学研HD、株主20人で総会強行
 警官まで呼んでふじせ株主らを排除


 
 学研経営は、新型コロナ感染防止を口実として、事前登録申請等の手続きでの極端な参加規制、質問封じで昨年末(12/25)の株主総会乗り切りを図りました。300人収容可能な3階ホールに20人の株主しか入れず、質問は3人まで、一人一問1分というふざけた規制でした。殆どのふじせ株主は抽選で外され、当該一人だけ、アリバイ的にそうしたのか、「当選」となりました。
 学研側のふじせリストに無く想定していなかった株主からの質問で、「事前登録申請は何人だったか」を問われると、なんと50人との答弁でした。50人なら毎年の参加者の5分の1程度で、コロナ対策で距離を空けても十分に入れる人数であり、抽選で敢えて20人に減らすことなど不要でした。事前申請をしたこれら意欲ある株主は全員参加させるべきでした。やはり、警戒していたように、抽選に名を借りて、ふじせ関係者株主を排除するために30人もろとも削減した疑いを抱かざるを得ません。確立40%から言っても、当該以外一人も当たらないことなど考えられません。
 私たちは、前号(12/25当日発行)で掲載したように、総会に於ける質問事項とは別に今回の株主総会の持ち方に対して、質問状を用意して、総会参加者のみでなく全ての株主に説明するように求めました。
①会議室の収容規模に対して、感染予防のために、何名まで収容して開催することを予定しているのか不明②ネット環境がない株主に郵送での申し込みを何故認めなかったか、③ほんとうに公正な抽選がおこなわれたのか、また抽選の必要があったのか、④経産省から出された指針でコロナ対策での人数制限を認めているが、出席して質問権を行使する重要な株主の権利につき視点を欠いており、これに乗じることなく企業は質問事項を有し出席を求める株主は極力参加させるべきでではないか、等を質したものです。
社前情宣後、抗議の声をあげ、受付へ向かうと・・・
 私たちは当日、質問を用意している株主を全員入れるように申し入れるべく株主が受付に向かいましたが、学研側は玄関前に総務の社員が立ちはだかり、一歩も社屋内に入れない構えで臨んできました。玄関入り口の窓硝子には、「告 東京ふじせ企画労組およびその支援者へ 本株主総会への入場資格がある者以外の当社建物および敷地内への立入りを禁ずる  株式会社 学研ホールディングス 」との張り紙がありました。これは問題だらけの総会実施であることを自覚していたからにほかなりません。
 事前のメールでの質問事項と総会実施方法への質問状を携えて、社屋玄関で総務社員との押し問答になりました。中にはメールが不調で証券管理会社の三菱UFJ信託銀行に問い合わせたところ、「当日、会場受付に申し出てください、大丈夫です」と出席を保証する対応を受けた株主もいましたが、彼も入場を拒まれました。ここには学研で責任ある対応をできる者がおらず、私たちは責任者が出てくるか、または受付に通すように求めましたが、学研側は聞く耳を持たず、「出て行け」「立ち入るな」と叫ぶのみで、さらには通報で警官まで呼んで私たちを排除しようとしました。しかし、五反田駅前交番から駆けつけた制服警官2名も、通報の理由も分からず、右往左往するのみでした。
 社前の仲間と玄関前の株主は抗議のシュプレヒコールをあげ、なおも入場を求めましたが、総務の御用社員らが妨害を続けたので、入場を諦め、出席票を持つ当該のみが、会場へ入っていきました。総会が始まる前に当該は責任者に渡せなかった質問状を議長席に届けました。   

 社前で見守る仲間をバックに株主で申入れ

3階ホール=株主総会の会場内では

 総会会場内で中を見渡すとなんと株主は20人足らず(空席も2~3席あり)で、
相互の距離は4~5mも空いていて、さらに後方はまったく人がいない広い空間になっていました。
 定刻の午前10時に役員・執行委員らが入場、これらは株主より多いという異様な光景の中、総会が開始されました。
議長の宮原社長が挨拶し、議決権行使者の数、監査報告に触れて、報告事項についてスライドとナレーションが流され、決議事項(株主配当、取締役選任、監査役選任、大規模買付けルール継続の件)の説明を行ったのち、質疑応答につき説明がされました。
コロナ対策で時間短縮して運営する、として最大3名の株主の発言を、一人1問1分以内にしていただく、と勝手に指示しました。
 当該(株主B)がまず手を挙げましたが、宮原社長は「ご発言がある株主様はおられませんか」と違う方を向いて呼びかけました。当該だけだったので、宮原議長はまだ指さず、「他になければ1名様のみにさせていただくが他はございませんか」と念を押しているうちに、別の株主も手を挙げました。宮原議長は、それではと、その株主を指しました。
株主A 「今回、コロナ禍の株主総会という条件があるにせよ、ここへ来て分かるように主席者が20名、役職員の方が多いという異常な事態になっています。事前登録の上、抽選となったが、何人が申し込み、どういうふうに抽選がされたのか聞きたいと思います。株主の権利が損なわれていることに抗議したい」
 宮原社長は席に戻るように求めたが、株主Aは「答えを聞いてからにしたい」とマイクの前に留まり、「納得できなければ再質問をしたい」と述べましたが、とにかく着席を、と促され席に戻りました。、
木村専務 「総会の在り方につき今年4月に経産省から出された総会運営に関するQ&A、それに基づいて開催された6月の株主総会の状況、それ以降感染が拡大しているという状況に鑑みて出席者数を絞らせていただきました。事前登録者は大体50人くらいということで、抽選を行いました」
 宮原議長も「感染を避けるためにしたこと」と強調しました。
株主B 「私たちも経産省の指針は見ていますが、あまりにも今日の株主総会は出席人数を絞りすぎている。いま話があった50人は入れるでしょ。都の施設なんかも定員の半分くらい、裁判所もそうです。それくらいでやってるわけですよ。今回のやり方というのは出席できない株主がいっぱい出てしまうという株主権の侵害になっているので、先ほど質問状を宮原さんの席に置かせていただいたので、今日出席していない株主も含め全ての株主に後日、回答していただきたいです。質問は東京ふじせ企画労働組合との争議について毎年、回答はされるんだけれども、」(宮原議長、1分過ぎましたので簡潔に、と口を挟む)「1分というのはひどいと思うけど簡潔に聞きます。使用者性がないから学研に責任がないという言い方はできない、組合を潰すために35名が行っていた業務を総引き上げして全員解雇の倒産攻撃を仕掛けた責任です」(宮原社長は総会の目的事項ではないので、と口を挟む)「重要な経営事項でしょう、争議を抱えているということは学研の責任をどう取るのかにつき、はっきりと答えていただきたい。使用者性の問題は措いて争議の責任について答えていただきたいと思います」
宮原社長「今の質問は総会の目的事項でなく回答の必要はないと思いますが、経過をご存じない株主様もいらっしゃると思いますので一言申し上げます。」(いつも同じ物を読み上げているだけじゃないですか、と株主B)「嫌がらせを含む数々の迷惑活動は正当な争議行為、組合活動ではない、との裁判所の判断が出ています」(そんなもの確定してないよ、と株主B)「特に高等裁判所の判決で同団体の主張は法治国家における裁判において採用できるものではない、と一番きつい言葉まで明言され最高裁まで行き判決が確定しています。このような団体の要求に応じることはもとより、話合いを行うなどということは経営の基本であるコンプライアンスに反することであり、株主の皆様はじめステークホルダーへの経済的・社会的悪影響は図り知れず、株主の皆様、世の中の皆様からご評価いただいている当社への期待・信頼を損ねることになりますので当社では一切応じることのないことを宣言しておきます」(倒産攻撃の責任ははっきりしているじゃないですか、と株主B)「支援者とおぼしき関係者の方が入場しておりますが、多くの株主様には大変お見苦しい事態になり、申し訳ございません。総会は法令に基づく適正な運営を行っています」
(「私たちに対する損害賠償請求を起こしている訴訟は権利の濫用だと認定もされているじゃないですか。嘘、デタラメの答弁をやめなさいよ」、と株主B)宮原社長「大きな声を出されると周りのかたに飛沫がとびますので」(「だって、マスクをして喋っているでしょ。こんなに距離を置いて席をつくってるんでしょ」と株主B。)
 学研ココファン関連の最初の損賠訴訟攻撃で、確かに東京高裁は学研の使用者性を否定した行政訴訟の2003年最高裁決定を理由に、「いかなる意味でも学研への責任追及行動はできない」旨の今までで最悪の判決を牽強付会に出しましたが、このようなことを裁判所が言える筋合はなく、完全に間違っています。宮原社長の引用の仕方も正確ではありませんが、組合のニュース記事が名誉毀損か否かとの争いで、意図的に拡張して不当な判断を出した問題判決です。刑事でもえん罪判決等がありますが、民事でもこのようなトンデモ判決が出されるという一例です。
宮原社長「これからも多くの皆さんからの応援に答えるために、また、ご意見をいただく機会を確保しながら、よりよい株主総会をめざしてまいります。」(それには争議を解決することですよ、と株主B)
 質問したのはふじせ争議を追及した当該を含め2人だけで、この後、決議事項の採決を行い、総会は過去最短で打ち切られました。
(宮原さん、こんな形で総会乗り切って、責任を免れることはできませんよ、と株主B)

続 鈴木敏嗣さんを偲ぶ
 ふじせ闘争支援共闘会議の鈴木敏嗣さんが亡くなって1年になります。先月号に続き本号で、鈴木さんを偲ぶことばを掲載します。
(南部地域の仲間には亡くなられた直後に沢山の追悼文を寄せていただき「なんぶ」に掲載されましたが、ここでの紹介は省きます)
           

鈴木さんのオーラ      弁護士 山本 志都
 多士済々の支援共の中でも、優しげなたたずまいにただ者ではないオーラを漂わせていた鈴木さん。うちあわせでも、その後の飲み会でも、繊細な心遣いを感じることがたくさんありました。
 東北ベストスタディの損害賠償請求が仙台に提訴され、仙台地裁高裁に行かざるをえなくなったときも、期日後に飲み、河岸を変え  て飲み、新幹線の車中でも座席を回転させて向き合って飲み・・・鈴木さんはいつ  も穏やかで懐深かったという印象しかありません。仏教についてお詳しいと噂に聞  きながら、突っ込んでお話する機会もないまま、突然逝かれてしまったことも、悔  しくさみしい限りです。    
鈴木さんの将棋           元ダイヤモンド社労組 田村 譲司
 八海山が見える古い温泉宿で「八海山」を飲みながら鈴木さんと将棋を指したことがある。
 23年3ヵ月におよぶ壮絶な闘いに勝利した中公有志の皆さんが支援共のメンバーを慰安旅行に誘ってくれたときのことです。美味しいお酒とビールと料理をご馳走になり、風呂から上がって寛いでいると鈴木さんが「おっ、将棋盤があるゾ。田村さん、一局やろう!」と脚付きの立派な将棋盤を僕の前にドンッと置いた。3局か4局やってぜんぶ僕が勝った。あんまり勝つと相手にワルいような気持ちがしてくるものだが、鈴木さんはちょっと不思議な人でいくら負けても平気のようだった。鈴木さんは負けて投了するときも、まるで自分が勝ったみたいに「ワッハッハ」と豪快に笑ったあとで「こりゃ負けだ」とナゼか胸を張るのである。思わず僕もつられて「ハッハハ」と笑ってしまうのだった。鈴木さんがたまにいい手を指したときに僕が「う~ん、マイッタなあ」とつぶやくと、鈴木さんはもう自分が勝ったみたいに「ワッハッハ、ワッハッハ」とますます豪快に笑うのであった。鈴木さんは勝っても負けても「ワッハッハ」の人であるらしかった。将棋を見ずに二人の態度だけ見たら、髭の大先生がヘボをやっつけてるふうにしか見えなかったに違いない。でも、なんだかとても気持ちのいい愉快な将棋だった。
 鈴木さんが亡くなってから10ヵ月が過ぎた昨年の9月。僕は鈴木さんの奥さまから、鈴木さんが就労直前に購入して大事にしていたという将棋の駒を譲り受けた。きれいな駒である。桐の箱の裏には毛筆で「山形県新庄市にて購入一九九五・十一・二九」と記されている。
そして1年                        支援共(麟)
 鈴木さんが突然に居なくなって1年が過ぎたとは。その1年を御報告すれば、いずれ「新型コロナ最初の年」として語られることになる年でした。
残念なことは、此のウィルスの全世界への広がりと、人類、文明、思想について「鈴木哲学」で聞くことができないことです。
 個人的なことで言えば、一人で飲む時間が増々多くなり、当然のように酒量も又。まあ何でも「新型コロナ」の〝せい〟にしておけば良い訳ですから、「日本無責任時代」というか。失業者、自殺者も増えています。飲み屋も閉店が目立ちます。新橋の『三州屋』も閉店しておりました。他にも閉店があり、〝現場の帰り〟にビールを飲むのも大変です。
 ところで、世界は「共変的量子場」なる素材から作られているそうです。時間も空間もです。さすれば、鈴木さんの居ない、この1年というのは、一体何でしょうか・・。
エネルギッシュな活動              元双葉社労組 B.S.
 鈴木さんの葬儀の後、皆さんと話していて、彼の「人となり」が、より分かったよう
な気がします。〝Qさん〟との出会いは「中公闘争」のときでした。闘争現場や交流の
場では、いろいろと話す機会があり、とにかく、いろんな分野にわたって話題が多く、
ほとほと感心したことを覚えています。また、彼が「反原発運動」で青森に行ったこと
を話したとき、「弁護士の○○さんという人と一緒にやっていてね……」と聞いてビックリしました。その人は字が違うけど、読み方は私の父と同じで、何かの縁を感じたも
のです。また、中公闘争が勝利して職場に復帰してからは「ふじせ闘争」の支援共を担
うなど、そのエネルギッシュな活動には脱帽するしかありません。
いまも共に在る鈴木敏嗣さん       弁護士 浅野 史生
 鈴木さんがお亡くなりになってから早1年です。葬儀にも行かせていただきましたが、実感がわかず、会議の時に、“今日は鈴木さん欠席かな”と思うこともしばしばありました。当事務所の事務局にも訃報を伝えたら、皆“えっ、あの髭のおじさんですか?”とびっくりしていました。とても博識な方で、仏教哲学などいろいろなことを教えていただきました。飲み会はとても愉快に過ごすことができました。葬儀の際に見せて頂いた書き込みやメモがたくさん挟まれた人名辞典が非常に印象に残っています。学研ふじせ闘争はまだ闘い半ばですが、鈴木さんが見守ってくれていると思います。これに応えて弁護団として頑張っていきます。
いつも突っ込み鋭くハハハと笑う鈴木さん   ライフエイド・S
 鈴木さんが突然亡くなられてとても寂しいです。現場の近くの古い家の庭の木の名前を教わり、鳥や植物、自然界にも造詣が深いようで、アオサギがいた現場ではその名前、グレーなのになぜアオの問に=昔“アオ”は赤・黒白以外の色全般のことだった(正確でなかったら失礼)、など教えてもらったものです。私の方はと言えば、一日券を失くして駅員に再発行を訴えたがだめだった(1日券と駅員バージョンは多い)とか、岡崎地裁の不当判決(準強制性交罪)があまりにひどい、だの、鈴木さんがカラリと明るい突っ込みやコメントを返してくれるのをいいことに、いろんなグチを言ってました。鈴木さんは新しい人達、運動の未来へ揺るぎない確信をお持ちでした。