PΛLS 2016年11月28日号 本号の内容
 ■ 東北BS損賠裁判「M&A」、「希望退職」の実態が証言で明らかに!  
   買収した進学塾への出口社長の高圧的態度、買収の立役者=宮原さんは・・・

 ■ココファン損賠高裁判決に抗議し、学研社前集会(争団連統一行動) 
     東京高裁超不当判決につき最高裁に上告手続きも行う


11・16、21東北BS損賠裁判証人・本人尋問(仙台地裁)
「M&A」、「希望退職募集」
        
実態証言明らかに!
 学研が買収した進学塾=東北ベストスタディをめぐる本紙の二つの記事(2011年)の記載に対して2年半も経過してから、ココファン損賠のついでに名誉毀損だとして起こしてきた660万円の支払いとネット記事の削除を請求する損害賠償訴訟が、11月16日、21日に証人尋問、被告本人尋問を迎えました。
 この事件の争点であるビラの記事の真実性については、「学研が東北BSを買収してからの運営上の問題=不当な経営施策の押しつけがあったか否か」「2011年のリストラ=希望退職の際、東北BSの経営状況は危機的であったか否か、希望退職の実態は退職強要ではなかったか」が問題になっています。今回の証言で、組合のニュース記事の真実性が立証されました。その概要をお知らせします。
出口鯉一東北ベストスタディ社長(当時)証言
ノルマは「なかった」、売り上げ目標は「のれん代の回収」!膨れる借入金の使途、説明つかず!希望退職前後の社員数も「分からない」?!
 11月16日はまず、買収後、学研から東北BSの社長として据えられた出口鯉一氏が原告側証人として証言しました。
<主尋問>
2006年2月に学研が買収した時の利益目標は、買収価格2億円、東北BSの純資産額は1億2千万円だったので、のれん代は8千万円となり、これを5年間で回収する、つまり年間1600万円の営業利益を上げるという十分実現可能な数字だった、組合のビラ記事にあるような「買収直後からノルマを課した」「純資産1億5千万円を維持できなければ特損でおまえらの首が飛ぶぞと出口社長が社員を恫喝していた」という事実はない、Sさん(被告側証人、東北BS創業者の次男)が学研本社に株式の買い戻しを求めてきたことがあったかどうかは記憶にない、30期(2010年10月〜2011年9月)の1億円の営業損失は東日本大震災の影響によるもの、学研の傘下に入って後、経営危機になったことはない、借入金の増加は東日本大震災で大きなダメージを受け、それを立て直すために親会社学研から借り入れたもの、2011年6月の希望退職者募集は、震災による被害を受け実施したもの、退職強要をしたことはない、面接担当の伊藤、I(東北BS創業者の長男)両取締役には強要をしてはいけないと伝えた、退職に追い込んだことはない、二人が強制したことも聞いていない、(退職者数については)従業員名簿を提出したり、応じて退職した個々の人名を明らかにするのはプライバシーがありできない。学研本社側が東北BSに教材の使用を押しつけたことはない、Sさんは学研が携帯電話の販売を押しつけたと言っているが、携帯電話の販売を発案したのは、Sさんの兄のI氏だった。この販売に学研HDは関与していない。Sさんは、必要以上の広告宣伝費を取締役会にもかけず、使ったということが問題になり、退職した。退社の背景にはIとSの兄弟間の主導権争いがあった。退社した後、「仙台あすなろ舎」、後の「あおば学舎」をつくってこちらと訴訟になった。東北BSの方から営業上の嫌がらせをした、という事実はありません。
<反対尋問> 主な点
被告代理人「塾ホールディングスのインタビュー記事で、塾経営の難しさを感じたという趣旨の表現をしているが、東北BSはうまくいかなかった、ということか」
出口証人「学研と違って小さな会社である塾で少しでも方向を間違えると大きく方向が変わったりということで厳しさが身にしみた。東北BSはうまく行かなかった、ということではない」と弁解。「東日本大震災の影響があったことは身にしみた」
被告代理人「震災の影響でうまくいかなかった、ということか。宮城県内の他の塾も同じだったのか?」
出口証人「同じだ。」(実態は、そんなことはない)
被告代理人「買収にあたり学研から来ていた窓口は誰か」
出口証人「今の社長の宮原さん」
被告代理人「震災前の2009年から2010の時期などに長期借り入れ、短期借り入れ金が増えているのは何故か」出口証人「教室を増やしたからだ」
被告代理人「教室はいくつくらい増えたのか」
出口証人「数は分からない。同じくらいではないか。閉校する地域があり、別に新しく作ったので変わらないと思う」
被告代理人「2007年の増資は、どういう理由からか」
出口証人「新しい事業を始めたのか何か・・・記憶がない」 被告代理人「震災の時、生徒数も減ったというが、本部が壊れたからか」
出口証人 「それ以外の教室も部分損壊があって」   
被告代理人「東京電力から補償金が出ていると思うが、いくらくらいか」
出口証人 「覚えていない」(!)
被告代理人「SさんとIさん兄弟で主導権争いがあった、との証言は今まで言ったことがなく陳述書にも書いてないが、どうして今になって出てきたのか」
出口証人 (答えられず)
 被告代理人 「Sさんが本社に来て株の買い戻しを求めた事実について、陳述書では否定していたが、証言では覚えていないと変わっている」
出口証人 「そういうことがあったのかも知れないが記憶が定かでなく思えたので。」
被告代理人 「希望退職の稟議書を出した時点での社員数は何人ですか」
出口証人 「分かりません」
被告代理人 「この裁判で人数も問題になっていますが資料を調べなかった?」
出口証人  「そこに書いてあるとおりだと思います。」
被告代理人 「非正規社員も含めると従業員が半分になったということではないのか」
出口証人 「(記憶にはないが)調べれば分かります」
被告代理人 「希望退職募集の通知に、『当社は経営状態の悪化と東日本大震災の影響を受けて、・・』とあり、経営状態悪化が第一に書かれているが、」
出口証人 「東日本大震災の影響ということです。(???)」
被告代理人 「経営状態悪化が震災と並列で書かれて、まず経営状態の悪化があるので、それは何かを聞いているのです。」
「東北ベストスタディを買収した学研スタディエの矢島社長が、あすなろ学院につき『復活』という言葉を使っているのは、今はもう塾として終わってしまっている、ということだから言っているのではないか?」
出口証人 「矢島さんに聞いてください。」
被告代理人 「もう一度聞きますが、結局、希望退職募集で社員の人数が何人から何人
になったか分からないのですか?」
出口証人「覚えていません」
被告代理人 「あなたは社長だったのだから。それでは信用できないですね。」
仙台あおば学舎代表 Sさん証言
 11月21日には被告側証人として仙台あおば学舎を運営する代表者のSさんが証言を行いました。組合のビラに書かれた事実を裏付ける買収後のノルマなど学研側の施策、経営状況悪化の推移を明らかにする証言は圧巻でした。
 また、この日、Sさんのお兄さんのIさんも陳述書を提出、Iさんが裁判への関わりを遠慮してきたのをいいことに、出口社長が16日の証言で兄弟の不仲をでっち上げて学研の運営の責任を転嫁していることに対して、出口社長に命じられて退職強要を行った事実など、数々の怒りの告発を行っています。

<主尋問>

「株式会社あおがく」の代表者を勤めている。経営状況は(塾ナビランキングで集団塾部門で宮城県のトップになっていることなど引用しての質問に答え)概ね順調です。他方、東北BSは今年度で閉鎖教室が6教室になっています。当時の私の担当業務は経理、財務、広報、新規出店など。学研本社から宮原さんなどが来る際に、女性の手配などもするように求められていました。東北ベストスタディの経営を巡って兄と対立していたことはないです。学研による東北BSの経営はうまくいかず、売り上げは落ち込みました。学研側から過大なノルマを課せられるなどして、社内に軋轢が生じていました。また、私が辞めた後のことだが、約半数程度の従業員を対象に希望退職まで行われ、退職強要も行われました。ふじせ労組のビラの記載どおり。出口さんは「本社がこう言っているので、おまえらちゃんとやれよ」、「御前会議で責められるのは俺だから、売上げを上げろ」と繰り返し言っていました。「(株式買取りにかかった)2億円を5年間で回収する」、「純資産で1億5000万円を維持しろ」というのは口癖のように繰り返していました。「これができなければ、減損処理して、会社として存続できなくなるぞ」いう話もスタッフによくしていました。2007年の営業損失として4034万が出ると、次年度からは、出口さんから、多少数字をいじっても利益を上げるようにという指示がありました。この時期から2011年にかけて短期借り入れ金が、2009年から長期借り入れ金も増大したのは、運転資金です。2008年の増資も資金がなくなったからで、2011年の純資産1734万円は会社として価値がない状態。純売上高が減っていますね。そして、採算が悪い教室を減らしていきますが、塾経営の観点からいうと、採算が悪いからといって、簡単に閉鎖してしまうと、評判が落ちていきます。こういった悪循環の結果だと思います。東日本大震災によって塾経営が逼迫するほどの影響はでません。出口さんら学研側の経営陣は、2007年の当初から、学研の教材を売りつけるように、社員に対してノルマを押し付けてきました。あすなろ学院では、それまで地域の実情にあった教材を教材会社から購入していたのですが、学研が自社のストックを持ってきて売るように指示をしてきたのです。首都圏の生徒向けに作られたもので、仙台の生徒には向いていませんでした。ソフトバンクの携帯電話の代理店になって売上げを上げるという思いつきまであり、「うちは携帯電話屋じゃない」という社員の反発は非常に大きかった。学研から入った経営陣は、本社の覚えをめでたくすることばかりに気を遣い、現場の苦労は全く分かっていませんでした。社員・スタッフの学研のやり方に対する不満は、日々ふくらんでいました。2010年1月に、五反田の学研本社に一人で行き、出口さんに対して「2億用意したので全株式を買い戻したい」と切り出しました。しかし、出口さんは、これを言下に拒否し、これ以降、私に関して「広告宣伝に関して個人的にキックバックを受けている。業務上横領にあたる」などと事実無根のデマを社員やスタッフに向かって話すなど、個人攻撃を始め、私は、2010年1月に取締役を辞任し、出口さんからは「社員としても働かせられない」と退職を強要され、3月に退社しました。株式会社あすなろを2010年(平成22年)6月に立ち上げるということになりますが、一緒に東北BSを辞めて、あすなろの社員・スタッフになった7〜8人で、子どもたちの為の学習塾を作ろうと決めました。学研は全国の教材販売会社に「あすなろに教材をおろすな」という働きかけをするなどの圧力をかけてきました。東北BSを辞めた後に、2011年の東北BSにおける希望退職の募集について、東北BSの従業員・スタッフから私に相談を求める電話がかかってきていました。希望退職とは名ばかりで、実態は、出口さんの指示のもと、社員やスタッフを一人ひとり個室に呼び出し、兄と当時の取締役教務部長であった伊東順弥さんが「やめろよ」など強い言葉を使って圧迫し退職強要を行っていたと複数の社員やスタッフから聞いています。
<反対尋問>
 原告代理人から反対尋問がありましたが、東北BSの膨らんだ借り入れ金について、「超一流企業のトヨタでも巨額の借入金はあるが経営危機などではない」と筋違いな比較をするなど、ひんしゅくを買う反対尋問ばかりでした。
被告本人尋問は次回に掲載
 11月16日、組合代表Kさん、11月21日、支援共闘会議のYさん、Sさんへの被告本人尋問も行われました。これらは次号で掲載する予定です。
3現場を貫き、争団連統一行動を打ち抜く!
 10月28日、争団連の統一行動は、学研社前、裁判所抗議、旭ダイヤモンド本社包囲デモの3現場を貫き、力強い闘いを打ち抜きました。学研社前の報告を掲載します。
★争議権全面否定の高裁不当判決を許さず、学研社前集会を開催!
 学研本社前では、12時15分からの集会前に当該・支援共で社内から昼休みで出てきた労働者へ情宣、早めに結集してくれた仲間も加わりビラ配布もしっかりできました。シュプレヒコールを上げて集会開始する頃から雨がだんだん本降りに。まず、当該から9月14日に東京高裁が出したココファン損賠控訴審判決がふじせ争議を学研との使用者性を争うものと勝手に狭めて定義し、それが03年最高裁で否定されたことをもって、「いかなる意味でも学研に団交を要求する権利はない」などと組合の争議権を真っ向から否定する前例のない判断を出したことを批判、上告して争うこと、11月の仙台での東北ベストスタディ損賠での2回の証人・被告本人尋問、12月の株主総会闘争と今後の闘いにも触れて、激化する学研の民事弾圧と全力で闘う方向性も訴えました。


 続いて、連帯挨拶を保安処分攻撃と闘う医療観察法を許すなネットワーク、強制執行での排除・逮捕弾圧と闘ってきている明治公園の野宿者排除と闘う有志の会から受けました。地域の仲間からの闘争報告として、港区の不動産会社で7月に不当解雇されて闘っている南部労組ミッドランズから受けました。続いて決意表明を集中闘争で結集した出版関連労組交流会議から双葉社での一昨年からの賃金10%カット、一時金ゼロなどと対峙してきた闘いなどの報告、同じく集中闘争で取り組んでいる南部交流会からス労自主、ふじせの長期争議を先頭に闘っている地域共闘の前進への決意、そしてふじせ闘争支援共闘会議から、裁判所は学研の使用者実態も明確に認定した破産管財人提訴の85年損賠判決を無視するなど、沢山の不当判決を出し学研の居直りを助けてきて長期争議となっているが、倒産攻撃の明白な責任追及は揺るがない、と決意を述べました。最後に間接強制対策会議から三合労ケミカルプリント分会の仲間が次の裁判所抗議の闘いと労争連統一行動ケミカル会長宅デモへの呼びかけを行いました。強風で雨が横なぐりになる中、これに負けないシュプレヒコールを学研社屋に叩きつけて行動を終了しました。悪天候の中、日中の行動に66名の仲間が結集してくれました。