学研経営は、争議行為圧殺を狙った
          不当な訴訟を取り下げろ!

損害賠償訴訟9・30口頭弁論でも
ずさんな学研HDの訴状、修正先送り!

 9月30日午前10時から、東京地裁の631号法廷で学研ホールディングスと学研ココファンが、私たちの「学研ココファンあすみが丘」についての記事を「名誉毀損だ」として、計1320万円の損害賠請求と、ふじせのウエブサイト(「発信25時」)の記事の削除等を求めた訴訟の口頭弁論が行われました。前号でお知らせしたように、この日の焦点は、学研経営側が訴状で被告としてふじせ闘争支援共闘会議の代表を「○○こと□□」(○○は仮名で□□が本名と扱って記述)などとして実在する2名を一人の人物であるかのように記述している誤りを修正して出すことになっていましたが、裁判所に問われても代理人弁護士の曖昧な答えがされ、実はまだ修正できず、次回までにと先送りする「上申書」を出してきたのでした。被告も特定できない裁判など、よくも起こしてきたものです。内容・形式共にいい加減で悪質な訴訟を直ちに取り下げるべきです。
修正を棚上げにした上、支援共代表個人宛に嫌がらせの訴訟 
 しかし、取り下げるどころか学研HDと学研ココファンは、10月10日付で支援共代表個人を住所も分からないまま(連絡先を東京ふじせ企画労組内として)被告に仕立てて、先の第1次、第2次の計1320万円請求と全く同趣旨の訴訟を起こしてきました。次回期日に被告名を修正すべきところを、わざわざ、別件として訴訟を濫発するという嫌がらせを行ってきたものです。訴状の中で、「被告○○は、支援共の代表者(事務局長)であり、『pΛls ふじせ闘争 学研社前版』等と称するビラの作成、本ウエブサイトの運営等を行っている」などとしているが、○○さんの実在すら知らなかった上に未だ、誰かも分かっていない(彼が事務局長であることは組合側が明らかにしたもの)学研HD側が、彼の行っていることなど知るはずもないのに、このような記述を行っていることに呆れるほかありません。代理人=二重橋法律事務所を含め極めて悪質です。
 話を9月30日の法廷に戻します。学研HD側が、最初の1100万円の請求に加え、その後配布した同じ内容のビラにつき、あえて別件で220万円請求の訴訟を出してきた件についても、事件の併合は次回以降に先送りになりました。次回は、12月9日、同じ法廷で10月10日提訴の件もやるようなので、濫訴で混乱を引き起こす学研HD側の姿勢は、さらに問題になるでしょう。この日は、その他に組合側から認否の準備書面、会社側から証拠提出がありましたが、ふじせ労組のビラ(正当な抗議行動の報告等)を「嫌がらせ行為を行っている証拠」などとする主張にはあきれるほかありません。
 この日の法廷では、不当な民事弾圧の損害賠償請求に対して、当該労組代表が冒頭意見陳述を行いました。以下に紹介します。
冒頭意見陳述書
東京ふじせ企画労働組合 執行委員長  國分 眞一
はじめに
株式会社学研ホールディングス(以下、「学研」と言います)と同学研ココファンが、この度、私たちに対して不当な損害賠償請求訴訟を起こしてきたことに強く抗議します。本件訴訟は、私たちの学研関連での組合活動が経営の問題体質を浮き彫りにし、ますます関係者と深く結び付いて行われていることに焦った学研が正当な争議行為圧殺を図ったものであり、またココファン居住者の声が社会的に拡がらないように隠蔽し、押し潰そうといわゆる「スラップ訴訟」を行ってきたものです。

1、東京ふじせ企画労組結成と争議突入
 私は、1977年3月にふじせ企画に入社しました。入社直後、五反田にあったふじせ企画は正式には東京ふじせ企画と名称変更されていて、東京ふじせ企画代表の須田博社長は実権がなく、工藤英一ふじせ企画社長が学研から請け負った仕事を東京ふじせ企画の社員が行うという形式にされていることを知りました。
 東京ふじせ企画の労働者は、学研本社・第2ビルに派遣されたり、連日学研本社と五反田事務所を往復したりして、学研の管理職からの指示を受けて取材、原稿依頼、編集・校正作業に追われていました(別記組織図参照)。特に学研の基幹雑誌「○年の学習」・「○年の科学」を担当する者を中心に、月に120〜150時間もの無給での長時間残業、低賃金で働かねばなりませんでした。
 過酷な過重労働で心身を蝕まれる社員が出てくるなどしたため、私たちは劣悪な労働条件を少しでも改善させようと、12月5日に労組結成を通告しました。これを知った学研は、黒川巌学習科学編集局次長らが工藤社長、須田社長を学研に呼びつけ、「ショック療法で組合を解散に追い込む。組合員と非組合員の名簿を出せ」等の方針と命令を示し、一週間後、30余名が就いていた学研からの「委託編集業務」を全て引き上げ、約一ヶ月後には東京ふじせ企画を倒産させました。全員が解雇となり、争議に至りました。
学研本社では、御用組合から独立して1973年に結成された「全学研労組」への14名の解雇・不当配転・賃金差別・仕事干し、管理職らを総動員した吊し上げや春闘で腕章を着用しただけで集団で襲いかかり、はぎ取るなどの暴行等で1992年まで争議が続きました。学研の「科学」「学習」の編集部に全学研労組員が多くいたため、学研経営は、「ストを打たれても影響が出ないようにするために」、と労組員の仕事を取り上げ、それをふじせ企画に回したのです。ふじせ企画は学研の単なる下請編集プロダクションの一つではなく、全学研労組結成直後に不自然な業務委託を行って労組対策用に導入した会社という独特の位置を持った存在でした。そこにまた労組が結成されたことで、焦った学研は一挙に暴力的に潰しにかかってきたものでした。

2、何故、長期争議になっているか。それにも関わらず闘い続けているのは何故か
 学研と私たちの間の争議は35年間続いています。どうして、争議解決への道が歪められ遠ざけられてしまったのか、争議の本質は何かについては、その経過に触れて、この裁判でも明らかにされるべきであり、今後、詳しい主張を行っていくつもりです。
 学研は終始一貫、「業務はふじせ企画社長の側から一方的に返上された」というあり得ない主張を行っています。また学研に使用者責任がないと述べ、本件訴訟でもそれを私たちの組合活動を否定する唯一の根拠として述べ立てています。しかし、これらの主張は誤りです。ここでは端的に二点を指摘しておきます。
 一つは、原告の証拠としては出されていない判決のことです。東京地裁民事31部が1985年の10月に出した判決では、学研が東京ふじせ企画労組を解散に追い込むために業務総引き上げをしたことを明確に認定し、また学研が実質的な使用者の位置にある事実にも触れています。この裁判は、学研により倒産させられた損害につき東京ふじせ企画破産管財人が起こした損害賠償請求訴訟で出されたもので、本争議の本質について的確な判断をしています。
 もう一つは、学研経営の内部から争議責任を認めた動きで、これは決定的な事です。95年に「争議を解決したい」と当時の学研の大橋圭介監査役が、私たちへ非公式折衝を持ちかけてきて、「学研がやったこと」の非を認めたのです。92年に全学研との争議解決を果たした後、ふじせ争議も同一の問題として解決したい、との意向を示したものです。この時は争議解決の最大のチャンスでした。
 しかし、結局、学研経営は大橋監査役を解任し、居直りを続ける道を歩んで、それを改めませんでした。争議長期化の原因は、学研経営の争議責任居直りによる一切の話合い拒否にあります。そして、都労委不当命令以降の流れが、口実を与えてしまったことも否めません。私たちは安心して働ける職場にするために労働組合を結成し、ささやかな要求を掲げただけで、このような倒産・解雇という理不尽な攻撃を受けて泣き寝入りはすまいという想いがありました。そのために早期解決をめざし、現場からの行動で学研に自主交渉開催をも求めてきました。ふじせ労組結成は日々、屈従を強いられてきた下請労働者の人間宣言でした。学研とふじせの関係は今日でいう偽装請負に等しいものでした。派遣元のふじせ企画は独立して仕事を完成させ学研に納めるというものではなく、仕事量(出来高)や内容に関係なく一人あたりの均一の単価が「業務委託料」となっていて、ふじせ企画が人買い稼業的に東京ふじせ企画の労働者を学研に送り込み、学研が管理職の指揮・命令の下で業務を行わせる、というのが実態でした。業務打ち切りによる倒産の争議責任と使用者責任は学研が有しています。工藤社長らは既に学研の指揮・命令に従った責任を認めましたが、実態的使用者である学研が業務と雇用を保障しなければ争議は解決せず、これを実施すべきは学研以外にないのです。
 私たちも、ここまで争議が長期化するとは当時は思いませんでした。どんなに正しいと思っていても解雇された状態での生活を維持しながら闘争を継続することは大変なことです。家族との関係など生活上の都合で、田舎に帰ったり、闘争継続を断念する仲間も増えていったのも事実です。しかし、日々の闘いの積み重ねで、学研の抱えている問題体質が次々と露呈し、闘い続ける確信は深まっていきました。この初発の志と、それを貫こうとする中で感じることのできた手応え、多くの共感者や共に闘い、支えてくれる仲間との出会いが、持続できた原動力でした。
 特に全学研労組との共闘は、学研経営と全学研労組との争議がふじせ企画を生み、私たちの組合も生まれたという経緯から必然的に生じました。学研の本社ー下請を貫く組合潰しは一体であり、両争議は不可分の関係にあります。互いの勝利を共通課題として、全学研労組は学研経営にふじせ争議の解決を要求し続けてきました。92年に解雇撤回等を確認して経営との和解解決に至った後も、ふじせ争議は残ったため、ひき続き全学研労組は経営へのふじせ争議解決要求を春闘や株主総会の際等に出し続けてくれました。

3、学研関連の人々との出会いと経営の問題体質との対峙 
 また、私たちの争議には、学研本社及び学研関連の職場や学研商品の利用者など、実に多くの方々が共感や激励の声を寄せてくれました。これも大きな支えになっています。これは学研が「教育出版社」の看板を掲げながら、その裏では暴力的な労組潰しのみならず、様々に問題体質を露呈させてきたことと結びついた現象です。
 暴力的労務政策のつけがたまって1993年からの慢性的赤字状態の下で数次にわたる巨額損失と共にくりかえされた希望退職募集、また、持ち株会社下の事業会社=学研メディカル秀潤社でパワハラ・退職強要で女性労働者が鬱病に追い込まれた事件(2011年)では私たちの組合に直接相談も寄せられ、学研マーケッティングで労働者に過重労働を強いた上、解雇する事件(2012年)などが引き起こされています。また、嘘の勧誘で大学受験塾の生徒を集め高額教材を買わせていたとして2007年、子会社学研GICが6ヶ月の業務停止の行政処分を受けた事件をはじめ、不祥事も夥しい数で続出しています。私たちには、その都度、学研労働者からの内部告発の声や、問題を取り上げて欲しいという要望、高額教材の押しつけ販売の被害者の若者の声、代理店や進学塾からの相談や激励の声、等々が寄せられてきました。学研がひき起こしたふじせ争議とこれらの問題は根が一つであるという私たちと共通の認識や感覚を持って、私たちの活動に期待を寄せてくれているものです。励まされ、また期待に応えるべき責任も自覚しながら私たちは活動してきました。ふじせ争議と学研関連の諸問題を共に一体の課題として解決をめざしてきたのです。今回、切実な願いを寄せてくれた学研ココファンあすみが丘の居住者の方々の声をビラで紹介したことも同様です。それを押し潰し、真実を押し隠そうとする学研のやり方は許し難いものがあります。私たちの活動が、居住者の方々と結びついたことを怖れ、不当な訴訟を起こしてきたものです。学研は、学研GICの事件の時も被害者の声を取り上げ株主総会で質問しても、そのような事実はないかのような答弁を行い、後に経産省からの処分がマスコミで報道されてから、はじめて事実を認めました。悪いことをやっても世間に知られなければよい、というその隠蔽体質は変わっていないのです。

4、今回の提訴について
 今回の訴訟で学研は、私たちに争議行為を行なう資格はないかのような無理筋な主張を行った上に、正当な争議行為を「義務無き団交応諾を強制し続けているもの」、「嫌がらせ行為である」などと誹謗しています。学研の使用者実態は明らかですが、そもそも、使用者性の有無を越えて、倒産責任を追及する争議行為は背景資本への行動など、歴史的に存在し続けてきたのであり、その行動自体を禁ずる根拠は全くありません。都労委命令を確定させた最高裁決定から現在までの10年間、学研が私たちの行動を受忍してきたのも、非組合員をも含む35名の労働者の生活を破壊した倒産攻撃について、「確信犯」として、こうした厳然たる事実の重みを無視できなかった結果のことです。この期に及んで何をか言わんやです。
ココファンあすみが丘に関する私たちのビラの記述は事実に基づくものです。このこともこの裁判で、これから明らかになることを宣言しておきます。
 争議を解決するには、双方が誠意ある話合いの場につくのが最善であり、今回のような争議禁圧攻撃では私たちの闘いを潰せないことはもちろんのこと、争議を泥沼化させるものでしかありません。
 裁判所には、このような原告の不当な請求を却下されるように求めるものです。
                                    以 上
私たちは何故、闘い続けているのか(2)
 前号から、学研・ふじせ争議の発端から現在に至る真実と、私たちは何故闘い続けているのか、をお知らせするシリーズを掲載しています。 
前号で、学研経営が仕掛けた倒産・解雇攻撃につき、1985年に東京地裁民事31部が出した「損害賠償訴訟判決」で、明確に争議責任と学研の使用者責任が認定されたところまでを記載しました。上記の冒頭意見陳述でも触れているとおりです。それでは、「この揺るぎない真実をすり抜ける動きが東京都労働委員会から始まった」というのはどういうことでしょうか。
労働委員会は、憲法でも保障されている労働者の団結権を経営側が侵害した場合、それを労働組合法に基づく「不当労働行為」と認定して、これを是正させる命令を出すなどして労働者を救済することを制度目的とした行政機関です。私たちが救済を求めて東京都労働委員会に申し立てたのは1979年で、それから50回を越える長期の審問が開催され、1987年に都労委命令が出されました。組合側、学研経営側の双方が多くの証人を立てて行われましたが、並行して裁判所で行われた上記の損害賠償訴訟も、殆ど同じ証人が労使双方から出されて争われました。
 ところが、損賠訴訟の判決とは逆に、2年後に出された命令は学研の「不当労働行為」=組合潰しを認定しない内容でした。この間に何があって、どのような影響が生じてのこの結果が生まれたのでしょうか。1985年に労働者派遣法が成立しました。それまで職安法で禁止されていた労働者供給(=「人買い」)事業を認めたものですが、直接の雇用者である派遣元と派遣先の責任を分離し、派遣先の使用者責任を認めないように定めたことに大きな特徴があります。その後、リーマンショック時の「派遣切り」で、その問題性が顕著になったように、派遣先企業は派遣元との契約を打ち切ることで労働者を使い捨てにして、派遣労働者に対して何ら直接に責任を負わない、派遣元は中間搾取と、「仕事がなければ雇用もできない」との居直りができるという構造が作られたのでした。労働者のための労働法でなく企業に都合の好い派遣事業法が作られた背景には、「使用者概念の拡大」という法理に対抗する経営側の思惑がありました。それまでの労働運動の歴史の中で、倒産争議等での背景資本追及行動に見られるような、直接の雇用者にとどまらない資本の支配力が及んだ限り、「支配あるところに責任あり」として責任追及が行われ、特に実態的な使用者への追及で争議がはじめて解決するという積み重ねが為されてきました。これを財界、経営者団体側は覆す圧力を強めていったのです。
これにより労働委員会の右傾化、形骸化が始まりました。労組法上の「使用者」とは不当労働行為(組合への支配介入等による団結権の侵害)を行うことができた者に広く適用され、学研経営の場合も正にその対象ですが、東京都労働委員会の命令では、「学研は使用者ではないので不当労働行為を論ずるに由なし」と逆立ちした論理で、組合潰しの事実認定をまともに行おうとしませんでした。「学研は使用者ではない」との根拠なき結論を先に決め、だから組合潰しは工藤ふじせ企画社長が行ったということにしてしまったのです。使用者実態という点でも、不当労働行為=組合潰しを行う以前から、学研が東京ふじせの労働者の実質的な使用者の位置にあったことは損賠判決も認定したとおりです。この点の争いは、中労委審問、そして行政訴訟にかけて続いていくのですが、そこへ至る経過を含めて、次号以降でまた、お伝えしていきます。

学研社前で配布している「パルス」紙の10月23日号で、発行日を
10月16日と記載してありましたが、誤記です。台風の影響で配布日
(発行日)を変更しましたが、変更前のままの日付になっていました。
(その他、若干の誤植をWEB版で訂正しました)