学研経営、争議の真相を
    偽る説明を社内サイトに掲載

 会社は、4月4日、社内サイトに、「東京ふじせ企画労働組合」との問題とは、どういうことですか?と題して、ふじせ争議につき組合を誹謗中傷する虚偽の情報を社内に流したそうです。東京ふじせ企画がなぜ倒産したのかという肝心の事実につき説明を避け、組合が学研が組合潰しのために倒産攻撃を仕掛けた事実に基づき学研の責任を問い、話し合いの場に出てくるように求めていることを、「全く独自の理屈」をこしらえて学研に言いがかりを付けてきているかのように説明しているもので、許しがたい内容です。
3・29入社式当日学研社前行動で争議の存在が明らかにされて・・・
 これは3月29日の入社式当日の学研社前行動で私たちが朝ビラ(組合ニュース)を学研働く皆さんに配って、マイクで訴え、座り込み抗議行動を展開したことで、争議を抱えた学研の実態が新入社員の皆さんにも知られることになったことに危機感を抱いてなされた学研経営陣の愚かな行為です。
 3・29は朝8時から学研本社前で行動を開始、旗・横断幕を据え、組合ニュースを配布、途中、小早川取締役が出社、またビラ配布を終了して9時過ぎからの座り込み・抗議に移った直後に宮原社長の乗ったレクサスがスピードを上げて到着、地下駐車場へ走り込んでいきました。車の後ろから抗議のシュプレヒコールをあげました。
 入社式の始まる11時頃まで社前での抗議と訴えを行いました。
学研が下請会社倒産・全員解雇による争議を引き起こしたのはごまかしようがない事実ですが、学研経営は、この紛争の本質に触れることを避け、「資本関係、役員派遣関係もないので、そもそも東京ふじせ企画労働組合とは全く無関係」、「東京ふじせ企画労働組合は嫌がらせを行い、団体交渉に応じろと、不当な要求を通そうとしている」などと言っています。
                  3・29学研社前行動

学研が資金提供して開設された「ふじせ企画」五反田事務所
 学研と東京ふじせ企画労組は無関係などというのは真っ赤な嘘です。東京ふじせ企画労組は、学研無しにはあり得なかった存在です。1973年に学研本社で御用組合から独立して
 全学研労組が結成されると学研経営は創業者=古岡一族の専制支配の下で「学研生活を守る会」という管理職を先頭とした組織を作り、春闘などで腕章を着用しただけで集団で襲いかかり、はぎ取る、職場で少数の労組員を取り囲んでこづく、つるし上げを行う等の暴力行為を行いました。掲げている教育出版社の看板からは信じがたい程の、このような暴力的な組合潰しがエスカレートし、労組員に対する遠隔地などへの不当配転、14名の解雇、賃金差別、仕事干し等々が行われていき、この本社での労働争議は1992年まで19年間にわたり続いていきました。
 この全学研労組結成直後から、基幹雑誌「科学」「学習」の編集部の過半数を全学研労組員が占めていたことから、「ストを打たれても影響が出ないように」と、学研は組合対策としてふじせ企画を導入し、労組員から仕事を取り上げて下請けに回すということを行ったのです。ふじせ企画は、これ以前は小学館の下請けとして業務を行っていた時代があり、西神田に事務所を持っていましたが、学研の角宮科学編集部長は、西神田の工藤ふじせ企画社長を訪れ、組合ができて『科学』の仕事が遅れると困るから、と持ちかけ、金430万円を提供して、五反田に学研の編集業務を遂行するためだけの事務所(五反田事務所)を開設させました。これは前例のないことでした。
 これ以降、全学研労組員から仕事を取り上げて干し、取り上げた編集業務を次々とふじせ企画に回して、ふじせ企画の労働者には、学研本社の科学、学習編集部の管理職が五反田事務所に来て仕事の指導をおこなったり、指揮・命令をして業務を行わせ、また、本社や学研第2ビルに派遣されたふじせの労働者が学研管理職の直接の指揮・監督下で業務を行わされました。1977年には、35名のふじせの労働者が学研の業務を委託されるに至りました。単なる取引先の一つなどではなく、ふじせ企画は特別な存在だったのです。
下請会社の労組結成に介入し、業務総引き上げをした学研経営
 しかし、そこでの労働条件は低賃金、無給での長時間残業を強いられるものだったため、
ふじせ企画の労働者は1977年、労働組合を結成し、下請の経営者と話し合いをしようとしました。ところがその矢先に、学研が身を乗り出してきて、わずか一週間後、学研は私たち35名に行わせていた業務の一切を引き上げ、一ヶ月後には会社を倒産させて全員の首を切りました。労組対策用に導入した会社に労組ができたことで、焦った学研経営はこのような悪質な暴挙に及んだのです。
1985年の損賠判決は学研の倒産攻撃を明確に認定
 1985年には学研によって倒産に追い込まれた東京ふじせ企画の破産管財人が提訴した損害賠償訴訟で東京地裁民事31部荒井史男裁判長が「組合を解散に追い込む目的で学研が業務を引き上げた」との事実を認定、学研の使用者実態も認める判決を出しました(この頃にはまだ良心的な裁判官もいて、まともな判決も見られました)。
 しかし、学研は 私たちの話し合い解決の要求に、「使用者ではない」との理由で「関係ない」と開き直って拒み、会社受付にも近づかせずに暴力的に対応するなどして現在に至るまで争議を長期泥沼化させています。
87年都労委命令〜行政訴訟・最高裁決定の不当判定
学研が唯一、居直りの口実にしているのが、学研の使用者性を認定しなかった87年の東京都労働委員会の命令で、中労委不当命令を経て、後に行政訴訟の判決が最高裁で確定しました。これにつき、学研社内サイトで、「学研は団交に応じる必要がない」との結論が確定しているのだから私たち東京ふじせ企画労組に正当性がないかのように強調しています。しかし、これは全くの誤りです。
 87年の都労委命令は、リーマンショック後、この法制度の下の過酷な労働実態が社会問題化している労働者派遣法が、1985年に制定された流れで出されたものです。派遣先の使用者責任を免罪する悪法が労働者使い捨てと後の派遣切りを生み出しました。ふじせ事件で、都労委は、「学研は使用者ではないので不当労働行為の有無を論ずるに由なし」と最初から結論を決めて、組合潰しについては全て工藤ふじせ企画社長に押し付けました。地裁の損賠判決が、約120頁にわたる記述で、学研管理職らの証言の信用性を否定し、ふじせ労組員への組合脱退工作など学研人事部をあげてふじせ労組潰しを図ったことなど、詳細な事実認定を行ったのに対して、都労委命令はわずか30頁、組合潰しへの学研の主導性・関与部分を意図的に削除して認定を避ける卑劣・不公正な命令文でした。
労働委員会命令の取り消しを求めた行政訴訟では、95年の朝日放送事件(最高裁判例)との同一性が争点であることを裁判所自ら認めて、この争点に沿った主張と証拠を出すように双方に言いました。これに従い、組合は朝日放送と番組制作下請三社の労働者の関係以上に、今日で言う偽装請負に等しい学研と東京ふじせの労働者の関係は深く、学研の使用者性は明らかであることを立証しました。ところが、いざ判決の段になると期日を何回も引き延ばしたあげく東京地裁は、なんと朝日放送事件との同一性への判断を一切回避して結論のみ使用者性を否定する不当判決を出したのでした。今日、雇用関係の多様化(悪化、非正規雇用の増大)の中で、「使用者性」判断が改めて焦点となる事件が増えていますが、朝日放送事件判例の解釈・適用をめぐっても、「労働契約近似説」(使用者概念拡大にたがはめをする)と「支配力説」との論争が生じ、学研・ふじせ事件行政訴訟で東京地裁不当判決を出した福岡右武裁判長は後に最高裁調査官、法務大臣官房などに転進、前者の論調の普及に努めた人物です。
 私たちは最高裁決定を不当な判断と考え批判していますが、学研の争議責任は使用者実態に基づく不当労働行為にとどまらず、非組合員10名を含む35名全員の雇用を奪った倒産攻撃にあり、「不当労働行為制度上の使用者」であることを不当にも認定しなかった最高裁決定が出されようと、それによって学研の団交応諾義務が全て免罪されるものではなく、まして話し合いを求める組合の争議行為の正当性を否定される根拠にはなりません。また、そもそも裁判所が争議行為全般を禁止する権限などありはしません。
 「労組法上の使用者責任」の有る無しは別にしても、学研が下請会社を倒産させた事実は明らかで、労働者を解雇状態に追い込み、生活を奪った責任は重大です。解決の話し合いを拒んで逃げる学研経営の対応は許されるものではありません。
学研および関連の仲間と結んで闘う「学研・ふじせ闘争」に
焦燥を深め、民事弾圧を仕掛けてきた学研経営

 2003年の最高裁不当決定に屈することなく、私たちは、それまで7年連続赤字のつけを労働者に回し、代理店へのしわ寄せ、また高額教材の押しつけ販売など、腐敗・荒廃を深める経営に対して、社内、学研関連、悪徳商法の被害者の若者らと結んで、ふじせ闘争の存在感を増していき、学研の消滅願望を打ち砕いて前進しました。
危機乗り切りへ、株式持ち合い、業務提携、進学塾の買収を図るなどの企業展開にも、情宣申し入れ行動を展開、攻勢を強め、株主総会での追及も質疑・応答の殆どの時間を圧倒的な質問攻めで、経営側のマイク電源切断など醜悪な対応を許さず闘っていった。
 学研は2008年に年間3回もの希望退職募集を行う、筆頭株主になった旧村上ファンドのエフィッシモキャピタルマネジメントから遠藤社長解任要求を突き付けられるなど混乱の極みに陥りました。そこで、2008年本社の五反田移転、さらに2009年持ち株会社=学研ホールでイングス発足により、起死回生をかけました。
本社の五反田移転直後にその土地・建物を売却(「資産の流動化・証券化」=グローバル資本主義下の金融・ITの席巻)、その資金調達で、2010年持ち株会社化に向かいつつ、M&Aで進学塾買収、新規事業=高齢者福祉への参入・投資を行いました。防衛大出身の宮原社長を擁立し、新自由主義的経営施策で企業の生き残り戦略を固める学研とふじせ闘争の攻防が煮詰まっていきました。リストラ合理化で労働者への犠牲強要を強行する宮原体制に対して、社内からの告発で、ふじせ労組と学研関連労働者との結びつきが生まれ、さらに高齢者住宅の居住者との出逢いまで起きたことは偶然ではなかったのです。
これに対して学研経営は、学研ココファン(高齢者施設)、東北ベストスタディ(学研が買収した仙台の進学塾)など、学研関連から相談・内部告発が寄せられた声を掲載した組合のニュース記事に対して2013年から相次いで1320万円、660万円の損害賠償とネット記事の削除を請求する訴訟攻撃を仕掛てきました。学研ココファン損賠訴訟では東京高裁が地裁不当判決をさらに推し進め、「争議に正当性なし」「いかなる意味でも学研に団交を要求する権利はない」「学研に使用者性があると主張し続けることは法治国家における裁判制度を否定するもの」などと全く誤った認定を示しました。「使用者性」の有無への判断を超えて倒産攻撃の責任を追及してきた争議・労働運動の蓄積と正当性を全否定するものです。憲法28条の空洞化・解体が極まるこの判決を追認し、最高裁も上告棄却して、学研HDに33万円、ココファンに66万支払えとの判決を確定させました。
組合員自宅への差押え=強制競売攻撃にまで踏み込んだ民事弾圧
 一体化して加担する裁判所
ココファン損賠不当判決確定(2016年2月)を受けて、学研は組合員の預金口座差押え(2016年5月)、さらに組合員の自宅への2度にわたる差押え(第1次強制競売攻撃=2017年3月、第2次=同6月)を行ってきました。学研ココファン分の損賠金(判決=66万円)を債権として取り立てるために、執行裁判所に60万円の予納金を納めての自宅不動産への強制執行を仕掛けるなどという尋常ではないやり口は「嫌がらせ」を目的とした攻撃であることは明白です。悪質法律事務所と一体になった学研のこのような民事弾圧は、現在の司法の劣悪化が加担することで拍車がかかっているものです。学研ココファン損賠訴訟では東京高裁が地裁不当判決をさらに推し進め、「争議に正当性なし」「いかなる意味でも学研に団交を要求する権利はない」「学研に使用者性があると主張し続けることは法治国家における裁判制度を否定するもの」などと全く誤った認定を示しました。「使用者性」の有無への判断を超えて倒産攻撃の責任を追及してきた争議・労働運動の蓄積と正当性を全否定するものです。憲法28条の空洞化・解体が極まるこの判決を最高裁も確定させました。
このような悪質な訴訟攻撃=民事弾圧に屈することなく、私たちは、不当解雇やリストラ、倒産攻撃などと闘っている争議団に対して同様の闘争潰しの攻撃が仕掛けられている状況を打ち破ろうと、全都・全国の仲間と共に闘っています。
 学研の今回の社内サイトでは、こうした仲間たちに対しても、「無関係の者」「嫌がらせを行い」などと敵意をむき出しにしています。
長年、労組弾圧をくり返し、争議を引き起こしてきている学研経営の問題体質が、ここにも現れています。私たちは学研および全ての仲間と共にこれを許さず闘っていきます。