「25時から」(1)                  2024年9月2日
 学研・ふじせ争議は類を見ない長期争議になっています。全都の争議団の集まりである争議団連絡会議に集う仲間たちの争議も軒並み長期化していますが、その中でも突出しています。この「きまぐれ月報」のコーナーも随分と間が空いてしまいました。ちょうど、2007年の全逓4・28連絡会の勝利(郵政省による大量免職処分の撤回)、ジャパマーハイツ労組の勝利(映画会社=東映による倒産攻撃をはね返して勝利)の直後から中断してしまっており、以後この期間に争団連の争議の勝利も途絶えています
 組合代表のモノローグをしたためて発してきた記事ですが、言うべきことが無くなったのではありません。争議を取り巻く状況が厳しさを増していく中、連帯・共闘を強めて互いの闘いを維持し、押し上げていくための活動に力を注ぐ中で、「月報」で訴えるべき内容を他の場所では声にしてきたものの、文章としてよく練って、こちらで掲載することを後回しにしてきてしまいました。
 この長期間のブランクについては、争議を取り巻く時の流れを概観しながら記載していく予定ですが、今回、「25時から」として再開し、新たに記載するのは、かくも長き争議を惰性やマンネリに陥らず、学研の民事弾圧=訴訟攻撃との激しい攻防を打ち抜いてきている意義につき、参考になることも多くあり、知っていただきたい、との想いからです。共に闘っている他の争議にも同様の意義があると思っています。「そんなことだけにこだわり、他にやれることを犠牲にして時間を浪費するなんてもったいない」と感じるかもしれません。そうした感想をぶつけられたこともあります。しかし、そう思う方が想像するような生活を私たちは過ごしていません。限られた時間の中で趣味に没頭したり研究を積んだり、多くの皆さんとそう違わない生活を送りながら争議を闘うという課題に向き合っています。何を選択するかは人それぞれですので、これも一つの生き方で、自分なら選ばないという方は、もちろんそれで良いと考えます。私たちのような活動でも、いろいろな人との出逢いがあり、共に行動をする歓びの一方、熱い議論を交わして理解し合うことの難しさも感じたり、自分を含めて可能性をどう広げられるか、人が理不尽な抑圧から解放される道はどう拓くことができるのか、等々を考え、運動・組織のありようを模索している毎日です。
 45年間の経過にも遡りつつ、私たちの闘いが現在の争議・労働運動というものを取り巻く状況を撃って時代を切り開いていく可能性を有していることを、発信しながら確かめていきたいと思います。よろしくお願いします。                              東京ふじせ企画労組代表 國分眞一
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選挙の季節 虚構の政権交替の彼方への視線
 その第一回である今回は、世界もイギリス労働党政権誕生、米国も大統領選挙を控えていますが、日本も「選挙」の季節を迎えている中で、痛感していることに触れたいと考えました。
 7月7日に東京都知事選がありました。労働現場から見ても、都知事選が映し出した光景は、日本の閉塞状況をあらためて強く感じさせるものでした。23年にかけての「統一協会」、今年にかけての「裏金・脱税」で政権政党の腐敗が極限まで行き着いた先が人々の怒りをかい、政権交替の可能性もメディアで言及されている中での都知事選でした。結果は、裏金自民の支援を狡猾に後景化させ、街頭演説に力も入れず、他方で財界首脳たちを京王プラザホテルに招集して彼らの利権がかかっている選挙で危機感は強くアピールし、自公の組織票を固めて盤石の態勢を敷いていた小池百合子の圧勝となったことは想定内のことでした。
立ちはだかる利権ともう一つの選挙運動の可能性
 支持政党無しの筆者には、蓮舫氏が「連合」という御用組合のトップたちの組織を重要基盤とする立憲民主党を形式的に離れるだけでなく、自公とさして変わらない経済政策に低迷し、重要経済安保情報法(セキュリティークリアランス法)などの治安法に賛成するなど、より一層翼賛化を強める同党の幹部たちを後景に退けて選挙戦を展開できるか注視していました。しかし、そうはなりませんでした。彼女が手取りを増やすと訴えた対象である若者(未組織・不安定雇用労働者)たちの中の貧困・経済格差と闘っているグループや、ジェンダー差別と闘っている人々(新宿駅バスタ前での街宣の盛り上がりは良かった)、利権にまみれた神宮外苑再開発に対して声を上げている人々、さらに言えば友人のRIKACOさんのように、テレビでも、「裏金問題にすごい腹が立っています。そういう気持ちを表現してくれていることが、夢を語っているところにつながる」との正論を、蔓延した「批判ばかりの蓮舫」キャンペーンに乗っかった読売テレビ解説委員や田崎史郎に向かって堂々と語った芸能人、こうした人々を演説カーで前面に立てて、共に行動していたら面白い選挙まつりになっていたのにと思います。プロジェクション・マッピングが行われている都庁建物の足下での炊き出し・食料配布には蓮舫さんは今回初めて視察に参加したようですが、政党人で言えば「れいわ」の山本太郎氏のように以前から炊出しの現場に足繁く通っていたのとは違い、経済弱者へのアプローチは付け焼き刃的なものになってしまったのではないでしょうか(それでも初めて足を運んだことに真摯な姿勢を感じましたが)。また、「行革」のプロを自認しての発言も、彼女の真意は別として、80年代からの「臨調」「行革」が、財政再建の名の下の消費税導入などの国民負担、規制緩和の名の下での民間委託、「民」とは大企業のことで、利権あさりの「政・官・財」の癒着を深め、ネオリベラリズムの到来となっていったことを想起させるもので、手放しで評価できなかったし、アピールポイントと本人が考えていたほどには有権者にはいまひとつ魅力を感じさせないものでした。
「連合」もつるんだ利権構造と異様な蓮舫バッシング
 それでも、反小池(自民)の一点で蓮舫氏当選を願った人々が、一人街宣という形で数多く現れ、これまでない選挙への関わりを示したことは特筆すべきことでした。大手メディアは取り上げないこうしたムーブメントを含めて、現職と競り合い肉迫する可能性もあったと思いますが、小池都政とつるんだ数多くの利権集団(三井不動産、電通、テレビ・新聞大手メディア、自民・公明、等々)の危機感は強く、立候補直後からの蓮舫ネガティブキャンペーンが行われ(電通支配下のテレビメディアでタレントや「コメンテーター」らからのバッシング等)、落選後も権力に忖度する記者や芸能人らが自己保全を図ってか彼女への女性差別も含んだ異常な激しさでバッシングを続けるという事態には驚くほかありませんでした。
 労働現場で活動している私たちから見て、特に醜悪だったのが、連合会長の芳野友子でした。同盟(民社党系列の御用組合で、後に「総評」と労働戦線統一を実現し「連合」結成)系の富士政治大学の反共教育の影響下で組合活動を重ねてきた彼女が、御用組合・労働貴族たちの集まりである「連合」の会長にまでのし上がったことで、ことあるごとに公然と共産党批判を前面に押し出していることは周知の事実ですが、立憲の支持母体でありながら、「連合東京」として蓮舫氏ではなく小池支持を打ち出し、さらに蓮舫敗戦を受けて、「共産党と共闘したから負けたのだ」などと、どの口が言うのかと言うような「立憲共産党」キャンペーンを自らも担ったのでした。この芳野氏の苦言に毅然と反論もできない泉代表ら立憲幹部にもあきれました。イタリア共産党(1991年に左翼民主党に移行)、フランス共産党など「先進」諸国の共産党は、中国、ロシアなどの同党と異なる独自路線を取り、野党連立や連立政権で他政党との共闘・連携を実行しており、共産党自身が自己変革(その内容についての評価は別として)を図ってしか先進資本主義国では生き残れない、その実態は近現代史を知る者には常識です。芳野連合は、古びた共産党アレルギーを患い、その幻影を人々の受け止めであるかのように語っており、そんなネトウヨ的謬見に押されて、立憲民主党もさらに右にすり寄って野党共闘の見直し=闘うグループ排除の路線へと後退を強めようとしています。
政治不信の陰画と再生産されるポピュリスト
 もう一つ、今回の都知事選で現出した「石丸現象」について、簡単に。芝居がかった言動を労する人が出てきたなというのが第一印象でした。政策は何も語らず、その実態は分からない「華麗」な経歴を自賛し、自己神話を拡散させようとするこの候補者と彼に心酔する人々、政治不信が拡がる状況の中で、一定の人々に「何かをやってくれそう」との期待感を持たせたのでしょうが、「何か」の中身は不明なままで、選挙後の言動の中で、政治理念も空疎な正体が露わになりました。維新にコンタクトを取ったり、一部財界人の支援もあり、競争社会に勝ち抜き、渡っていく新自由主義的な志向性の持ち主で、そこには新しさも魅力も感じませんが、自民党の元選挙参謀の巧みな戦略とYOUTUBEの切り抜き動画を数多くのサポーターに支えられ拡散させることで、160万票を獲得、メディアの脚光を浴びました。支持者の全員が「信者」とは言わないものの、切り抜き動画の再生数で収益を上げるYUTUBE愛好の若者たちは、「コスパ」、「タイパ」といった効率主義で、長い文章を読めず、長い話を聞けず、深く熟慮・考察ができない、といった傾向を抱えていることが多く、その思考停止が空疎で説明不能・説明拒否の政治家と結び付き、個人崇拝を生んでいる危うさを感じさせます。これらが、政治の現状を変えることなどできないのは自明です。石丸氏の登場を過大評価するメディアなどでの向きもありますが、既に安芸高田市での言動は、市議に対する名誉毀損訴訟と印刷業者へのポスター代不払いの二つの訴訟で、石丸氏が敗訴、判決以上に訴訟の内容を知れば彼の独善性が明らかになっています。
翼賛化の極限に達した大手メディア
 三選を果たした小池都知事ですが、こちらは、この選挙期間中に3つの案件で刑事告訴されています。選挙に直接関わる件としては、地位を利用して区・市町村の首長に都知事選への立候補を依頼させたこと(首長らの自発的なものでなく、都知事サイドからの依頼だったことが判明)、そして、都知事としての記者会見の場で記者の質問に答えて自らの選挙戦についての意見などを述べたこと(公務と候補者個人の選挙活動の混同)の2件です。また、3つ目は、以前から疑惑が持たれていた学歴詐称の事実と疑惑の隠蔽工作(カイロ大学に自作の虚偽声明を発表させた)です。前2者は都知事の地位利用が明らかな公職選挙法違反であり、学歴詐称も同法違反になります。カイロ大時代のルームメイトが実名を名乗って小池氏のカイロ大卒業の事実がないことが、学歴詐称の隠蔽工作に関わった元都民ファーストの小島俊郎氏自ら告発したことで明らかになっています。東京地検特捜部が告発状を受理するか不明ですが、既に時間が経過していることから受理した上で、捜査に入るかどうかという時期に入っています。
 ところが、メディアはこのような告発がされている事実さえ一切報道しないというジャーナリズムとしての使命放棄を行いました。新聞・TVでは全く報じられない中、ネットメディアを立ち上げている独立ジャーナリストによって知ることができ、多くの有権者には殆ど伝わっていないのです。海外では考えられないことです。英国など不祥事があれば、直ちに辞任に追い込まれる、世論が許さない状況です。メデイアは真実を完全に押し隠し小池知事防衛に回ったのです。候補者討論会も小池知事の「公務多忙」との口実を理由にTVで開催されることがなく、都庁記者クラブの御用記者たちが、フリージャーナリストの質問・追及を妨害、封じるなどメディア翼賛化は信じがたい程になっています。
 私たちは、かつて出版関連労組交流会議という団体をつくり、出版労働運動の発展をめざして活動し、その中で有識者を招いていてシンポジウムも開催しました。2007年には映画監督の森達也氏を講師に「メディア 翼賛化と可能性」と題したシンポを開催しました。東京新聞の望月衣塑子さんも彼女のお父さんが専門紙の記者として私たちと共に活動していたこともあり、当時在職していた埼玉支局での検察の実態を追求しての活動を報告してデビューを飾ったイベントでした。その中で、森氏は、権力の介入以上に、同調圧力が強まり、忖度する報道の中で、屈せず闘っているジャーナリストや、それによる優れた報道をできるだけ私たち読者が称え励ますようにすることは、翼賛化ではなく可能性の方に力を与えるものになる、と提起していました。しかし、それから27年経ったいま、骨のあるジャーナリストは特にTVメディアなどでは干され排除され、ほんとうに少なくなって、メディアの翼賛化は著しく進行してしまいました。横田一さんも特定秘密保護法制定反対の時に私たちのシンポジウムにお呼びした方の一人ですが、その後、小池都知事の「排除します」発言(2017年、民進党の希望の党への合流にあたってそのうちのリベラル派を排除する、との本音を漏らした)を引き出すなど、以降も一貫してフリージャーナリストとして、権力者を追及する報道をしています。この事件以来、小池氏には挙手しても質問させてもらえないと聞きます。彼のようなフリーのジャーナリストたちは、都庁記者クラブから質問も妨害される、閉め出されるという光景が今回の都知事選でも顕著でした。
声を上げ続け、可能性を切り拓くこと
今回の東京都知事選挙で露わになった主要な候補者であった政治家の実態、真実を報じない大手メディアの惨状に触れました。今回の選挙に限らず、状況への閉塞感、危機感を痛切に抱かせる状況については、私たちの運動でも日々、体験していることです。
 このサイトで掲載している組合のニュース記事に明らかにしている、企業経営者のモラルの著しい後退、争議責任居直り、経営からの理不尽な民事・刑事の訴訟攻撃等について、大手メディアは不公正に扱うどころか、一切報じないということが続いています。社会的に取り上げられるべきであることが黙殺されている中で、裁判所も経営と一体となって弾圧に加担するような不当判決を数多く出しているのが実情です。私たちはこれに屈せず、法廷でも裁判闘争を持続し、学研・ふじせ闘争では、直近の2つの裁判では、地裁から最高裁まで全て6連続勝利を実現しています。その中で、特に学研宮原社長がしきりにメデイアへの露出を図り「倒産寸前の学研を救った経営者」というイメージを売り込んでいますが、株主総会での私たち組合への誹謗・中傷が「名誉毀損」に当たる判決がこの8月に最高裁で確定したことに、株主総会のたびにこの事実を押し隠してきている宮原社長と学研経営には今年末の株主総会を控え、焦燥感を募らせています。
 しかし、まだ、民事弾圧と闘っている他の仲間たちの争議では、不当判決が続き、これに抗して闘っています。このように現場で声を上げて闘う者たちを「反社会的勢力」と見なし、正当な組合活動を否定し圧殺する、治安管理が著しく強化されているのが実情です。真実が知らされない今の日本の社会は、国際NGO「国境の無い記者団」(本部パリ)が発表している世界各国の報道機関の独立性や透明性についての「報道の自由度ランキング」で、2024は、G7の中で最下位の70位となっています。「経済的利益や政治的圧力、等が反権力としてのジャーナリストの役割を頻繁に妨げている」と同NGOは日本の状況を批判しています。
 金権・腐敗、弱肉強食の新自由主義の下で格差・貧困が極限まで生じている現状にもかかわらず、政治と私たちの生活が大きな隔たりを持ち、経済弱者や不安定雇用下の若者が、明日の生活に不安を抱えながらも、現状を変えられるとは思わず諦めている状況は、真実が報じられない中で深刻の度を増しています。私たちは、こうした状況に風穴をあげる闘いの一翼を担っていきたいと思っています。人々が生きる現場と結びついた運動が基盤にあれば、政治も選挙も変えていく可能性を示していけると考えています。
 さて、「政権交替」ですが、権力への擦り寄りを強める立憲民主党を見れば、仮に自公政権が下野することになっても、政治の実態は反民衆的な本質を変えることなく維持されるでしょうし、そもそも、おためごかしの政治資金規正法改正で国会を乗り切り、「健忘症的な日本国民のメンタリティ」を当て込んで、岸田首相からの看板の掛け替えで(小泉進次郎か石破か、との声が上がっていますが)、解散・衆議院選挙で辛勝に持ち込められ、今次の選挙では形の上での政権交替さえ起きない、事態は全く変わらない、ということにもなりそうです。   
いずれにしても、私たちは、その先を見据えて、現場から、こうした状況を撃ち破っていく闘いに進んでいくのみです。いまNHKの朝ドラ『寅に翼』が反響を呼んでいますが、脚本を書いている吉田恵里香さんは、あるインタビューに答えて次のように語っています。
 「エンターテインメントと社会性は両立すると思っています。というより、切っても切れない。どんな作品も作り手の思想がのるもので、思想がないようにみえるものは『思想がない』という思想です」「私より少し前の世代くらいから始まった『暑苦しいのは恥ずかしい』『ムキになっちゃってダサい』みたいな考えが、私にはどうも合わないんです」「でも実際に生きづらい人たちや当事者が声を上げたり一生懸命前に出たりすると、時に攻撃を受けてしまう。だから私はエンターテインメントが代わりに声をあげて、攻撃をかわす盾になれたらいいなと思っています。一人で立ち上がるのはしんどい。作中の『異物』たちが、そっと背中を押して、味方でいられたらうれしいです」