ネット記事削除仮処分・間接強制決定を許さない
闘争潰しの濫訴へ突進する学研経営に加担し、
地裁民事9部=福島裁判長が横暴な訴訟指揮
で不当決定

 学研ホールディングスと学研ココファンが、昨年末、「投稿記事削除仮処分」を東京地裁民事9部に申請し、私たちが一昨年秋より、ココファンあすみが丘(千葉市)の居住者の声を組合のビラで取り上げ、ウエブサイトに転載した記事につき「名誉毀損」として削除を求めてきたこと、仮処分決定が出されたことまでは先月号でお知らせしました。簡単にふりかえります。
 この請求は、既に昨年6月に学研とココファンが提訴している損害賠償請求本訴の中でも要求し、争点になっていることです。この「仮処分申立書」が裁判所から届いたのは呼出し期日の直前。十分な反論準備 もさせず、民事9部福島政幸裁判長は、債務者とされているふじせ闘争支援共闘会議メンバーたちを審尋に傍聴もさせませんでした。私たちは「本訴で争っている中での不当な仮処分申請であり、保全の必要性もない」「争議行為は正当な労組活動である」等の準備書面・答弁書を出し、名誉毀損などではな く事実である証拠のココファンあすみが丘居住者の意見書、等の証拠も提出しました。
 しかし、保全の必要性についての私たちの学研側への釈明要求に対して、福島裁判長は「その必要はない。組合側で主張や証拠をさらに出すなら今日中に出せ」と横暴な態度で完全に経営に加担する姿勢を露わにしました。組合側が 「そんなことは無理だ」と言うと、「では、明日中に出すように。審尋は今日で終わりだ」と、たったの1回で結審としてしまいました。
 年が明けた1月6日、不当なネット記事削除命令の仮処分決定(12月27日付)が送り付けられてきました。判断根拠となる「理由」は全く書かれていないものです。まともに判断すれば、このような決定になるはずがなく、申請は却下されるべきものです。
1月8日付で間接強制も申請  書面審尋のみで決定
 学研経営は、昨年6月の損賠請求本訴(1次、2次で1320万円の請求、その後別の支援共メンバー個人を相手に3次、4次の請求)、11月のネット記事削除仮処分請求、そして更に12月16日、進学塾経営の東北ベストスタディへの名誉毀損として660万円の損害賠償請求訴訟を仙台地裁に提訴してきました。2月の期日には仙台地裁への出頭を求めてきています。嫌がらせの濫訴を仕掛ける学研経営に加担し、東京地裁民事9部がデタラメな仮処分申請を認めて、民事弾圧に拍車をかけているのです。1月8日には、ネット記事削除仮処分決定に基づき、間接強制の申請がされ、書面審尋のみで2月4日付で申請をそのまま認め、記事を掲載し続けたら、1日10万円を支払え、という間接強制決定が出されました。ネット記事は抗議声明を付けて、「名誉毀損」箇所と学研経営が言う部分を伏せ字に直してアップしました。そちらをご覧下さい。
1・27全国争議団結集行動
福島裁判長のネット記事削除仮処分決定を糾弾し
裁判所前集会&東京地裁
民事9部に抗議・申し入れ

 1月27日、全国から集まった争議団の仲間は、学研ホールディングスと学研ココファン(サービス付き高齢者住宅を運営している事業会社)が申立てたネット記事削除仮処分につき申請どおりの不当決定を出した東京地裁民事9部(保全部)と福島政幸裁判長に対しての抗議、申し入れ行動を行いました。


 8時30分過ぎに裁判所前に集まり、ふじせ闘争の横断幕を据え、ゼッケンを付けてビラ配布を開始。当該労組がマイクで来庁者、通行人に争議の経過と学研の仕掛けてきた民事弾圧、それを容認する民事9部を弾劾。続いてリレートークで、北部九州反弾圧争議団労組交流会(福岡合同労組)、関西争議交流会(港合同南労会支部)、間接強制対策会議(三合労ケミカルプリント分会)からアピールを受けました。抗議のシュプレヒコールを上げた後、9時40分過ぎから東京地裁の2階にある民事9部へ抗議・申し入れに移りました。
 民事9部では「責任者だ」という向井という書記官らが応対。抗議・申入書の趣旨を当該が伝え、福島裁判長の横暴な訴訟指揮で、何の理由も書かれていない不当決定が出されたことなどに抗議。「申請を相当と認める、と書いてあるから、(理由は)これでいいのですよ」と居直る書記官に怒りの声が上がりました。福島裁判長を出せ、との要求にも「出てきて説明することはない」とまたまた生意気な対応。「福島には、今日、明大生協労組事件で忌避の申立も行われている、裁判官として適格性もない、民事9部も多くの争議団に悪質決定を機械的に出している」と抗議。このやりとりの最中、書記官室の隣りの控え室から落ち着き無く様子を窺っていた者がいた。支援の仲間が「あなたが福島か」と問い質すと否定するでもなく退出していったといいます。その足で福島は503号法廷で10時から始まった明大生協事件の仮処分審尋の場に。抗議と忌避に終始イライラしていたそうです。申し入れの方は、書面を受け止め、福島にも渡すように要求し、下へ降りてきて再度、裁判所への抗議のシュプレヒコールを上げて行動を終了しました。51名の仲間が結集してくれました。

1・8学研社前行動を展開!
 1月8日、今年最初の学研本社前行動を行いました。7時半から社前にて設営、朝ビラ配布を開始しました。ビラには年末の株主総会の詳報、学研の濫訴を糾弾する記事を掲載。7時50分過ぎに中森常務が出社。抗議の声をかけました。8時20分近くになって宮原社長の車が社屋裏手の高速道路側を回って出社。抗議のシュプレヒコールを上げました。その3分後に出社してきた工藤監査役にも「争議を解決するように」と声をかけ、シュプレヒコール。9時すぎからは社前での座り込み行動に移り、10時までの闘争を打ち抜きました。

   1・8宮原社長に抗議・団交申し入れ

宮原体制の下で、学研が向き合う教育とは?
 「学研ライフ」の年頭対談に驚きました。一つの例示であるとはしても、「米国海兵隊」ですか?ベトナム戦争の最後、すがる南の兵士・市民をヘリコプターから蹴落として自分たちだけで脱出した海兵隊、沖縄民衆を苦しめ続けてきている米軍基地の主役で少女暴行事件を起こした海兵隊員、「覇権国家」米国が世界中にまき散らし続けてきた沢山の「正義」の戦争の殴り込み部隊の海兵隊。彼ら自ら抱えた心身の後遺症。
宮原社長、あなたは学研でどういう教育の理念を掲げ、実現していこうとしているのでしょうか?学研で働く人々の中にも今回の記事には唖然とさせられた方が多いのではないでしょうか? それでもここは冷静に抑制的に・・・。ふじせ支援共メンバーの一人にコラムを書いてもらいました。
学研ライフ新春号
「宮原社長と野中郁次郎先生
            特別対談」を読み解く

                                              ふじせ支援共・Z
「知的機動力」を仕事に発揮せよ!
 学研ライフ元旦号の巻頭2ページを大々的に飾ったのは、宮原社長と、彼の防衛大学時代の恩師であり「組織的知識創造モデル」で著名な一橋大学名誉教授、というより富士通総研経済研究所理事長の野中郁次郎氏との対談である。宮原社長が「これからの企業人の在り方」について、野中氏からレクチャーを受ける形で、学研に働く人たちに向けて発せられた、学研トップからのメッセージとして位置づけられる。
 ここに如実に表れているのは、宮原社長の、学研の現状に対する「歯がゆさ感」である。
 「現在、ベテランが多い年齢構成になっていますが、私も含めこの年代の人たちに燃え尽きるまで一生懸命働いてもらい、次のステップとして、先生の言われる知的機動力を、云々」と、宮原社長はのっけに、恩師野中氏にアドバイスを求める形で、この対談を始めている。
 ベテラン社員に「燃え尽きる」ことを求めるこの感性も空恐ろしいが、むしろこんな旧人類は早く燃え尽きていなくなってくれ、という願望のようにも聞こえてしまう。本来学研の社員のポテンシャルは高いはずなのに「1+1がせいぜい2にしかならない」と嘆くのは、まさに「知的機動力」が発揮されていないと彼が認識しているゆえである。
 この対談を見て、私がまず直感的に感じたのは、ある種の気持ち悪さである。それは「恩師」という「私的」な縦の関係を、自らの空白(空虚)を埋めるために、ある意味学研にとって「公」とも言うべき場へ持ち込む感覚のことだ。彼が野中氏の経営哲学の信奉者であることを、私はここで問題にしているわけではない。さらに悪いことに、野中氏もこの対談における自分の立場(宮原社長との関係)を意識してか、学研発行の『歴史群像』を高く評価し、経営モデルのあり方として「参考にすべき組織のひとつに、アメリカの海兵隊があるんです。その海兵隊が採用している戦略が、機動戦なんです」と応じてしまう。さらに「アメリカ海兵隊もサムライスピリットが大好きなんですね。強い共同体意識がある。仲間の骨を拾うとかね。そういうところが日本の伝統的な価値観と実に近い」とまで語っている。
 とすれば、「恩師」という私的な関係を持ち込むことは、学研に働く人たちの共同体意識にとって、宮原社長の恩師の像を、自らもまた「恩師」となって、社員との間の空白(空虚)に強制的に埋め込もうとしているだけではないのか。そして心の中では、来るべき次のステップにおいてこそ、若い社員たちに、敵との機動戦のすえに「燃え尽きる」ことを求めているのではないか。
宮原社長は最後をこういう言葉で締めている。
「はい。何があっても、必ず骨は拾います。今日は良いお話を、本当にありがとうございました。」
 おい、おい。学研は「靖国神社」か。
宮原社長が民間企業ではなくそのまま自衛隊の空自にでも進んでいたら、彼はあの田母神センセイを恩師と呼んでいたのだろうか。
 それにしても「経営論」において、戦術、戦略のみを語る際の言葉の空虚さ。
いったい何のために戦っているのか。イラク戦争においてアメリカ海兵隊が為したことは? 燃え尽きたあとに、彼らに何が残るのか。死んだ兵士の家族、そしてその戦いの先の故なき被害者たちは?
野中氏の経営哲学が、一方で単純な市場原理主義を批判し、日本型経営の可能性を世界的に指し示したことに高い評価を得ているがゆえに、この対談が、単なる1%の勝者になるための戦術、むしろ日本発の新自由主義の尖兵の論のようにしか感じられない点は、彼自身もほんとうは不本意なのではないだろうか。
最後に、野中氏の言う「世界というのは、関係性なんですよ。何かを見た瞬間に全体像が見えるのは、関係性を捉える力ですからね」という言葉を、現在の「ふじせ闘争」の長い闘いに置き換えていえば、「学研はふじせ労組とは一切“関係ない”」と主張すること自体が、その始まりに立ち返れば、「君は全体像への暗黙知が欠けている」と、恩師にまずは言われてしかるべき事柄ではあるだろう。