で捉えられていた状況が今につながっているとしたら、次にはどのような文学作品を書くのかに強い関心がわく、予定はあるのでしょうか、ということを聞きました。これについては、現在、取りかかっている小説がある、ということでした。ノンフィクションの「もの食う人々」、対談集「屈せざる者たち」等で、豊かで頸い彼の内面を知ることができましたが、「自動起床装置」は、さらにその核にある彼の魅力を示しているように感じている私には、こちらの方がより嬉しい答えでした。
 辺見さんの話のうち、文学者の戦争協力に関する話は、私が、先日の「きまぐれ週報」にも転載した火野葦平についての文章の内容と重なる問題があったので少し驚いたものの、この件については時間が長くなるので質問しませんでした。講演集会はあと2名の方から、質問(というより闘いの報告が中心)がありましたが、いずれも労争連以外の方でした。日野市遺跡労からの発言、労争連からの閉会の挨拶等で終わりました。
 ところで、後日、この講演集会の話になったとき、「南部のKに集会ジャックされてしまった」と三多摩のメンバーに言われてしまいました。先に書いたとおり、相当遠慮していたんだけどなあ。もっと主要な質問となるべきことがあり、それを三多摩労争連に期待していたのに、誰も質問を用意してないんだもんねえ。辺見さんにも、なかなかつかまらないのでファクスだけで講演依頼を済ませたらしいです。いい根性してますが、これに応えてくれる辺見さんも、優しくてまじめな人ですね。