PΛLS 2016年10月26日号 本号の内容
  原点は揺らがない  ココファン損賠控訴審判決について
  9・28学研社前行動          
  学東北BS損賠裁判がヤマ場に

原点は揺らがない
 既報の通り、ココファン損賠控訴審は、初回結審というその訴訟指揮から予想されてはいたが、結果は、司法の枠さえも超えたウルトラ不当判決であった。
 この判決の意味を知るために、ここであらためて、1978年という、倒産解雇のその年のいまだ熱い段階で、東京ふじせ企画の破産管財人が、学研およびふじせ企画を相手に起こした損害賠償請求訴訟の中身について確認しておきたい。 
 この最初に出された一審判決(1985年)は、「ふじせ争議」の本質が、司法の場において、いかなるものであったかを明らかにしているからだ。
管財人訴訟判決における事実認定
判決は、学研、ふじせ企画、東京ふじせ企画の三者の関係について、以下の通り事実を認定した。特に以下の2点について、注目していただきたい。
 まずは組合員が所属していた「東京ふじせ企画」の実態である。
「被告ふじせ企画は、元請会社としてその代表者の被告工藤が東京ふじせ企画の経営に事実上大きな支配力を持っていたものの、形式上は東京ふじせ企画から二〇パーセントの口銭を取る存在にすぎず、業務遂行の実務面においては東京ふじせ企画が被告学研の出版物編集製作体制に取り込まれて両者の直接交渉のもとに業務が進められたうえ、同社の被告学研への派遣従業員については被告学研の労務管理に準じて業務に従事するなど、通常の元請、下請関係には見られない特徴が存在したことは否定できない〜」

 さらに被告学研による業務引上げについては、
「前記第三の一において認定した事実経過によれば、被告学研の被告黒川(*学研学習科学編集局次長/当時)及び同角宮(*学研学習科学編集局科学編集部長/当時)は、昭和五二年一二月五日東京ふじせ企画に労働組合が結成された事実を了知するや、直ちに被告工藤(*ふじせ企画代表取締役/当時)を通じて労働組合は好ましくない旨の意向を表明し、その翌日から須田(*東京ふじせ企画代表取締役/当時)及び東京ふじせ企画に対し労働組合を解消させるよう働きかけたうえ、同月八日被告工藤に対し、東京ふじせ企画から被告学研の編集業務を引き上げること(ショック療法)を申し向け、さらにその翌日、須田に対しても直接右ショック療法を行う旨申し渡したというのであるから、東京ふじせ企画に対する業務引上げが、被告学研の被告黒川及び同角宮の共同意思のもとに、右被告両名の発案で被告工藤及び須田に働きかけて受注業務の返上の形で実行に移された事実はこれを否定することができないものと認められる」
 これがすべての原点である。その上で、判決は、訴えた破産管財人の敗訴で確定した(学研側も控訴せず、組合潰しの事実認定部分も確定)。すなわち、この訴訟の前提となる「三面契約」とは、本来立場の異なる三人の当事者間の契約であって、だが現実は、学研、ふじせ企画、東京ふじせ企画は言ってみれば「同じ穴のむじな」であり、そもそもこの訴訟自体が成り立たないのだと結論づけたに過ぎない。
 さらに裁判長は、判決後に、あえて口頭で次のように述べている。
「これが組合からの訴訟であれば、勝っていただろう」と。
ここにふじせ争議のすべての本質がある。
辺野古訴訟不当判決との類似
とき同じく、石井国交相が翁長知事を訴えた「辺野古違法確認訴訟」の判決が、福岡高裁那覇支部で言い渡された。いわく「普天間飛行場の被害を除去するには辺野古に基地を建設する以外にはない。辺野古の建設をやめるには普天間飛行場の被害を継続するしかない」と。
国の代弁者となり下がり、沖縄に基地を置くことを疑わない態度こそが、沖縄の「構造的差別」と言われるゆえんだが、「司法よ、お前もか」という憤りが噴出するのは当然だ。これまた司法の三権分立の原則をさえ逸脱した驚くべき判決であった。たとえいまある構造が歪んでいても、司法は目をつむり、その歪みのままに維持を図ろうとする。あるいはその体制を維持するためには、さらに政権の意向に沿って、司法が率先して判決において誘導しさえする。
抗うものは、叩き潰すのみ。それがこの判決の意思だ。
 この沖縄の不当判決は、あまりに今回の高裁判決と似ている。地裁の明らかに誤った証拠引用も見ぬ振りをし、あらたに証拠提出したSさん陳述についても、一審への疑問に対し、何ら判決に反映させることはなかった。そして私たちが「支配あるところに責任あり」として、学研の「使用者性」を主張し闘争を継続することに対しては、驚くべきことに「法治国家における裁判を通じての紛争の解決という裁判所の基本的な機能をあからさまに否定するもの」とさえ断じる。さらに押さえておかなければならないのは、この判決は、「居住者が声をあげた」という民主主義の原点を無視し、本来そうした声こそが業界自体の制度や構造を改善する大きな力となるにも関わらず、その声を「封殺」する役割として機能している点だ。沖縄の声と同様に、居住者の声は完全に無視されている。そして本来担うべきはずの労働組合が人々と繋がり声を上げるという「社会性」を、運動そのものから排除しようと意図する。
いったいこの司法のかたくなな「意思」とは何なのか。
 そして何より、管財人訴訟判決における先の「事実認定」はどうなったのか。
高裁判決は、「学研=使用者」という言葉に徹底してこだわる。そして組合が使用者性をめぐって最初から争ったかのように偽り、争議の発端そのものを隠蔽する。その上で、使用者性はすでに最高裁で否定されているのだから、そのことで闘うことは法治国家において許されないと、まるで争議行為そのものが全面的に否定されているかのように装いイメージづけしている。
 だが先の確定した事実認定の@をみれば、学研への派遣従業員については学研の労務管理に準じて業務に従事しており、通常の元請、下請関係には見られない特徴が存在したことは明白としており、使用者性を認めるべきとの判断は避け得なかったはずだ。
 さらにAをみれば、もはや学研の「責任」は逃れようがない。この事実認定については、その後の司法判断でも一度として揺らぐことなく、「学研=使用者」云々の前に、まさに組合を潰すべく「学研=弾圧者」であったことを明白に示している。学研内に新たに組合が作られ、組合潰しのために「ふじせ」が導入される。劣悪な労働条件に組合を結成すれば、その組合を叩き潰す。ふじせ労組が全学研労組と繋がることだけは何としても避けなければならない。それは学研による「組合排除」の意思そのものである。高裁判決は、かような無法であってさえも、恥ずべき法治国家の決定には服従し、弾圧に対しては、泣き寝入りせよというのか。
 辺野古や高江がなぜいま闘われ続けているのか。
 その構造のあまりの類似性に、驚くばかりだ。
この国の体制・構造を形づくるもの、労働法制の解体
 規制改革会議の答申を経て、すでに閣議決定された「日本再興戦略」とやらで、厚労省は、昨年10月より「透明かつ公正な労働紛争解決システム等の在り方に関する検討会」を強力に押し進めている。戦後の労働法制を解体するなか、解雇の金銭解決制度など、解雇自由化へ向けた大きな流れのなかにある。
労働法制をめぐっては、その由々しき「構造」は、いつ、どのように形づくられてきたのか。
私たちの争議をめぐっては、東京都労働委員会では長きにわたって審問が行われ、命令が出されたのが1987年。その後司法によって追認され、最高裁で確定するという経緯をたどっている。
 ではこの命令が出される前に、いったい何があったのか。
 実はこの命令が出される前年の1986年7月、戦後の労働法制を揺るがす「労働者派遣法」が施行されている。この明らかな時系列上の事実。それによって派遣元と派遣先が厳格に区別され、派遣先企業の雇用責任(使用者責任)を問うことがより困難となった。以前であれば、ふじせの労働者は、まさに今日で言う「偽装請負」であって、ふじせ企画が下請け編集プロダクションとして学研と業務委託契約を結んでいたとしても、先に示した@の認定のように、実際にはふじせの労働者に対して業務上の指揮・命令を行っていたのは派遣先の学研で、疑いようなく派遣先や親会社の使用者責任が認められる以外なかった。そしてその後最高裁で確定した「ふじせ」との類似案件である「朝日放送事件」でも、司法はその「使用者」性を認めている。
 だがこのような「使用者責任拡大」の法理を嫌うこの国の体制は、さまざまな圧力によって「支配あるところに責任あり」という法理をなし崩しにする。その後次々と、不当な裁判所判決・労働委員会命令が出されるようになり、驚くべきことに、ふじせの争議では、先の「朝日放送事件」判例には目をつむり、なおも逃げ続けたままだ。そして「労働者派遣法」の本質でもある元請け経営の「責任逃れ」の意図を、ふじせの場合には、派遣法以前の過去にまで遡って当てはめたに等しい。これは「法の不遡及」に対する「不法」行為である。経営者の意向を忖度する労働委員会と、政権の思惑に従う司法との一体化。それは戦後労働法制の解体であり、「ふじせ争議」とは、まさにこうした流れに対する「闘い」の象徴でもあるのだ。
原点は揺らがない
目の前に、それぞれの労働現場がある。派遣をはじめとし、非正規労働者が圧倒的な数で増加し、学研内においても、「差別的構造」が当たり前のように存在している。ホールディング化によって、正規労働者もまた、分断され、労働条件をはじめとして実質非正規化へと引きずり落とされようとしている。いつとは知れず、ジワリジワリと首を絞めるように。
 しかし、それはあたり前なのか?
 いつとは知れずとは、本当にそうなのか?
 あのとき、あのことを、あなたたちが黙認した瞬間がそのキッカケだったのではないか?
 そしてそんな構造を、いったい誰が求めているというのか?
 おそらく学研の内部にも、さまざまな声がくすぶっているだろう。
 多くの労働者が、声を押さえつけられ、泣き寝入りを強いられてきた歴史。闘う者の多くが叩き潰され、そうした声が、私たちの闘いの背後に声なき声として深く沈殿している。
 だからこそ、私たちは声を上げ続けなければならない。
 なぜなら「原点」があるから。その原点は揺らがないから。
 最初の出来事に立ち戻る。つねにそこが出発だ。
 どんな由々しき構造のなかにあってさえ、ひとはその構造の外から、物事をみることができる。
 高裁判決がどんなに悲惨なものであっても、彼らは単に、いま現在の構造を形づくるひとつにしか過ぎない。
最初の出来事に立ち戻る。そして経緯に目をこらす。すると多くの茶番が浮かび上がる。それを「茶番だと知る」私たちがいる。
 だから、私たちの「原点」は、決して揺らぐことはない。                                                                             (支援共Z)
9・28学研社前行動を展開!
 9月28日、学研社前行動を展開しました。出社してきた中森常務に団交要求書を受け取り、争議を解決するように求めましたが、中森常務は顔をしかめ、これを拒む態度を示して、抗議のシュプレヒコールを背に社内に入っていきました。
 朝ビラは、9月14日に出されたココファン損賠の控訴審不当判決に対する批判を掲載した「パルス」9月号を配布しました。
 9時過ぎからは、社前座り込みとマイク情宣で10時までの行動を打ち抜きました。


11月、東北BS損賠裁判がヤマ場に  
11月16日、21日と証人、被告本人尋問

 
学研が2013年末に起こしたもう一つの嫌がらせ訴訟(660万円の損賠とネット記事削除請求)である東北ベストスタディの損賠裁判は、この進学塾を買収する前後に学研がやったこと、2011年にリストラ退職勧奨を行った際のことについての記述が「ビラの真実性」として争点になっています。学研側は友好的なM&Aだ、名誉毀損だなどと言っています。
 いよいよ、11月に証人・本人尋問が行われます。10月17日の法廷で、例によって裁判所は証言時間を切り縮める訴訟指揮を行ってきました。抗議し押し返す攻防となりましたが、支援共闘会議の二人の被告の尋問が大幅に削減されるなど納得のいかない
ものでした。元全学研労組の仲間の証人申請も却下されました。
 11月16日(水)13時15分〜出口元東北ベストスタディ社長とふじせ労組委員長、11月21日(月)13時15分〜当時東北BSの役員で、その後中心メンバーを率いて離脱し、現在別の進学塾=仙台あおば学舎の代表になっているSさんの証言、被告の支援共闘会議Yさん、Sさんの本人尋問が行われることになりました。