委員長のきまぐれ「週報」 争議団的暮らしとは

第9回 こだわりの実力派
(2000年10月15日〜11月4日)

組合活動週報
10月16日(月) 品川区長会
17日(火) 争団連事務局、南部交流会臨時例会
18日(水) 渡辺工業弥生門、機械Y&J
19日(木) 柴法池袋、9・14実総括会議
20日(金) 4・28向島局、ジャパマー東映、東工大刑事公判
21日(土) 旭ダイヤイベント闘争
22日(日) 反失業闘争実行委員会全国集会
23日(月) 学研社前闘争、「なんぶ」作業、南部交流会例会
24日(火) 鳥井武蔵小山駅ビラ・社前、洋C刑事公判
25日(水) 杉並上井草保育園情宣、本山みずほホールデイング前
26日(木) ふじせ闘争支援共闘会議、争団連統一行動(三河島、加部、日野)
27日(金) 鳥井電器闘争解雇無効本訴、鳥井闘争を支える会例会、ジャレコ社前
28日(土) 旭ダイヤイベント闘争、ジャパマーハイツ・東京国際映画祭情宣、警察の組織犯罪を告発するネットワーク結成集会
30日(月) 洋C闘争神保町情宣、極東書店抗議、品川臨職共闘庁舎前闘争、出版関連労組交流会議例会
31日(火) 学研第3ビル朝ビラ、労働法連絡会事務局会議
11月1日(水) 学研本社前闘争、全逓4・28連絡会・年賀発売記念式典闘争
2日(木) 争団連「莽」作業
4日(土) 争団連事務局・例会



 食欲の秋、読書の秋など、いろいろ言われますが、やはり私たちには「闘いの秋」ということになります。しかし、10・23も、11・1も、学研社前闘争は雨にたたられてしまいました。すっきりしない天気が多く、秋らしくありませんね。それでも、私たちは、自分たちらしい闘いにこだわって、行動を展開しています。私たちとの一切の話し合いを拒み、争議解決に背を向ける会社に対し、団体交渉要求の行動を行います。面会を拒否する学研経営陣に対し、受付に通し、責任者が応対するよう求めて、社前から社員通用口へ迫ります。会社は「ふじせ労組が館内に突入しようとしている」(裁判所に申し立てた仮処分の準備書面等での表現)として、社前の鉄柵を閉ざし、さらには他の出入口、駐車場のシャッター等をすべて閉ざしてしまいます。「突入」は大袈裟ですが、会社受付に赴くのは他の来客同様に当然のことです。私たちを一歩も構内へ入れまいとする学研との間で、昔(ほんとうに15年以上前)は、構内を制圧するか排除されるかの攻防戦を展開し、デモをしたり、会社側が動員した御用職制(「学研生活を守る会」といった)と100名対100名程でほんとうにぶつかりあったりしたものです。職場の中でも私たちと共闘していた全学研労組員は、春闘で腕章を着用したりするだけで、「守る会」が襲いかかり腕章を引き剥がす等の暴力労務政策でやられ続けていました。

 今はさすがにこんな御用職制の動員に明け暮れていたら会社が持たなくなり、「守る会」のメンバーもリストラで使い捨てにされ、殆どいなくなっています。時代は変わりましたが、それでも当時、労組員への集団暴行の先頭に立っていた暴力職制の高橋孝太郎は、常務にまで出世して居座っています。学研の体質が根本的には変わっていない証拠で、彼らは、今も私たちの登場に、過剰な反応を示し、全門を閉鎖し、社員・来客の人々が社屋内外に多数、滞留しても構わないというなりふり構わぬ対応をするのです。

 こうした不当な対応に抗議し、諦めることなく現場を退かない闘いを行っています。昔の労働運動では、ストライキ、ピケ等が当たり前でしたが、逃げ回る経営陣に対し、直接追及する行動は、今も当たり前のことと私たちは考えています。しかし、手を出したりするわけでもないのに、こうした行動を「暴行」「面会強要」「逮捕・監禁」「威力業務妨害」等の罪名を仕立て上げて弾圧する権力の介入も増えています。現場での争議行為を認めない、争いはすべて裁判等の場だけに封じ込める、そして裁判での判決も経営者のリストラを後押しし、不当解雇を容認する、という流れがつくられようとしています。私たちは、もちろん裁判・労働委員会でも主張を闘わせ、争いますが、こうした弾圧とも闘いながら、争議を展開しています。ほんとうは労使関係というのは、互いのことをよく知っている経営者と労働者がじかにやりあって、その中で解決を図っていくのが一番なのです。
 そんなわけで、私たちは自力・実力・直接型の闘いを基本に据えて、闘っています。10月26日に行われた争団連統一行動でも、そのような質を持った行動を展開しました。メンテナンス山本という会社で不当解雇と闘う「三河島そうじ団」(なかなか面白い命名ですね。掃除と争議をかけています)の闘いでは、職場を閉鎖して逃亡している社長自宅前を、多くの労働者が埋め尽くし、抗議行動を行いました。次の現場の加部建材闘争でもダンプカー置き場を制圧し、逃げ回る役員(社長の息子の専務)に団体署名を手渡す行動を展開、3つ目の現場の日野市遺跡労の闘いでも、市長室前で申し入れ行動、フロア内に響きわたるシュプレヒコールを行い、争議解決を迫りました。3つの闘いを大きく押し上げ、局面を前進させることにつながったと思います。

 今月の活動週報を見て気が付かれたと思いますが、私たちは、様々なイベント会場でも抗議行動を展開しています。イベント参加者に問題企業の実状を訴える、そして、どこへでも行って追及するぞという姿勢を経営者に示すことになります。「まるで追っかけみたいだね」と言われたことがありますが、似てますね。でも、この場合は、追っかけられ、黄色い歓声ならぬシュプレヒコールを浴びせられる社長らは、芸能人やスポーツ選手のようには、少しも嬉しくないでしょうから、違いますね。現在の小松社長の前の学研の社長の沢田一彦氏は、自宅に来られるのを恐れ、ホテルに外泊して、そこから会社に出かけていくという涙ぐましい逃亡劇を演じ、ついには恵比寿ガーデンプレースにあるウエスティンホテルから出社しようとするところを私たちに押さえられ、赤っ恥をかく、ということもありました。後日、会社前で行動しているふじせ労組に、すごい形相で文句を言っていました。体面を傷つけられたのが余程くやしかったのでしょう。その前の一族専制支配の張本人であった古岡秀人会長ー古岡滉社長親子に至っては、品川のパシフィックホテルへの逃亡ばかりか、自宅から隣家伝いにはしごをかけて、こっそり抜けだし出社する、ということまでやっていました。一部上場企業の社長などと言っても実態はこんなものです。そうしたつまらない権威に幻想を持たなくてもよくなった、ということは、争議の中で得られる経験として大きな意味があるでしょうね。

 小松さん、社長の椅子を投げ出すような噂も聞いていますが、それはやめにして私たちの眼前への登場を楽しみにしていてくださいね。そして、じっくりと話し合いの場を持ちましょう。