これから始まる闘いにむけて
 9月21日、私にとって初めての社前行動でした。
 この日まで当該不在の闘いを支援してくださったみなさまにこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。
 解雇されてから1年3ヶ月、組合が社前行動を始めてから10ヶ月、やっと、やっとこの日が来たかという思いで社前に立ちました。緊張するものかと思っていましたが、嬉しい気持ちのほうが先にたち、張り切って臨みました。ぬけるような青空の下、支援の方々が笑顔でぞくぞくと集まってくださり本当に嬉しかったです。
そして初めての情宣。「働く人を病気になったら使い捨てるなんてぜったいに許さない!労働者の誇りにかけて解雇撤回させるまで闘う!」と会社にぶつけることができました。終わったあとのなんとも清々しい感覚は初めてのものでした。会社側は姿こそ現さなかったけれど不思議と逃げている感じはよく分かり、現場の手ごたえを実感しました。
 そしてなにより「当該が出て来られるまではなんとしてでも現場を続けて待つ」という思いで闘い続けてくれた仲間に心から感謝しました。この10ヶ月間、現場復帰を信じて待っていてくれたからこそ今日を迎えるころができたのだと、その思いの深さに胸が熱くなりました。
 解雇当時はほぼ寝たきりの日々で、争議が始まったときはいつ現場復帰できるか分からない状態でした。周りの人たちに支えられてここまで快復することができました。現場で仲間の顔を見ることができ、声をあげて抗議をし、思いをひとつにするとこんなに気持ちが元気になるんだと改めて感じました。
 アール闘争は始まったばかりです。病気になるまで働かせ、意見を言えばどんな手を使ってでも排除しようとし、動けなくなるまで攻撃の手をゆるめることなく、最後は切り捨ててしまうという会社の行為を決して許すことはできません。今後はさらなる追及を深めるためにも現場闘争を大事に考えていきたいと思っています。
 まだ完全に復帰できるわけではないのでこれからもご迷惑、ご負担をおかけしてしまうことになると思いますがどうぞよろしくお願いいたします。
 真っ直ぐ闘うということは何よりも強いと信じ、仲間と共に力いっぱい生きていきたいと思います。
                                                           横山優風
9.21赤坂ツインタワーの新現場に赤旗がなびく!
 9月21日、いよいよ会社の新しい逃げ込み先・赤坂ツインタワーでの闘いが始まった。空は輝くよくような青さ、降り注ぐ陽射しが痛いくらいだ。文字どおりの“熱い現場”となった。
 
 赤坂ツインタワー(ATT)は東館、本館、新館の3つのビルで構成されている。ツインと言いながら、ビル数は3つだ(もともとは東館、本館の2つだったのだが、その後、新館を増築したため)。アールインベストメントアンドデザイン(株)は、本館の16階に位置する。3フロア下には、ヒルズから移転したライブドアが潜む。怪しい会社が数多く入居しているせいか、ビル内には「厳重警戒中。敷地内でのビラ、横断幕、示威行動は禁止します。管理会社」という貼り紙が、至る所に貼られており、警備員が常時警戒態勢を敷いている。東館と新館は道を隔てて向き合っていて、東館の奥に本館がそびえる。本館に入るには、東館を抜けていくのが、メインの通路だ。ほかに裏口が2つある。ビル内は禁煙らしく、裏口の外に喫煙所が設けられている。最寄り駅は、地下鉄(南北線、銀座線)「溜池山王」。その12番出口が、ATT新館の根本に開いている。
 11時30分、現場登場。東館に正対する新館前に横断幕、赤旗を据え付ける。ここが、いちばん情宣効果が高そうだ。ゼッケンを身につける。横断幕とゼッケンは、4.28闘争の勝利カンパで新調したもの。赤旗は、4.28闘争とジャパマーハイツ闘争の勝利記念の旗。いずれも現場初登場である。真新しい赤が、熱い風にへんぽんと翻る。
 全員でビルを取り巻くようにしてビラを撒き、本館に向けてマイクで情宣活動を開始する。この様子を見た警備員が右往左往し、必死にあちことに電話連絡をしている。ちょこちょこ寄ってきて、「敷地内に立ち入らないでください」と言ったりするが、それほど強硬な感じではない。すこしすると赤坂署の警備課長が姿を現す。「新館前のその場所も敷地内なのだが……」と言ってくる。「ここは皆が通る道となっていて、公共的な場所だ」と指摘すると、「それはまあそうです」と引っ込む。
 ビラの受け取りはたいへん良い。マイク情宣を立ち止まって聞く人もかなりいる。デリバリーの青年は、「どういうことですか」と聞きに来る。説明を聞いて、「いま仕事中なので、ビラはあとでしっかり読みます。頑張ってください」と言って手を振った。ほかにも様子を聞きに来る人が、外国人をふくめ何人もいる。情宣の手応えは充分である。ビラは足りないほどだった。
 最後に、当該がマイクを握る。体調が悪く、これまで現場行動には参加できなかった。この日が初陣となる。「過重労働を強いて、体調を崩せば使い捨てにする、そうした会社を絶対に許さない。これは自分独りの問題ではなく、働いている人すべてに関係する問題だ」。当該のアピールが辺りに響く。周辺のほとんどの人が足を止めて聞き入る。やはり当該が居ると居ないとでは、反応が大違いだ。最後にシュプレヒコールを叩きつけ、行動を終えた。後片付けをしていると、赤坂署の警備課長が寄ってきて「110番が入ったので、来ないわけにはいかなくて……。皆さんは、これからもここに来るのですよね。ま、交通には気をつけて。よろしくお願いしますっ!」と敬礼をして帰っていった。アール関係者は、逼塞したまま。新現場での行動は、大成功をおさめた。
アール闘争とは?
 アールプロジェクト株式会社が行なった06年6月の不当な休業補償打ち切りと解雇によって争議に突入したアール闘争とは・・・。
すさまじい過重労働で倒れる
 横山さんは、2002年2月に家具デザイン・販売会社=イデーの一部門に入社しました。世田谷ものづくり学校(廃校になった学校の雰囲気をこわさずに、地域に開かれたアトリエや工房として再活用)等の企画を実現しました。しかし、会社には就業規則もなく、彼女に一人でのこれらの業務遂行が押しつけられ、月の残業時間が175〜290時間にも及ぶ長時間労働、ときには10日の間に徹夜が8日間というすさまじい過重労働のなかで、横山さんは倒れました。
 彼女は、会社に「業務上の疾病であることを認め、休業補償と療養補償をおこなう」よう要求し、ワンマン黒崎社長も謝罪して、この要求に応じました。
あいつぐ排除攻撃
 ところが、イデーが黒崎の放漫経営で危機を迎えると、05年初頭から、永井好明がイデーと同社の子会社となったアールプロジェクトの新社長に就任、永井は、就任するなり「合理的な治癒期間を過ぎているのではないか」等の文書を濫発し、横山さんを職場から排除しようとしてきました。イデーにおける整理解雇の恐れと膨大な残業代未払い等に対し、若い労働者たちが南部労組に加入、彼女がその中心にいたことを嫌っての攻撃でした。永井はイデーの未払い賃金の支払いも拒み、黒崎時代の「復職環境を整えてのリハビリ復帰」の約束を反故にして、この年の12月14日、横山さんがまだ就労するのは無理なのを百も承知のうえで、突然、「復職命令を出す。06年1月6日から復職せよ。命令に従わなければ、制裁措置をとる。これで争議になろうが、会社が潰れようがかまわない」と宣言し、以降の団交も拒否してきました。
 組合は、労働委員会に不当労働行為救済申し立てを行い、4回の調査を経て、「会社は、復職命令を撤回して謝罪する。労使は、復職に向けた話し合いを行なう」との前提で、都労委立ち会い団交が開催されました。
補償打ち切りと解雇
 第1回立ち会い団で組合は、社長永井による一連の攻撃により当該は心身を傷つけられ、復職を阻害されてきたと指摘し、会社のこれまでの対応を批判。会社は「復職に向けた具体的な提案をしてほしい」と述べ、次回立ち会い団交で、復職に向けた組合提案を示すこととなりました。
 ところが第2回立ち会い団交で、組合提案を聞いた会社が取り出したのは、なんと復職拒否回答と補償打ち切り通告でした。立ち会い団交の前提そのものを踏みにじる不当労働行為が、都労委の場で行なわれたのです。
 さらにその直後、会社は、当該に対し解雇を強行。組合は、解雇と補償打ち切りを撤回し、団交を開催することを求める不当労働行為救済申し立てを改めて起こし、前の申し立てと併合となりました。
現場闘争開始
 11月から、現場闘争も開始、朝、昼、夕とあらゆる時間帯に会社を包囲した。当初、社前の私たちに体当たりなどしていた会社側も、たちまちのうちに、役員は誰ひとり出退社できず、ひたすら閉塞する状態に落ち込みました。
労働委員会でも徹底追及
 労働委員会では、組合側証人の証言が終了。

 
会社による不当労働行為を明確に証し立てた国分証人に対し、会社側代理人は、「あなたたちは、自ら労働委員会に申し立てていながら、補佐人が腕章を着用するなど労働委員会のルールを守らないのか」などと場違いの質問をするばかりで、肝腎の不当労働行為に関する尋問はまったくできず。駒澤、横山証人に対する反対尋問は輪をかけたひどさ。駒澤証人に対しては、「こんな仕打ちをした会社(と口を滑らせた挙げ句)に、普通の親だったら復職させたくないのではないか」。当該には、「あなたは復職したいと言うが、復職される会社の気持ちを考えたことがあるのか」と呆れかえった尋問。戻ってこないでほしいという会社の悲鳴が聞こえるようでした。
 都労委終了後、永井社長自宅周辺ビラ入れも行ない、争議対象を拡大させました。
ついに社屋移転
 本年4月、会社は社名を「アールインベストメントアンドデザイン株式会社」と変更、7月には現場闘争から逃れようと、突如、三番町から赤坂ツインタワー本館16階へと社屋を移転しました。しかし、私たちが社前に登場するかぎり、社長ら役員が姿を現すことができない状態は変わっていません。
 他方、私たちは、3月には「アール闘争を支える会」を結成、争議団連絡会議にも参加、全都の仲間と手をつなぎあって会社を追いつめていく態勢を整えつつあります。9月にはついに当該の現場登場を実現しました。
イデー闘争からアール闘争へ
永井がイデーの経営から撤退してアールに逃げ込んだ後、06年6月にイデーは新経営陣が永井社長時代の不誠実対応を謝罪し、横山さんを含む全員への総額4千万円の未払い賃金を支払って決着しました(会社はその後、株式会社良品計画に買収された)。 なおも居直り続けるアールに対する闘いは、イデー闘争を引き継いで闘われています。
歩き始めたばかりのアール闘争ですが、解雇撤回=リハビリ就労の獲得を目指す闘いへの連帯を、心よりお願いする次第です。
夏季一時金カンパへの取り組みに感謝します♪♪
多くの労組・労働者の皆さんから、あたたかい夏季カンパを寄せていただきました。
ほうとうにありがとうございました。
「RE:R」(リアール)創刊に当たって
 当該=横山さんの争議現場への復帰と合わせて、支える会の機関紙を創刊しました。
タイトルは、「アールへの私たちの返答」、「アールの攻撃をひっくり返せ」という意味と、そして、イデー(フランス語で「理念」、ギリシア哲学は「イデア」)という気障(きざ)な かつての社名に対し、「リアル」な私たちの闘いの現実を突きつけていく、という反撃の志を示すものとして名付けました。私たちの闘いの「アイデア」の方が勝るであろう、との思いもあります。今後ともご愛読いただきますよう、よろしくお願いします。