教育出版社学研と私たちの26年の闘い


 「1年の科学」などの学習雑誌や教材等を発行している学研(学習研究社)の名前をご存知の方も多いと思います。
 私たちは、その学研の下請編集プロダクションで、「科学」や「マイコーチ」などの雑誌・教材の編集・制作を行なってきました。

下請会社倒産・全員解雇のシナリオを描いた学研

 その私たちの職場の労働条件は大変過酷で、月に100時間以上もの長時間残業を全くの無給でさせられるなどの状態が続いたために、不満が募り、ついに労働組合を結成し、下請会社の経営者と話し合いを持って労働条件の改善を図ることになりました。
 ところが、その話し合いを始めようとした矢先に、学研が身を乗り出してきて、35名が行なっていた学研からの全ての委託編集業務を総引き上げし(組合結成からわずか1週間後)、1ケ月後には会社を倒産させて、全員を解雇するという攻撃を仕掛けてきました。
 下請け会社のふじせ企画は、学研から請け負った編集業務を登記上別会社である東京ふじせ企画に孫請け化して行わせ、自身はトンネル会社としてピンハネするという構造になつていました。
 学研は、組合結成を知ると、工藤ふじせ企画社長、須田東京ふじせ企画社長を学研本社に呼び、
「下請けに組合はつくらせない」
「表向き下請の側からの業務返上という体裁を取って業務を引き上げるショック療法で組合を解散に追い込む」
「非組合員や組合を脱退して改心した者には東京ふじせ企画へ辞表を出させ、学研の仕事を継続させる」
「東京ふじせ企画に残っている組合員は兵糧攻めで参らせる」
「工藤さんは表に出ないで隠れていなさい。須田さんが処理するように」
等の組合つぶしの方策を指示・命令し、最後には組合が解散に応じないと分かると「東京ふじせ企画で不渡りを出すように」と命じ、会社を倒産させたのです。
 

労働組合敵視の前近代的経営を続けてきた学研


 学研は、創業者である古岡秀人氏を筆頭とした一族支配を続けてきた会社で、労働組合敵視の労務政策を行い、本社の中で結成された全学研労組へも不当解雇・配転・賃金差別・管理職を使った集団暴行等の弾圧を行ってきていました。
 もともと、ふじせ企画は、この全学研労組結成直後に、学研が労組対策用に活用し、労組員から取り上げた仕事を下請化して、安い単価で仕上げるという組合つぶしと合理化を兼ねた役割を担わせたものでした。そこに私たちの組合が結成されたことに焦りを深めた学研の経営者は、一挙にこれをつぶしにかかってきた、というわけです。
全学研労組への学研の争議中の暴力
一人の労組員を押し倒し、いじめている(81年)。
手前左のノーネクタイの男が現在、取締役で総務
部長
 
 

学研の暴力的対応と開き直り


 会社解散=全員解雇で争議に突入し、長い闘いが始まりました。
 逃亡していた工藤社長をつかまえ、80年には、「学研の指揮・命令で組合つぶしを図った」との事実を明かさせました。彼は、業務打ち切り後も学研から資金援助を受けていました。
 85年には、倒産した東京ふじせ企画の破産管財人が起こした損害賠償裁判で、東京地裁が、
「組合を解散させることを狙って学研が業務引き上げを行ったものである」
「学研は東京ふじせ企画の労働者に対する実質上の使用者の責任を持っている」
と認定する判決を出しました。この裁判では事実認定がきちんと行われ、学研側証人として出てきた業務引き上げの現場責任者たちの証言につき、「信用できない」と、ことごとく退けています。
 しかし、学研は「業務はふじせ企画側からの返上で、学研は組合つぶしに関与していない」との嘘の主張を続け、私たちの「話し合いの場に出てきて争議解決を図るように」との要求を拒み続けています。損害賠償裁判も経営間の争いで契約解除自体は合意に至った末のもので違法性はないとされ、加えて、もともと直接私たちの地位を回復するための裁判ではなかったので、学研は、この判決での 事実認定を無視し居直っているのです。
 私たちの抗議行動や申入れ行動に対し、学研本社では、鉄柵を閉ざして私たちを受付にさえ行かせず、さらに「学研生活を守る会」と称する管理職らの組織を使って暴力的に排除させたりをくり返してきました。
 私たちがやむなく、直接会える機会を求めて学研社長の自宅に赴くと、そこへも暴力職制を動員するなどの異様な対応を取ってきました。
 さらには、私たちの行動を「面会強要」「出社妨害」などとして、その禁圧を求める仮処分や、仮処分決定に違反したら金を取り立てる「間接強制」を申請してまで、なんとか押しつぶそうと図ってきました。
 しかし、私たちは、これらの弾圧をはね返して長期の争議を闘い抜き、学研経営を追いつめてきています。
 
私たちを排除するためにすべての出入
口を閉ざすという会社側のなりふり構
わぬ対応で学研社前に社員・取引先な
ど、多くの人が滞留(95年)
古岡滉社長(当時)の自宅前に呼び寄
せられた学研の職制たち。拳をあげて
いるのは抗議する組合員(84年)
 
 

業績不振を招いた経営体質、      
学研の争議責任を口にした役員も解任し、
責任隠しに躍起            

 学研は、93年から連続赤字の業績不振に陥り、沢田一彦社長が就任しました。私たちは、長年の暴力的な労務政策に現れている経営体質が、この行き詰まりを招いていると考えていますが、沢田社長は、それを改めようとせず、95年には、現状を憂えて学研の争議責任を口にして私たちとの話し合い解決を求めてきた役員に対し、「折衝を打ち切れ」と命じ、解任してしまうなど、責任回避と内部 の動揺隠しに必死になっています。
 沢田社長の行ったリストラ諸施策も、中高年への早期退職要求、雑誌の売り上げ高の貴任を現場に押しつけるなど、職場に犠牲をしわ寄せするだけのもので、過労死と思われる死が増えるなど、のびのびとした雰囲気はますます感じられなくなっています。
 

社内の批判・不満が噴出、    
怪文書も飛び交い、不祥事も続く!

 こうした状況については、当然、社内の不満が高まり、ある部長が使い込み発覚で懲戒解雇された際、「経営上層部ではもっとひどい使い込みや問題がある」と具体例を上げて指摘する怪ファックスが社内に流れたり、沢田社長を経営内部から批判する怪文書が飛び交うなどしています。学研の子会社=GIC学研での覚醒剤使用事件とそのもみ消しを暴露した文書が雑誌に掲載された97年3月、 沢田社長は会長に退くとの発表をしました。
 こうした不祥事は、これまでも山一証券からの40億円の損失補填事件、学研の教科書採用を求めて現職校長を酒食の場で接待した事件など、教育出版社とは思えぬような事態がひき起こされています。
 
 

全国各地の皆さんに訴えます!

 私たちは、学研本社への抗議行動、自宅への職制動員やホテルへの外泊で逃亡を図る沢田社長への追及行動、株主権を取得し質問権の行使で追及する株主総会、学研の各種イベント会場前での訴え、取引銀行への申入れ、全国の学研代理店や消費者の方々への情宣行動(代理店を含め反響を呼んだ)等、あらゆる場で学研の責任を追及しています。そして、学研が私たちから奪った業務と雇用を保障して争議を解決するまで闘います。
 
追及をかわすために外泊先のホテルか
ら会社へ出かけようとした沢田社長は
組合に見つかり、大弱り(95年)

 
 ここに記載したことは、学研がテレビのCFなどを通じて宣伝している企業イメージとは異なるとお感じになるかも知れませんが、すべて事実であり、内容への責任を私たちは負います。私たちの考え方が、紛争の一方の当事者のものであることも否定しませんが、学研が「自分たちに責任がない」との主張にほんとに自信があるならば、話し合いの場に堂々と出てきて解決を図るべきです。それができない学研は批判を免れないだろうと考えます。
 学研は、この事件が、まだまだ、全国各地の人々に知られていないことをたのみにして学研には何の問題も無いかのように装っていますが、私たちの運動の広がりに戦々恐々としています。私たちは、できるだけ多くの方々に、この事件を知っていただきたいと思っています。
 また、全国の方々から、ご意見もいただきたいし、私たちから直接お願いしたいこともあります。皆さんのご連絡をお待ちしています。
 このペ一ジにアクセスしていただき、どうもありがとうございます。
 

東京ふじせ企画労働組合
ふじせ闘争支援共闘会議