PΛl s 2021年3月31日号
学研の業務総引き上げ=倒産・全員解雇の真相 
 学研で働く皆さん、新年度が始まります。新入社員の皆さんも出社していますので学研HDが長期に抱えている争議についてのオリエンテーションも行いたいと思います。学研関連において必須のこの事実の認識に基づき、会社を働きやすい場にしていくために、知っておいていただきたいことをお伝えします。このニュース自体を学研HD経営陣は受け取り禁止などにしているようですが、これに納得せず受け取っている先輩社員も少なからずいます。ウエブサイトで確認することもできます。新人の皆さんが生まれる前からの長い経過にまず驚愕すると思いますが、皆さんが法の番人と思っているかも知れない裁判所の著しい加担で学研HDが居直ってこの争議は超長期化しているのです。
組合弾圧の長い歴史をもつ学研
 1977年12月、学研の下請編集プロダクション「東京ふじせ企画」に勤め、「○年の科学」「マイコーチ」などの編集業務を行っていた私たちが無給長時間残業・低賃金などの超劣悪な労働条件の改善のために組合を結成すると、わずか一週間後、学研は私たち35名に行わせていた業務の一切を引き上げ、会社を倒産させて全員の首を切りまた。これ以前に本社は、全研労組結成への14名の解雇・賃金差別、管理職らを総動員した吊し上げや集団暴行等で73年〜92年まで争議が続きました。下の写真はその一コマす。結成直後から全学研労組員に仕事干しを行い、そのスト対策のために取り上げた業務を下請化して行わせたのがふじせ企画で、そこに組合ができたことに焦っての暴挙です。 

下請けの経営者も後に「組合潰しは学研の指揮・命令」と事実を明かしています。1985年には破産管財人提訴の損害賠償訴訟で東京地裁が「組合を解散に追い込む目的で学研が業務を引き上げた」との事実を認定、学研の使用者実態も認める判決を出しました。 しかし、学研は「関与していない」と嘘を言い、 私たちの話し合い解決の要求に、「使用者ではない」との理由で「関係ない」と開き直って争議解決を拒み続けています。
「使用者ではない」なら争議責任を免れるのか?
 学研経営が居直っているただ一つの根拠である「使用者ではないから東京ふじせ労組と話し合う必要はない」としているのは正当でしょうか?「使用者性」というのは、労働組合法で団交応諾の義務を根拠づけるもので、直接の雇用関係がなくても「雇用者と同視できる実態を有する」経営者は使用者と見なすことができるというものです。労組合は特に解雇・倒産などの争議において実態的に労働者を使用・従属させている相手の責任追及を「使用者概念の拡大」という法理で法廷・現場で追及してきました。こような争議行為を行うこと自体が使用者概念の拡大の闘いでもありました。
 しかし、この逆に「使用者ではない」なら争議責任は無い、団交応諾義務はない、いうのは真にはなりません。下図のような関係になります。


  当初、学研の倒産・解雇攻撃が組合潰しを狙ったものであることから、労組法に基づく労働者救済機関である労働委員会に申立てを行って救済命令を求めました。ところが、東京ふじせ破産管財人が提訴した学研の倒産責任に対する損害賠償訴訟と同じ証人が組合側・学研側から出されて争われたにもかかわらず、なんと労働委員会は上述の学研の組合潰しと使用者実態を認定した損賠判決(85年)と真逆に、「学研は東ふじせ労働者の使用者ではないので団交に応じる必要はない」という不当命令を出し研経営を免罪しました。労働者派遣法が制定され、派遣先の使用者責任を免罪し、使者者概念の拡大を封じ切り縮めていく政治的な流れで出された、事実に反する判断でした。
行政訴訟判決(2001年〜2003年)の不可解
 私たちは、この不当命令の取消しを求めて裁判所での行政訴訟で争いましたが、ここでも不可解・理不尽な扱いが引き起こされました。使用者性について、上図にもある朝日放送事件最高裁判例(大阪朝日放送とテレビ制作の下請三者の労働者をめぐる争議との同一性の有無が争点との東京地裁の指示に従い、朝日放送事件以上に学研との関係が濃い東京ふじせにつき証拠を提出し弁論を進めていったにもかかわらず、判決直前になって東京地裁は期日を何度も延期し、遂に判決の段になると朝日放送事件との同一性判断を回避し、強引に「学研は使用者ではない」と労働委員会命令を追認したのでした。 これで学研の使用者責任に基づく団交応諾義務は法的に否定されましたが、学研が倒産攻撃の争議責任に基づく団交応諾義務を免れるわけではありませんし、私たちが責任追及の争議行為を行う資格がなくなるわけでもありません。
学研経営、争議責任を居直り、裁判所の加担で民事弾圧 
 ところが学研経営は10年も経過した2013年になって、私たちに対して相次ぐ民事手段を使った組合運動潰しの弾圧=損害賠償請求訴訟を仕掛け、その中で「争議はわった」「組合の行動は学研を団交に応じさせるための嫌がらせだ」と言い出し、この訴訟で裁判所も、通用するはずもない「東京ふじせ労組の行動は正当な組合活動ではい」などとして損害を認定する不当な判断を行ってきています。学研の運営する高齢者住宅の一つ=学研ココファンあすみが丘(千葉)の居住者の方たちの相談を受け、施設の待遇改善を求める声を組合ニュースに掲載したことを「名誉毀損」などとして損害賠償訴訟を仕掛けてきた裁判で、東京高裁の川神裕裁判長はデタラメ地裁判決をさらに悪質に修正し、ふじせ闘争継続の根拠についての組合の主張を、「法治国家における裁判を通じての紛争の解決という裁判制度の基本的な機能をあからさまに否定するもの」と断じるウルトラな不当判決を出してきました。「使用者性否定の裁判所の判断が間違いであった」と論じたこと、その法的責任は判決確定で追及できないが、「元からの倒産責任を追及して争議を継続している」と表明したことが、どうして「法治国家」云々ということになるのか、裁判所こそ傲慢なもの言いで組合敵視=弾圧に加担をしているものです。
3・29「新新損賠」判決糾弾!
組合の立証事実を見ぬふりし、学研経営の           主張を丸写して「名誉毀損」をこじつけ

 3月29日、私たちが「新新損賠」と言ってきた学研・ココファン関連の第3次の損害賠償請求訴訟の判決が出されました。これは2018年に学研の高齢者施設=ココァンまちだ鶴川で起きた殺人事件につき、学研が記者会見も開かないことを批判的に評したロングライフサポート協会という福祉団体理事長のブログの記事を「質問書」で指摘し、この年12月の株主総会で学研に見解表明を求め、また同日配布の組合ニュスではこの質問事項につき同ブログへの書き込みもされていることを紹介し、学研経営が対応を求められていることを述べたこと(@)、また毎年不当な総会運営がなされ、その中で明らかに学研経営がふじせ側の株主を誹謗する事のみを目的とした発言を一株主に行わせている事実を「サクラ株主」と表記して指摘したこと(A)、これらが「名誉毀損」であるなどとして、1650万円の損害賠償訴訟を仕掛けてきたものす。こんな無理筋な訴訟でも、裁判所が不当判決を出すのか、少しでも良識ある裁判官であれば学研経営の請求を棄却するのではないか、が注目されてきました。
 結果はあきれる内容でした。裁判所はよほど組合を敵視していて、絶対に勝たせまいと考えているようで、予断と偏見ではじめから結論ありきの判決に合わせて、組合側が立証した事実はなかったかのように扱い、学研経営の主張を丸写しするものでした。
1650万円の損賠請求に計55万円と大幅減額だが、争議権を全面否定
 「損害賠償金は、原告学研HDに対し33万円、学研ココファンに対し22万円を払え。ウェブサイト目録記載の名誉毀損の文言を削除せよ。損賠金につき仮執行を認める」というのが主文の内容です。金額こそ大幅減額ですが、この学研の嫌がらせ訴訟はこのかんくり返されている損賠訴訟攻撃と同様に訴権の濫用であり、個人をも被告にしていることも含め被告らに応訴の負担を生じさせ、批判的言論を威嚇するものであることも組合は一連の流れとして明らかにしていますが、裁判所はその事実を「推認することはできない」などとし、また、「学研HDの使用者性が否定されており、・・・原告に対する関係で争議行為を含めた労働組合の活動としての保護を与えることはできない」どとこれまでの損賠攻撃での裁判所判決と全く同様に争議権を全面否定する誤った結論を下しています。この判断の誤りは、労働運動の歴史や労働現場の実態、使用者責任と争議責任の関係(上図を参照)などにも全く無知で無理解な現在の裁判所の低レベルの憲法違反ぶりを現し、司法が劣化・悪化してきている(若い裁判官は「労働法」も勉強していない等々)ことを示しています(瀬木比呂志氏=元最高裁調査官の著書等を参照)
学研の社会的評価を低下させる、という文言について
 「名誉毀損」の根拠としての「学研HDの社会的評価を低下させている」という認定については、まず労働組合活動であれば経営への批判的言動は当然であり、経営自身自ら招いている社会的評価の低下につき労組に損害賠償請求などできないことはこれまでの判例がありますが、私たちには「労組としての保護を与えない」として組合活動あることを否定した上で、学研HDの社会的評価を低下させている=名誉毀損である、として組合ニュースの記事の記載につき、学研経営側の主張を丸写しにして以下のよう歪曲した解釈を加えています。    
 学研HDの株主総会の運営の状況について組合は証拠として2004年以降、15年にわたる株主総会の詳細な記録を出し、その中で、争議や不祥事、社内から寄せられ告発の声等々の重要な経営事項につき質問したことに会社側はまともに答えず、遠藤社長や宮原現社長が組合側株主の質問を遮り、発言中にマイクの電源を切る、退場を命じるなどして途中で質疑を打ち切る、あるいはふじせ株主が挙手しても指さず発言さない、等の運営がくり返されたこと、総会でされたサクラと思われる株主の発言の内容を前後の状況含めて明らかにしましたが、判決は、そんな経緯には全くふれず、「宮原社長らが、指示に従わない株主に警告した、使用者ではない学研に争議への質問をくり返すなど総会の目的事項にふさわしくないので発言を控えるように求めた」等々、議長の裁量で適切に総会運営を行なったかのような会社側の証拠もない経過の記述と組合が「サクラ」と指摘した株主の発言を正常な発言であるかのように、そのまま簡略になぞぞった上で、組合の記事の表現は「原告学研HDの代表取締役等が株主総会において・・故意に質問を封じるという不当な議事整理権の行使をしたり、これに対する回答を避けたりして説明義務を果たしておらず、さらに、被告らの関係者である株主からの質問を封じる意図で特定の株主と事前に通謀し、株主総会の場で被告らの関係者である株主に対する批判的な意見を発言させることにより・・質問に対する説明義務を回避すなど,上場会社にあるまじき不当な株主総会運営を繰り返し行ってきたという印象をえるもの」とし、これら裁判所から見て事実に反する記述で学研HDの社会的評価を低させるものである、としています。15年にわたる株主総会の実態を証明した組合の証拠と証言については、「総会での原告学研HDの役員と株主との質疑応答の様子を詳細に記載したとする被告らが作成したビラ(乙5〜23)を提出するが、同ビラは一方当事者が作成した客観性の担保されていない書面にすぎず、直ちに同証言等の裏付けとるものではなく、上記各証言等に係る事実をそのまま認めることは困難であるし、これに類した事実があったとしても、それをもって議長に与えられた裁量を逸脱等したものと直ちにいうことはできない」などとしています。総会の記録については原告学研は組合の記録の誤植部分を指摘する書面を出したのみで、反対の立証を行っていない(組合記録が事実なので、できなかった)のにここまで学研に与した判断をしているのです。「サクラ株主」との表現も、「被告らは会ったこともない相手であることを認めており」と根拠がないかのように認定していますが、組合は果たしている役割が事実の経緯か明らかである故のことで、御用株主、翼賛株主と合わせて定義づけをしてきています。 ブログ記事を組合が引用し、会社の対応を質した件については、さらに判決は驚くような認定をしています。
 「本件文言は、本件ブログからの引用の形式を用いて,原告らの関係者が同殺人事件犯人であるとの事実を摘示するものであり、また、本件ブログからの引用の形式を用いて,原告らが金銭の力で同殺人事件の真相を隠蔽しているとの事実を摘示するものと理解せざるを得ない。上記摘示事実は,訪問介護事業、サ高住の運営を主な事業としている原告ココファンの関係者が本件施設の入居者を殺害した上、この殺人事件に関する情報を隠藪する目的で原告らが警察,報道機関等に金銭を交付しているとの印象を与えものであるから、原告らの社会的評価を低下させるものであるというごとができる。」などと判決は言っています(学研HDはブログ主宰者に訴訟も抗議もしていないのですが)。  引用元のブログにもここまでのことは書かれていません、匿名の書き込みは「学研やつ犯人違いますか」「利益しか考えない学研ですから金で伏せてるのでは」というのですが、組合はこれらの書き込みが根拠のない憶測であり、読んだ読者もそれ以上ものと受け止めないものであると考えていることを法廷でも述べ、この殺人事件発生の記者会見を行わない対応へのブログ主催者の疑念に株主総会でまず回答すること、そうしなければ根拠のない憶測がさらに書かれたりすることに株主利害に関わることとして警告したものです。この書き込みに賛同などしておらず、意図としてこのような書込みの広がりを歓迎しないのはむろんのこと、記事の読み手からも学研経営陣に注意喚起したものだと受け取れるものです。原告・学研HDが「名誉毀損」に仕立てるたに牽強付会で短絡的なびっくり主張を行ったことにここまで悪のりしている裁判所を見たのも初めてのことで驚きです。他にも判決は不当な認定のオンパレードですが、詳しくは別の機会にします。こんなことをしていれば、苦しくなるのは学研と裁判所です。