争議責任を居直り、虚偽の言動をくり返す学研経営
 組合の行動を歪曲し、敵意を煽る宮原社長

 前号で私たちは昨年12月の株主総会の詳報を掲載し、学研経営のふじせ争議についての責任居直りが一層酷くなっていることを明らかにしました。これまでもくり返してきた「争議は裁判で決着済み」との嘘・出鱈目を判で押したように口にしていますが、一方で、このかん自ら引き起こしてきた民事・損害賠償訴訟の中で裁判所からも指摘された事実を突きつけられても、全く答えられず、「裁判は総会の目的事項と関係ない」などと回答を拒んだのです。
法外な弁護士費用請求、費用をかけての裁判濫発は株主利益に反しない?!
 争議や法廷関係の事項は木村専務が答弁するのですが、学研のふじせ労組員の自宅への悪質な差し押さえ=強制執行のやり方が、「権利濫用である」(東京地裁4月)、「著しく信義誠実の原則に反し、正当な権利行使の名に値しないほど不当なもの」(東京高裁11月)と認定されたことに対する会社の受け止め、を聞いても「裁判のことはこの総会の目的事項でない」として全く回答しませんでした。学研経営の濫訴攻撃の中で法外な弁護士費用がかかったとして組合側への損害賠償金の一部として請求していたものが却下されたわけですが(東京高裁2018年末)が、この弁護士費用を含め、悪質な民事弾圧・損賠訴訟攻撃を担っている祝田法律事務所への支払いの実
    
              1・31学研社前行動       
実態・総額を明らかにすることは、経理上の事実関係として株主に明らかにする義務があります。これも総会と無関係と回答を拒否しました。今、係争中のココファン関連第3次の損害賠償訴訟(1650万円請求!)も、今後の経理上の事実に加えて、株主総会の運営をめぐる組合の言動を名誉毀損の対象にして損賠請求し、また宮原社長は「株主総会がふじせ労組によって毀損されている」などと言っているのですから、株主には大いに関係がある事柄ですが、「係争中の事案なので答えない」と回答を逃げています。
「震災の翌週に社前でビラを撒いた組合の行動は非人道的」と言う宮原社長!!
 宮原社長も木村専務の「争議決着」論に同調し、「最高裁で勝った」「金を出すわけに行かない」などとくり返しています。学研の使用者性が否定されたからといって、ふじせを倒産させた争議責任が免罪されるわけではないことは自明ですが、「勝訴しているので」をくり返して責任にほおかむりです。そして、許しがたいことに、毎回のように
「震災の翌週に社前でビラを撒いたことは忘れもしない」などと、それが人道に反するかのような言い方をくり返し、組合は学研子ども園の子らにもビラを配っていた、などという嘘を付け加えるのが常套句になっています。これらにより、株主や学研関係者にふじせ労組への敵意を煽っているのです。そして、今回の総会では、「実践・障害児教育」の読者である株主が、学研の障害者雇用枠で採用された女性がパワハラを受けて退職に追い込まれたとして学研経営を告発したこと等に触れて質問したことや、株主の鈴木さんが学研の不当な訴訟攻撃の被告にされてきて先頃亡くなったことに触れた株主の質問に対して、なんと宮原社長は、「先ほども障害児のことを切り口にしながらこういった質問する、先ほども鈴木さんが亡くなったことを使って問題を拡げていくというやり方は、人間としておかしいと思う」などと述べたのには、怒りが沸いてきます。
増山監査役の辞任理由、「バウハウス丸栄」への社員食堂内装工事発注の経緯は???
 総会では、ふじせ争議に関すること以外にも、突然退任となった増山監査役の辞任理由や、テナントに入っている(株)バウハウス丸栄への社員食堂内装工事発注の経緯と内容についても全く回答しませんでした。前者はセクハラ事件が社内では周知の事実になっているのに、学研の中にこれまでもセクハラ・パワハラがあってその体質が改善されていないことを隠そうとしているのです。後者も不明朗な関係を指摘する声が上がっているのですが、全く説明がありません。
 ふじせ労組や支援者に対してだけでなく、現状を憂いている株主や学研関係者に対して、宮原社長、木村専務など経営陣が真摯な態度を欠き、いかに不誠実な対応をくり返していることか、私たちは強く抗議し、真実を明らかにしながら闘っていくつもりです。
1・31学研社前行動
宮原社長、小早川取締役に抗議!
           座りこみ行動も打ち抜く

 強風が吹き荒れ寒い朝、7時半から学研社前行動を展開しました。昨年12月20日の株主総会の詳報を掲載したビラを配布しました。8時20分頃、小早川取締役が出社してきて抗議の声を浴びせました。8時30分過ぎには宮原社長の車が社屋裏手を回ってやってきて地下駐車場に走り込んでいきました。シュプレヒコールを上げ、9時過ぎから社前座りこみを行い、10時までの行動を打ち抜きました。


 1・31  上:社前に座りこみ抗議     下:ガードマンに守られるようにして社内に逃げ込む小早川取締役

2・4学研社前行動
昼の情宣行動 途中、宮原社長が外出                   2月4日にも学研社前行動が行われました。この日は昼休みから午後2時過ぎにかけての行動で、出入りする学研労働者、学研のイベント参加者らに争議の現状を伝え、職場・争議を貫いて、経営責任・争議責任を追及していくことを呼びかけるビラ配布、マイク情宣を行いました。
 行動の途中、午後1時過ぎに宮原社長の乗った車が地下駐車場から出てきて、私たちの抗議の声を浴びながら出かけていきました。

    2・4   黒のアルファードで出かける社長

品川区集会室使用規制違法裁判で勝利的和解!
違憲・不当な運用変更の撤回をかち取る !!
「構成員全員の名簿提出」を断念させ、団体登録更新手続き完了!
 品川区の一方的かつ不当な施設予約システムの変更
 2016 年、品川区は「施設予約システム」の団体登録手続きを一方的に変更し、「構成員全員の名簿記載」を義務付けてきました。それまでは、代表者と連絡先責任者2 名のみの名簿記載で団体登録手続きが可能でした。
 「全員の名簿を提出しなければ、申請を受け付けない」と、窓口での申請書受け取りを拒否してきたのです。東京南部労働者組合(南部労組)は、品川区の担当部署である地域活動推進課にも抗議・申し入れをしましたが、「構成員全員の名簿提出義務」を主張して譲らず、更新手続きを受け付けなかったため、名簿提出を拒否した南部労組は品川区の集会室が使用できないという事態になってしまいました。
 こうした理不尽な行政による施設使用規制に対し、運用変更の経過と根拠につき品川区に情報公開を要求し、品川区民・集会所利用者に抗議ビラ配布やアンケート調査も行いつつ、南部労組として「組合・団体に対する不当な行政の介入、実質的な集会室使用制限であり、憲法に保障された集会・結社の自由を侵害するもの」として違憲訴訟を、 2018 年12月に東京地方裁判所に提訴しました。労働組合にとっては、組合員全員の名簿を求めるなど、支配介入の不当労働行為でもあります。
 この間、新宿区のデモ公園使用規制をはじめとして、私たちの地域や身の回りでも違憲・違法な公共施設(集会室・公園等)の管理・規制強化が進んでいます。こうした明文改憲と一体の実質改憲攻撃として進む流れに対し、私たち南部労組の品川区への提訴は、共に歯止めをかけていく闘いでもありました。
 2019 年3月の口頭弁論開始以降、品川区は運用変更の根拠も示せず、裁判官から立証の補充を求められても立証せず……と、一貫してやる気のない姿勢に終始。組合側は準備書面提出や人証の取り調べ請求を通して、品川区側主張の欺瞞性と実態との乖離について立証を尽くしてきました。
 この訴訟は、『東京新聞』2019 年10 月19 日付朝刊でも取り上げられ、記事を読んだ方々から多くの激励をいただきました。
そして、勝利的和解へ
 12 月10 日の弁論準備手続きにおいて、ほとんど組合側主張に沿う形での「和解」内容に品川区側は同意せざるを得ませんでした。
・組合は、団体登録更新手続きの際の名簿には、従来通り、代表者と連絡窓口責任者の 欄のみ記載する。
・組合は、更新手続きの際に、「労働組合資格証明証」を提示する。
・品川区は、上記更新手続きの書類を地域センター窓口で受領し、速やかに新たな登録 証を発行する。
という勝利的和解が成立しました。
更新手続き完了、新たな団体登録証が発行される!
 12月26 日、南部労組の仲間が品川区大崎第一地域センター窓口に赴き、更新手続きを行いました。新たな団体登録証が手渡されました。勝利の瞬間です!
(東京南部労組の仲間の報告から抜粋・一部付加)

追悼 筒井修さん   久山温泉でのこと
 1月18日に亡くなった福岡合同労組の筒井さんと、東京、関西など全国の仲間は、1980年代初頭からの長い共闘の歴史があった。私たちの学研・ふじせ闘争との関係では1989年に不当にも労働争議に間接強制が初めて適用された(関西では関西生コン支部に同時期に適用)当時に、この弾圧の意味を受け止め、共同ではね返す必要をいち早く訴え、分析や反撃の闘いに積極的に取り組んでくれたことを忘れない。また、学研が後援する「北九州市自分史文学賞」の表彰式に対する情宣、申入れ行動に毎年取り組んでいた時には、地元の北九州自立連帯労組の仲間と共に、小倉の現場に必ず合同の街宣車に福岡の仲間を誘って駆けつけてくれた。両労組の2台のスピーカーがスタンバイして、いつもとても心強かった。
 闘いを共にした思い出もあれば、各争議の方針で議論を交わしたこともあるが、ここでは、筒井さんが誘ってくれて福岡郊外の久山温泉に行った時のことが心に残っているので、その時のことを書く。
 ずいぶん昔のことで正確な時期は覚えていないが、1990年代の後半で、九州で開催された全国争議団交流会の企画会議の翌日の現場行動の後だったと思う。 
誘われたのは、私と自立連帯労組のAさんだった。現場から直行なので、筒井さんが運転する合同の街宣車での温泉行きだった。久山温泉は、何軒かのホテルがあるところだが、私たちはこの日のうちに日帰りで寄るつもりなので、行ったところは、自然のふところに創られた露天風呂、薬湯風呂、大浴場、サウナなど約20種類の湯船が楽しめ、また食事もできるヘルスセンターのようなところだった。当時は宿泊施設があったか気にもとめず、分からなかったが、今はその後リニューアルされたホテル夢家(ゆめか)という所のようだ。街宣車で乗り付けられて施設側は驚いていたかも知れない。
 食事もビールも風呂も十分堪能して、3千円弱くらいだったと思うが、ハップニングがあった。広大な敷地の中の多種の風呂に入る際に、ロッカーに衣類、荷物を入れた後、鍵は腕に嵌められるバンドがついて浴場に持ち込みになる。Aさんは女性風呂だし、途中で2人もそれぞれの好みで別々に湯船めぐりをすることになった。一時間くらいして私とNさんが戻ると、筒井さんが困った顔でロッカーの前にいた。鍵を亡くした、というのだ。私も各湯船に探しに行くが、薬膳風呂等、濁って底が見えないし、容易に見つからない。最後は、施設側に頼んでマスターキーでロッカーを空けてもらうことになったが、およそどこの湯船でなくしたかを聞いても筒井さんは分からないという。
 私もAさんも十分楽しめて満足で、感謝しかなかったが、筒井さんは少しショックを受けているようだった。そして、その後、筒井さんは発病した。「あの時、既に体調が悪かったのではないか」とすぐに思い浮かんだ。
 この温泉行には後日譚がある。東京に帰ってふじせのウエブサイトで九州の行動の後温泉に行ったことを簡単に記した。これを読んだ学研の経営側の者が、「ふじせの奴らが会社に押しかけ行動をやった後、温泉ホテルで豪遊した」とのネットの書き込みをして拡散させようとした。かかった費用を含めささやかな息抜きだったことをふじせの掲示板で記すと、学研側の書き込み者の誹謗中傷に非難が殺到した。
それは笑い話だが、筒井さんについては、「あの久山温泉行きの時」という想いが残った。体調が悪くても身体を動かして行動を共にしてくれた彼の優しさを感じた。実績も影響力も蓄積してきた筒井さんだが、「それは違うだろう」と言いたいことも沢山あった。実際言ってきたと思うが、最近は体調のことを聞くくらいになって直に討論することは少なくなっていた。ほんとうは今のような状況だからこそ、新たな時代を拓く議論を実らせて、と願っていたのだが、筒井さんは先に行ってしまったのだった。
 いつか新たな共感を分かち合う形で久山のお礼を返したいと考えていたので残念としか言いようが無いが彼は自分のやり方を通して燃え尽きたということかも知れない。筒井さんの死を惜しむ声は多く上がっていると思うが、私はそのように惜しんでいる。                     東京ふじせ企画労組  國分眞一